第17話 邂逅と始まり
街道から外れ、森の中に分け入ったところで少女を下ろした。
周囲から感じる微かな冷気は、妖獣のものだろう。しかし、それも距離がある。
僕は木の幹に背中を預けた。
どうしてこうなったのか、少女に目を落とす。
打ち込んだルクスの衝撃は抜けたようだ。それでも、膝を抱え込み震えている。
赤い髪と瞳の少女、エルムの血が入ったエルグ種の少女。
最初に肩を持たれた時、そのルクスに衝撃を受けた。普通の人では、感じたことのない強さだった。
怒号と悲鳴が遠くで聞こえ、慌てて走り出した少女を思わず追ってしまった。
そして見たのが、先ほどの光景だ。
相手は商業ギルドの正規商人と公貴、ルクスの強さは人並み以上のはずだ。それが、一瞬でルクスを破られていた。
振り回された拳を受けるのに、僕のルクスも削られた。
一体、この少女は何なのだろうか。
「落ち着きましたか」
僕はその前に腰を落とした。
「何よ」
その顔が上がる。瞳は燃えるように赤く輝き、頬に浮かび上がる痣も焔のように思えた。
「あれ以上すれば、殺してしまいます」
「殺すつもりだったの」
「あの女の人が、殺されたからですか」
「アリスアは、いい人だった。みんなを思いやる、綺麗な人だった。それを、公貴のブタ共は踏みつけ、蹂躙した。生きている価値もない」
「気持ちは分かりますが、身を護る以外に人を殺せば、あなたのルクスが穢れを帯びます。赤い靄が、ルクスに刻まれます」
「何よ、それ。でも、刻まれてもいいわよ。みんな殺せるなら」
「殺してどうするのですか」
「どうもしない。ただ殺すだけよ」
友人を殺された怒りに焼かれているのか、それとも、破滅型の人なのか。
「ルクスの汚れが刻まれると、それは消すことが出来ません」
「この先、吾には何もないの。この腐った泥沼を殺せるなら、吾はそれでもいい」
意識はそこに固定されてしまっているようだ。一度そこから考えを外さないといけない。
「『あ』とは何ですか」
別のことを尋ねた。
「『あ』とは吾よ。『あ』のことよ」
言いながら自分を指さした。『ア』という名前のようだ。
「そうですか。僕はボルグといいます」
「ボルグね、あんた歳はいくつ」
「十八になります」
「そう、吾は二十よ。敬いなさいね」
目も向けずに言ってくる。
固定されていた意識からは外れたようだ。
しかし、僕はとんでもないものを拾ってしまった。ここは早く逃げなければいけない。
「公貴なの」
重ねるように、尋ねられた。
「公貴というか、その隠し子といいますか」
カイラム家は公貴に位置したが、今は断絶されている。平民になるが、それでは旅札が偽造になってしまう。困りながら答えるしかない。
「どちらにしても、公貴なのね」
吐き捨てるように言う。
「『あ』さんは、公貴ではないのですか」
途端に頭を叩かれた。ルクスを内に回しているから、小気味いい音と痛みが響く。
何で叩かれたのだ。
「あは吾のことよ、名前じゃないわよ。名前はフレアよ」
どうやら『あ』というのは私、僕ということのようだ。しかし、叩いた理由はそれだというのか。
「だいたい、公貴なわけないじゃない。農夫の家の出よ」
「そうですか、ルクスが強いので公貴かと思いました」
言いながら立ち上がる。これ以上は関わらないほうがいい。
「どこ行くのよ」
その裾が掴まれる。
「僕はエスラ王国に急ぎます」
「もう少し待ちなさいよ。まだ意識の焔を抑えられていないの」
意識の焔。それはエルグの第一門にいるという獣のことだろうか。
興味を引かれ、僕は腰を下ろした。
エルグの民は、母親の胎内に入り込んだ妖気が、胎児のルクスを蝕んで生まれたという。
蝕んだ妖気はザインが言っていたように第一門にいるのだろうか。
意識を集中して少女のルクスを見る。
大きなルクスは揺らめき濁っている。しかし、ルクスの傷である靄はないようだ。
悪人ではない。そう思った瞬間、ルクスに赤い閃光が瞬いた。
初めて目にしたルクスの光りだ。
だが、見えたのはその一回だけ。
しばらくすると、裾を掴む手は外された。
あの光は妖気の光だったのだろうか。僕は再び立ち上がった。
とにかく、ここに長居は無用だろう。
「どこ行くのよ」
「エスラ王国に急ぎます」
同じ質問に、同じ答えだ。
「待ちなさいよ」
背を向けるローブが掴まれる。デジャブか。
「吾を置いてくつもりなの」
「ここからは、フレアさんの方が土地勘もあるでしょう」
「そういう問題じゃないわ。今頃、捜索隊も出ているわよ」
「捜索にはもう少し時間がかかります。商人の旅札を取りましたから、この地の商館に逃げ込んでも、身元確認から始めなければならないはずです」
「それで、あの禿親父から奪ったのね」
言いながらフレアも立ち上がる。
「このまま国を横切って、エスラ王国に行くの」
「そうです。中央街道で横断します」
「吾も連れて行きなさい」
「嫌ですよ」
思うより先に言葉が出る。再び頭が叩かれた。何なんだ、この人は。
「何でよ」
「それですよ、それ。人にものを頼む態度じゃないでしょう」
「態度、大事なのは心でしょ」
「心が現れるのが、態度です」
「細かいのね。まさか、吾をここに放っておくつもりじゃないでしょうね」
まるで自分が巻き込まれたかのように言う。巻き込まれているのは、僕の方だ。
「さっきも言ったように、あなたには土地勘もあります。好きな所に逃げればいいでしょう」
「土地勘なんてないわよ。吾は、自分の集落と裁縫工場しか知らないの。ここがどこかも知らないのよ」
知らないって。
少女を見る。赤い瞳には故郷を捨てる決意が見えた。国によって、住む地の領主によって民の扱いは異なる。この地も住み易い土地ではないのだろう。
このまま外北守護領地にいれば、フレアはいずれ捕まるか、行き倒れしかない。
関わりたくないタイプだが、放っておくわけにもいかない。
「分かりました。ですが条件があります」
「条件、何よ」
「あなたは、これから僕の従者ということにして貰います。いいですね」
「従者、吾があんたに仕えるの」
「形だけですが、そうして貰います。それが同道する条件です」
「分かったわよ。従者になるわよ」
決まれば、すぐにでもここを動かなければいけない。
バッグを取り、着ていたローブを仕舞う。
「外套を脱ぐの」
「これは、ローブです。大切なローブですので、森で傷つけるわけにはいきません」
「そうなの」
フレアは抱えていた外套を突き出した。
「これを着なさいよ」
通りで見せていたローブだ。三ルピアと言っていた。
「そんなお金はありません」
「あげるのよ。代わりにこのドレスもバッグに入れておいて」
横を向いたまま言う。彼女なりのお礼なのだろう。
「ありがとうございます。では、すぐにここを立ちます」
バックを戻し、その足を森の奥へ向けた。
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