第20話 南へ
街道に出たのは、明け方だった。
寝ずに歩きっぱなしだ。さすがにフレアも大人しい。
ただ、幸いなことに、出た先には街道駅が見えた。
「フードを深く被ってください」
僕はバッグから出したローブを羽織る。
学問を修めた証になる賢者のローブは、尊敬の対象になる。どの国を回っても、このローブのおかげでスムーズに街道駅に入れた。
朝日が昇りだす中、街道駅のゲートが開かれる。
門番が出て来るゲートに足を進めた。
門番がこちらを向く前に、旅札を出す。フレアも隣で真似をするように旅札を見せた。
「従者か」
その目がフレアに向けられる。
もし、手配が回っているならば、一悶着起きるな。
「そうです。僕の従者のフレイドです」
「そうですか。分かりました」
それだけで、門番が引いた。エルグの国でもローブの威光は通るようだ。
僕はゲートを潜り、真っ直ぐに宿屋に向かった。泊るためではない、馬車を借りるためだ。
日が開けたばかりで、一階の食堂には誰もいない。
そのままカウンターに進み、
「領境まで一両頼みます」
目をこする男に言う。
隣の街道駅までは一人一ルピア。銀貨一枚だが、領境までは駅の数が分からず金額も計算できない。
男は僕とフレアを値踏みするように見ると、
「七駅だ。二十ルピアだな」
手を広げた。
その言葉に、銀貨十四枚をカウンターに置く。
「二十ルピアだが」
「ここは、どこの商業ギルドですか」
その言葉に、男の眉がひそめられた。
商業ギルド同士で馬車代は統一されている。互いに利用するためだ。それに違反をしたとなれば、その商業ギルドが制裁をされてしまう。
「賢者様かね。わしが計算間違えた」
呟きながら、男は銀貨を取った。
「裏に回ってくださいな」
出された白い札を受け取り、僕は頷いて宿屋を出る。フレアは硬い表情のまま、ついて来た。
宿の裏は馬小屋になり、馬夫が窓の付いた箱形の馬車に馬を繋いでいる。奥から出て来た御者が、慌てて馬車のドアを開けた。
馬車に乗るのも初めてなのだろう。フレアは固まったまま周囲を見ている。
その背を押すように、
「乗りますよ」
声を掛けた。
フレアが乗り、僕も続くとドアを閉める。
「これで少し休めます。今日は馬車で進む街道駅は三駅ですから、一度休憩をはさんで、着くのは夕刻です。明後日には領境まで進みます」
話を聞いているのか。クッションのある座席に座ると、
「これが馬車なのだな」
嬉しそうに言う。
「お昼過ぎに休憩になります。それまで休んで下さい」
強めに言うが、フレアは周囲を見渡しながら頷くだけだ。
やがて馬車が動き出すと、窓に張り付くようにして外を眺めはじめた。
疲れているはずだが、初めて乗る馬車に興奮して眠れないのだろう。
「足を見せて下さい」
声を掛けると素直に頷き、ブーツを脱ぐ。その間も流れていく景色を見ている。
仕方がないな。
僕は伸ばしてきた足に目を落とした。
巻かれた聖符には、薄くオレンジ色の染みが見える。薬と血の混じった色だ。
聖符を外すと塗りつけていた薬は、ほぼ固まっていた。肌に付いたそれを指で取る。桜色の再生した皮膚が見えた。
腫れも収まり、傷は塞がっている。
「もう大丈夫です」
僕の言葉に、フレアは素足のまま座席に胡坐をかいた。
馬車に乗ってから初めてこちらを見詰めてくる。
「あんた、本当に凄いわね。朝起きたら痛みがなくてびっくりしたわ」
「それは良かったです」
言いながら、バッグから板と細い棒を取った。
「それと、これを差し上げます」
「何、それ」
「僕も先師から頂いた、文字を書いても消せる板です。これで文字の練習をします」
「文字の練習」
「はい。文字ですが頭は記号としか捉えません。その為に初めは左右逆に覚えてしまったりもします。まずは二十六字をしっかりと覚えて下さい」
不思議そうに板を眺めるブレアに続ける。
「文字は後でお手本を渡しますから、それで練習をして下さい」
「分かったわ。それで、剣の練習はどうするの」
どうやら興味は剣の練習にあるようだ。
「それには道具も必要です。後で見てみましょう」
「お金が掛かるの」
「いえ、練習ですので木の棒でいいでしょう」
「そう、それならいいわ」
安心したように深く座席に身体を預ける。
これで、少し落ち着けば眠るだろう。身体を休めさせないと、これからどんな強行軍になるかも分からない。
水筒を出し、カップにスープを入れるとパンと一緒に渡す。
「これを食べてください」
すぐに口に運び出すフレアを見ながら、僕は意識を潜らせる。
追手がどうなったかを確認しなければならない。
この周囲には不審な動きは見られない。意識を広げていく。街道、街道駅、森、追手の一団が見えた。
妖獣と遭遇した森から街道に向かっている。負傷した者が二人、それを四人で支えていた。そして、その様子は慌ただしい。負傷者の心配だけではなく、捜索も継続するようだ。
僕たちが殺された確証がない為に、念を入れての捜索だろう。
警吏がそこまで真剣に追いかけてくるのは、治安ではなく別の意味があることが伺える。
公貴に対する恐れと商業ギルドからの報酬というところか。この国も長くは持ちそうにないな。
意識をさらに広げる。
彼らが森に分け入った街道には、二人の警吏が八頭の馬を繋いでいた。
彼らが森から出てこようとする場所からは、かなり離れている。僕たちの入った街道駅からもまだ距離がある。
馬まで戻り、そこから追いかけてくるとなると。
それでも夕刻には追いつかれてしまう。
意識を戻し、僕は御者台に身体を乗り出した。
「悪いけど急いでくれませんか。この先の街道駅で二頭立てにして、そのまま領境まで進んで下さい」
言いながら銀貨を渡す。
「それは構わないが、どうしたね。そんなに急いで」
傍らでは、フレアも顔を傾げてこちらを見ている。急ぐ意味が分からないのだろう。
「どうも、王の廃位の予感がしてしまうのです。廃位になれば、領境の関は閉じられるのでしょう」
「そうですね。しかし、さすがは賢者様だ。街道の様子を見ただけで、廃位の予感がしますか」
御者は周囲に人がいないにもかかわらず、声を潜める。
「今の王様は長く持たないっていうのが、もっぱらの噂でさぁ。何せ名前ばかりの王様で、実権は何もないってね。内務大司長様の傀儡みたいなもんでさぁ」
御者の言葉が胸に刺さった。王宮官吏の実権は、よほどに強いようだ。
息を付き、
「急いで進めば、いつぐらいに着きますか」
尋ねた。
「そうだな、本気で急ぐなら替え馬を用意して夜通し進めば、明日の夜には着くこともできますよ」
「ならば頼みたいのですが」
「新たな馬を二頭に、替え馬を二頭。こっちも休まずとなるとそれなりに掛かりますが」
「分かっています。替え馬を入れて四頭、それに急ぎならば規定で七ルピアのはずですが、今渡したのとは別に、もう一ルピア払います」
そのまま銀貨八枚を握らせる
「さすが賢者様。話が早い。分かりました、ここから至急便で走りますよ」
御者は言うなり鞭を入れた。
駆けだす馬車に、僕もシートに落ちるように座った。
捜索は僕たちがそのまま森を突っ切るか、街道を進んだか。迷いながら範囲を広げていくはずだ。そうなれば、騎馬といえども行き足は遅くなる。
先行の騎馬が出るとしても、追いつかれるのは領境の街道駅のはずだ。
それもわずかにこちらが早い。
「どうしたのよ、急ぐなんて言い出して」
心配なのか、フレアが小声で聞いてくる。
「念のためです。心配いりません」
フレアには少しでも寝て、体力を戻してもらわないといけない。僕は笑顔を見せて出来うる限り優しく言った。
「何、それ。変な声」
かすかに聞こえたのは、気のせいだと思う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます