第18話 治療と休息

 

 日が傾き、森が暗くなった頃に僕はやっと足を止めた。

 少し広い場所にバッグを下ろす。休むことを確信したのか、フレアがその場に腰を落とした。

 足場の悪い森の中を休憩もなしで歩き続けたのだ。慣れていない少女にはきつかっただろう。

 でも、フレアは泣き言一つ言わずについてきた。

 自分の感情を抑制出来ない子供だと思ったが、強い芯を持っているようだ。


「今日はここに野営しましょう」


 僕は近くの枝を集め、それに火をつける。

 その火に四つん這いのままフレアが近づいた。どこか様子がおかしい。


「足が痛いのですか」

「靴が合わないのよ」

「そうですか、少し見せてください」


 バックから布を出した。

 フレアは顔をしかめながら靴を脱いだ。足首と踵から血が流れている。

 身体はルクスで護られているのだ。この傷が付くのはおかしい。


「足をこちらに」


 言うと、素直に僕の膝の上に足を置く。

 血の流れる傷口を見た。皮膚が破れてめくれ上がっている。よくこれで歩けていたものだ。

 傷口に薬を塗り、布を広げた。ストックしていた傷用の聖符だ。

 それを薬の上に巻き、その上から手を当ててルクスを送る。


 わずかに遅れて、

「すごい痛みが消えた」

弾けるような声がした。


 こういう声も出せるのだ。


「明日までには腫れも引いていますよ」

「あんたすごいのね」


 嬉しそうに言いながら脱いだブーツを取る。


「それを見せてください」


 僕は履こうとしているブーツを手に取った。

 内敷には、靴を足の形に合わせる聖印が描かれているだけだ。

 靴底を見る。そこにも聖印が描かれていた。

 ちょうど内敷の聖印に合わせるように。これは……その印を細かく見る。


「これは、誰から渡されたのですか」

「工房の支給品よ。服を売りに出るときに必要だからって、この服と一緒に買わされたのよ」

「そうですか。この靴底の聖印は、歩けば歩くほどに足を傷つけるようになっています。一定以上、その工房から離れないようにしているのでしょう」


 ナイフを取り、靴底の聖符に傷をつける。これで聖符の効力は消えた。しかし、靴にこの聖符があるのならば、一緒に買わされたという服には。

 意識を集中する。


 服に付く温度調整の聖符に重なるようにもう一つの聖符を感じた。

 ルクスを発信するような聖符。常に着ている者の居場所を教えているのだろう。

 彼女は奴隷ではない。しかし、工房の所有物であると印されているのだ。領主にとって、領民は所有物でしかない。それは工房でも同じなのだろう。 

 これは今は触らない方がいい。後で利用させて貰おう。

 僕は靴を返した。


「この靴は明日まで履かないほうがいいです。その間に傷を治しましょう」

「こんなものを売りつけていたのね、分かったわ」


 フレアは返された靴を叩きつけるように横に置く


「でも、それだけ足が痛ければ、なぜ言わないのですか」

「言ったところで仕方がないでしょう。休んでいるわけにもいかないのだから」


 状況が状況だけに、先を急ぐ僕を必死で追いかけてきたようだ。自分勝手だと思ったが、それは訂正しないといけない。


「申し訳ありません。僕がフレアさんの状態をよく確認すべきでした」

「な、何よ、あんた公貴でしょ。公貴が何で謝るのよ」

「公貴とかは関係ありません。間違えれば謝るのは当然です。今度から痛いところがあれば言って下さい」

「い、いいわよ、別にそんなこと気にしなくても」


 どうしたのかフレアは顔を真っ赤にして大きく手を振る。しかし、元気になったのはいいことだ。

 僕はバックから包みとケトルを出した。ケトルの蓋を開けて、持ち上げた取っ手にその蓋を付ける。

 後は、蓋に冷気と風を集中するだけだ。

 すぐにそこから湧き出るように、水が落ちる。


「な、何よそれ」


 フレアが身体を乗り出した。


「空気中の水分を集めています。蓋の温度が下がり、空気中の水が結露して水になります」

「結露」

「そうです」


 言いながら、包みからパンと水鳥の燻製を出した。


「空気の中に水があるの」

「あります。相対湿度と言いますが、それは一定以上の温度に下がれば水になります」


 切った燻製をパンに挟み、遠火で温める。


「そういえば、あんたが吾の身体に触れた時に凄い衝撃が来たけど、あれは何だったの」

「ルクスをフレアさんの身体の中に打ち込みました。フレアさん自身のルクスも巻き込んで衝撃を送る技になります」


 水に満たされたケトルを焚火に掛けた。


「それで、あんたのルクスでも吾を倒せたのね」

「そういうことです」


 暖めたパンをフレアに渡す。


「それで、フレアさんは、これからどうしたいのですか」


 ケトルに緑の塊を落とし、焚火から外した。カップに注ぐと緑の液体が湯気を上げる。

 エルドラの木から取った樹脂だ。煮詰め、乾燥させれば甘みの強いお茶になる。


「遠い場所に行こうと思うだけ。何が出来るかを考えないと」


 パンを口に運び、カップのお茶を飲むとその顔に笑顔が広がる。


「何、これ。美味しい」

「僕の国のお茶になります。疲れた身体には、甘いものがいいですから」

「お茶もだけど、このパンとお肉もよ。美味しいわね」


 朝からずっと森の中を歩きっ放しだ。食事をする時間も惜しんだのだから、空腹にはよりそう感じるのだろう。

 僕は手早く食事を終えると、木の札を出した。

 このラルク王国の紋章は水蓮になる。


「遠くに行くならば、旅札を作らないといけません。名前はどうしますか」

「名前、フレアじゃダメなの」

「手配が掛かれば、フレアではまずいです。別の名前にしなければいけません」


 その言葉に、少女は僅かに考え、

「じゃあ、フレイドね」

あっさりと言う。


 何か考えることがあるのか。それとも、知った人の名前か。まあ、問題はないだろう。

 僕は木の札に名と紋章を彫り込んでいく。


「それは、旅札なの。偽造するのか」

「はい。旅札がないと関を越えれませんし、宿にも泊まれません」

「そうなの」

「フレアさんは先に休んでください。明日も早いです」

「いいの」

「構いません。僕はもう少し時間が掛かります」


 バックから出した布を渡す。


「ありがと」


 お礼も言えるんだ。

 フレアはそのまま焚火の反対側に行くと、布に包まる。


「変なことしたら、殺すわよ」


 しないよ、最後にそれですか。お礼も言える人かと思ったが、認識は変えない方がいいな。

 そのフレアは、すぐに寝息を立て始める。

 さすがに疲れていたのだろう。その背中から目を離し、僕は旅札にナイフを走らせた。


 後見人の名前に、ボルグ・ロウザスと刻む。旅の目的は使用人だ。

 全てを彫り終えると、大きく息を付いて空を見上げた。

 真円の月が、枝葉の間から光を降り注いでいる。


 領境はどのくらい先にあるのか、追手がどこまで来ているのか、確認しておかなければいけない。

 目を閉じた。

 意識が静かに沈んでいく。慣れたもので、すぐに第一門が見えて来た。


 同時に意識が広がった。

 月に輝く傷ついた森。歩いて来た時は分からなかったが、倒木も多い森。妖獣の群れが幾つも見える。これも王の在位が短い証なのだろう。

 森の先、小さな港町。思ったより進めていない。


 それに、ここからは中北守護領地の領境までは見えない。僕の感知できる範囲を越えているようだ。

 街道は――武装した警吏隊が野営をしていた。真っ直ぐにここを目指すのだろう。フレアの聖符を追われれば、明日の夕方には追い付かれてしまう。

 しかし、それでも今日の移動はここまでだ。これ以上は、フレアの足が持たない。


 そのまま意識を潜らせた。

 毎朝の習慣にしていた魂の浄化は、明日の朝では時間がない。

 僕は、ゆっくりと意識を沈めて行った。

 

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