:第14話 「夜半:3」

 国境地帯における王立陸軍の防衛作戦は、失敗に終わった。

 敗因は、いくつもある。

 第一に、一週間前から発令されていた王立軍全軍に対する待機命令によって、国境付近にいた各部隊は臨戦態勢を整えることができていなかったこと。

 多くの兵士たちはすぐさま戦闘配置につける状態にはなく、実戦に対しての心構えもできていなかった。

 第二に、宣戦布告と前後して実施された航空攻撃によって王立空軍が大損害を被り、このためにまったくと言ってよいほど航空支援を受けられなかったこと。

 これによって敵の空襲を阻止できなかったばかりか、航空偵察によって敵情を明らかにすることもできず、手探りで応戦しなければならなかった。


 そして、第三に。

 連邦軍が、圧倒的な大兵力で押しよせてきたこと。


「あれは、まるで雪崩なだれみたいだった」


 アランのかたわらで疲労から身動きが取れなくなってしまった負傷兵は、アルシュ山脈のふもと、山岳地帯の出身者であるらしく、連邦軍の攻撃をその強烈な自然災害にたとえて教えてくれた。


「歩兵がさ、数えきれない群れになって、押しよせて来るんだ。連邦のいろんな言語を喚き散らしながら。戦車も、何十台、何百台といてさ……。それで、ずっと砲弾が降って来るんだ。途切れることなく、ずっと、だ」


 応戦しようと思ったが、自分がいた陣地(王立陸軍が敵の侵略に備えて平時から築いていた要塞線の一部)から顔をあげることすらできず、砲撃がやんだ、と思った時にはすでに敵の歩兵に肉薄されており、夢中で戦ったのだという。


 その時の記憶は、曖昧あいまいだ。


 生まれて初めて生きた人間に対して銃弾を撃ち込んだ、あるいは、撃たれたという、恐怖。

 猛烈な砲撃を受け、あっと言う間もなく四散した戦友の姿。

 銃剣を装着した小銃で格闘戦に陥り、最後には素手で取っ組み合いとなり、自らの手で絞殺した敵兵の体温と、血と汗でれた肌の感触。


 そういった記憶がごちゃ混ぜになって、まるで整理できていない。

 だが、部分、部分の記憶は、あまりにも鮮明だった。

 ———それだけに、生々しい。


「生き残ったみんなで、逃げてきたのさ。……歩けないような連中を置き去りにして」


 そこまで言うと、その兵士は頭を抱え、ガタガタと、目に見えるほど大きく身体を震えさせる。


 重傷を負った負傷兵は、見捨てて来た。

 その言葉の重さに、アランは愕然がくぜんとする。


 きっと、この兵士の頭の中では、別れた戦友たちの声が反響しているのだろう。


 置いて行かないでくれ!

 見捨てないでくれ!

 頼む……! 家族に、会いたいんだ……!


 だが、生き延びるためには、その声に応えるわけにはいかなかった。


 置き去りにしてきたのは、重傷者だけではない。

 このままでは全滅してしまうが、退却する際に連邦軍から追撃を受ければひとたまりもない。

 殿となって残り、敵の追撃を食い止める部隊が必要であった。

 だから志願兵を募り、全体の一部が踏みとどまって戦っているのだという。


 幽鬼のようになりながら、ひたすら後方を目指して後退していく兵士たち。

 その中に、車両の類が一切ないことをアランは不思議に思っていた。


(車や馬車を使えば、負傷兵だって連れてこられたんじゃないのか? )


 それは当然の疑問ではあったが、そうできない事情があったらしい。


 国境を守っていた王立軍の車両は、そのほとんどが連邦軍の餌食えじきにされてしまっていたのだ。

 航空優勢、いや、制空権を確保したと言うべき程の状況を得た連邦軍の航空攻撃は、熾烈しれつなものであった。


 王立空軍からの反撃がないのをいいことに、戦闘機さえもが爆装をし、低高度まで舞い降りて来て爆撃や銃撃を浴びせて来る。

 それを、何度も、何度も、敵はくり返したのだという。


 地上を動いている車両はそのすべてが攻撃目標となり、軍用車両はもちろん、民間の車両についても、次々と攻撃を受け、爆撃や地上銃撃によって、破壊されてしまった。

 事前に戦争の準備がなされていなかったから、偽装して隠す、ということもできなかった。

 辛うじて生き残った車両もあったが、それはすべて、殿を志願した部隊のために残して来たという。


 そうして夜になって敵の攻撃が弱まってから、国境地域の防衛を断念した王立陸軍の各部隊は退却を開始した。

 戦力差があまりにも懸絶けんぜつしていたからだ。


 おそらく、志願した者たちが生きて帰ってくることはないのだろう。

 夜になって連邦軍の攻撃が一時的に弱まったとはいえ、明日になればまた雪崩なだれのようになって押しよせて来る。

 あるいは、この夜の間にすり潰され、壊滅しているのかもしれない。


 今日は月が出ている。

 アランはそのおかげで夜でも周囲をなんとか視認することができていたが、これこそが、連邦軍がこの時に攻撃を開始した理由であるのに違いなかった。


 月齢は、作戦を考案する上で思案に取り入れられる要素のひとつだ。

 夜でも月が出ていれば、昼のようにとまではいかないまでも戦闘の遂行が可能となる。

 短期間で敵の防衛線を突き崩し、できるだけ深くまで突破しようと思えば、この自然環境も利用する。


 敵は、昼夜をかまわず前進を続け、着実に迫ってきているはずだった。


 そんな状況で、殿の部隊がどれほど持ちこたえられるか。


 退却を続ける兵士たちが置き去りにしてきたのは、重傷を負った戦友や、殿に残った志願兵たちだけではなかった。

 防衛を断念し、放棄して来た地域に居住していた民間人達も、連れて来ることはできなかったのだ。


 これまでのことを話してくれた兵士は、苦しそうなうめき声をらしている。


 傷の痛みなど、きっと、些細ささいなことであっただろう。


 生まれて初めて体験した、戦闘の衝撃。

 慈悲を請う戦友を捨て置き、守るべき民衆さえ見捨て、勇敢な殿の兵士たちを残して、自分だけが逃げて来たという、罪の意識。


 アランたちと合流できたことで人心地がつくと、一気にそういった感情が押し寄せてきて、彼の心を激しく揺さぶるのだろう。


「この後ろに作った陣地に、毛布があります。良ければ、休んで行かれますか? 」

「ああ……、ありがとう……。だけど、気にしないでくれ。もう、行くよ」


 気づかってそう声をかけると、その負傷兵は精一杯の笑顔を浮かべ、首を左右に振って見せた。

 そしてそのまま立ち上がる。


「自分は他の連中と一緒に、もっと後ろまで下がるよ。ここに残りたいけど、この腕だし、武器も捨てて来てしまった。今のままじゃ。役に立てない」


 それから彼は、あらためて「水、美味しかったよ。ありがとう」と礼を言うと、また、ふらふらとした足取りで歩き始める。


「戦うんだ……。だから、武器を、取りに行かなくちゃ……」


 うわごとを呟きながら、その背中は段々と夜の暗がりの中に溶けて消えていき、やがて、見えなくなっていった。


 ほとんど、執念と、義務感だけで動いているふうに見える。

 本来ならば疲労の余りに、気絶するように眠ってしまっていてもおかしくはない、そんな状態に思えた。

 だが、それでもあの負傷兵は、戦い続けるために武器を求め、生き残った戦友たちと共に進んで行こうとしている。


 自分が見捨てて来た、あらゆるものの重さ。

 それが、その足を突き動かしているのに違いなかった。


 それはきっと、この戦争が終わるか、彼が命を失うまで続くのだろう。


 ———まるで、呪いだ。

 アランの脳裏には、そんな言葉が浮かんでいた。

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