第19話 逃亡と罠
日の出と共に、僕たちは森を進んだ。
「足は大丈夫ですか」
「問題ない」
素っ気ない口調だが、フレアはすぐ後ろを付いて来ている。
今度からはフレアのことも気に掛けて進んでいこう。
「でも、どうして南に進まない」
空を見上げて、尋ねてきた。
日の方向で方角をしっかりと見ている。冷静さもあるようだ。
「街道から真直ぐに追手が来ます。少しでも距離を取りたいですから」
「追ってくるのは、北からじゃないの」
「街道から最短距離で来ます」
「どうしてそんなことが分かるの」
「意識を広げて確認をしました」
意識を広げてと言っても理解は出来ていないようだ。フレアは首を傾げる。
「でも、どうして真直ぐに来るの。吾たちの場所は分からないでしょう」
「それは、後で説明します。それより、急ぎましょう」
下草に覆われて樹々の根が露わな坂は、足元を取られて歩きにくくなる。思うように進まず、陽は高く上がって来た。
暖かさは暑さに変わり、服に付いた温度調整の聖符があっても、汗に濡れてくる。
小高く開けた場所まで進み、
「少し休みましょう」
僕は木の陰に入った。
「休憩をしてもいいの」
「もちろんです」
バッグを置き、水筒を出すとフレアに渡す。
「少し周囲を探りますので、僕のことは放っておいて休んでいて下さい」
そのまま目を閉じた。
意識を潜らせて、第一門に降りていく。
森の周囲が見えて来た。妖獣は西側の窪地に群れが潜んでいる。東からは追跡隊、思ったよりも進みは速い。このままならば一時間もすれば、ここまで来そうだ。
それだけを確認し、意識を戻した。
開けた目の前に、フレアの顔が見える。
何。思わずのけ反り、幹に頭をぶつけた。
痛いなあ。
「寝てたの」
呑気そうに聞いてくる。
「意識を潜らせていたんです」
僕はその幹に手を掛けて、木に上った。
そこからはまばらな木と下草が見える。目指すものもすぐに見付かった。
身体を起こし、周囲を警戒するフレッド。大型のネズミの一種だ。
ルクスを込めて、一気にナイフを走らせる。
ルクスを込めても手を離れたナイフからは、ルクスは消えていく。
それでも、小型の動物くらいならば、残ったルクスで仕留めることが出来た。
木を降りて、獲物を取りに行く僕にフレアが目を輝かせる。
「それが食事なの」
「違います」
答えながら獲物を手にバッグを開いた。
出したのは罠だ。後、必要なものは。
血の付いたナイフを拭い、
「フレアさん、後ろを向いて下さい」
声を掛ける。
「何、どういうこと」
「フレアさんの服に位置を知らせる聖符が貼られています。追手はそれを目印に追いかけてきています。それを剝がします」
「位置を知らせる。どうしてそんなのが」
「靴と同じで、あなた方を逃がさないためでしょう」
「それで、真直ぐに追いかけて来ているのね」
慌てたように背中を向けた。
僕はその服を持つと、身体に触れないようにナイフを走らせる。
聖符を大きめに切り取った。白い肌が目に飛び込んでくる。
その白さから目を逸らして、僕は切り取った布を罠の紐に結び付けた。
興味深そうに、フレアも覗き込んでくる。
「この聖符は温度調整の聖符の裏に描かれています。今のフレアさんの服は、温度調整が出来ませんから暑くなります」
言いながら、罠の端にフレッドを置いた。
「駄目よ、ただでさえ暑いのに」
「ですから、この外套を着て下さい」
僕はフレアから貰った外套を脱いだ。
「ここを抜ければ、新たに聖符を書きますから。それまでは我慢して下さい」
「聖符を書くの。あんた、書けるの」
「それくらいは出来ます。それよりも、ここを離れます」
その言葉に、フレアが立ち上がるのを見ると、僕はフレッドの肚を裂いた。
風に乗って運ばれるこの血の匂いに、妖獣は引き寄せられる。
足を進め、今度は東南に向きを変えた。
「ここから、西に少し行ったところに妖獣の群れがいます」
歩きながら声を掛ける。
状況を知ればフレアも安心だろうし、暑さも少しは我慢できるはずだ。
「風は東から吹いていますので、フレッドの血の匂いに誘われ、一時間もしないうちに妖獣が集まります」
「どうして、妖獣がいると分かるの」
「意識を広げて確認しました。東には追手がいます。それもここから一時間ほどの所です」
「二つをぶつけるの」
「先に追手が気が付けば、僕たちは妖獣に襲われたと見てくれます。妖獣が先に気が付けば、僕たちを食らった妖獣が襲ってきたと考えます」
「そんなことを計算していたの」
「はい。僕たちはこれから街道に向かいます」
「森を出るのね」
「出ます。ここを越えるには、時間が掛かり過ぎます」
「そう。それがいいわ。ここは歩きにくくていけないわ」
でしょうね。これだけ時間が掛かってしまうのだから。
しかし、僅かだけど下り坂になったために進みは速い。
どのくらい進んだか、遠く聞こえて来たのは闘争の音だ。妖獣の唸りに、鋼の音。
ぶつかったようだ。
これで、しばらくは追手の心配はなくなる。
この暑さだ。少しペースを落そう。
休憩なしで歩み続け、その足が止まったのは、陽が傾きかけた頃だった。
冷気を感じる。
この感覚は、妖獣。この辺りにもいたのだ。
焦っていたのか、僕らしくもない。向かう先の状況を確認していなかった。
「どうしたの」
フレアも何かを感じたのか。声が潜められる。
「妖獣です。フレアさんはここに」
「吾が殺そうか」
「剣が使えますか」
「素手で十分よ」
「では、控えていて下さい。万が一でも妖獣の血で汚れれば、街道で目立って仕方がありません」
言いながら、僕は背の剣を抜いた。
足を進める。
樹々の奥にいたのは、巨大な猿のような妖獣。こんな動物は中央大陸では見たことがない。大きく、厚い身体。いるのは六頭か。
赤く濁った眼がこちらを見る。
真直ぐに進むと、向こうも手で地面をかきながら迫って来た。まぁ、これくらいならば相手にもならない。
振り回される腕を躱し、次の一頭に剣を送る。瞬間、ルクスを開放した。
剣はその銅を両断し、身体を回転させながらもう一頭の首を飛ばす。降りしきる血もルクスに阻まれて服を汚すこともない。
たちまち残りの四頭も斬り倒し、僕は剣を収めた。
振り返ると、驚いた眼のフレアと視線が合う。
「あんた、本当にすごいのね。あんた、剣士なの」
「いえ、剣士ではありません。教えて貰っただけです」
「教えて貰ったの」
目を輝かせて駆け寄ってくる。嫌な予感しかしないな。
「はい。エルグのザインという方に、教えて貰いました」
「エルグに教えて貰ったの。吾にも教えてよ」
フレアに剣を。一人で生きていくには、知っておくのもいいのかもしれない。
ただなぁ、これだけのルクスを持った人に、剣技を教えて大丈夫だろうか。
気も長くなさそうだし。
「フレアさんは、学問はどこまで進んでいますか」
「学問、何よそれ」
「読み書き、算術です」
「出来ないわよ。でも、話せるからそれで十分よ」
「僕は先師に学問を教えて貰い、ザインさんに剣を習いました。今考えれば、その二つはセットなんだと思います。頭だけでは駄目、力だけでも駄目という」
そして、生き方の為にダイムさんの教えがあった。しかし、これは裏の生き方もある。人に教えることではない。
「ですから、剣を教えるには学問も同時になります」
「読み書きと計算を教えてくれるの」
「フレアさんに学ぶ意思があるのでしたら」
「だったら、教えて」
フレアが身体を乗り出した。
「学問を教える者を先師と言い、習う者を修士と言います」
言いながら、僕は足を進める。
とにかく、一刻も早く街道に出なければならなかった。
「修士は、先師を敬う。それが学ぶための基本です」
「分かったわ、分かりました」
フレアが言い直す。
敬うという考えが分れば、短気さも少しは収まるだろう。前向きに考えよう。
「教えるのは、街道に出てからになります。街道駅で馬車を借りますので、それまでは急ぎますよ」
「休みなしなの」
不貞腐れたように言う。
本当に、大丈夫だろうか。人を敬うということが身に付くのだろうか。
僕は失敗したのかもしれなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます