第15話 暗黒大陸へ

 

 ゲートを越えて港に入ってきた人影に、クリエはベンチから立ちあがった。

 吹き抜ける海風に砂塵が舞い、人影のローブが翻った。

 三年ぶりの再会だが、見忘れるわけもない。あぁ、大きくなったな。

 向こうもこちらに気が付いた。深緑の髪が風になびく。

 私は駆け寄ると、その肩を抱いた。


「アムル君、久しぶりです」

「どうしたのですか、こんな所に」


 アムルが頭を下げた。

 ここに私がいることに驚いているようだ。

 無理もない。ここは外南守護領地、彼が捕らえられていたエルドニア牢獄の近くになる。

 王都からは馬車で二十日も掛かったのだ。


「ウゼル王国から連絡文を見たのですよ。そろそろ着くころだと思い、待っていました」

「わざわざ、僕の為にですか」

「アムル君の為だからです」

「そんな、僕は大陸を回っただけで、何の仕官も叶わずに帰ってきました」


 自嘲するように言う。

 身体は大きくなったが、まだ自分自身の本当の価値を分かっていないようだ。


「それでいいのです。もし、アムル君が地方の官吏にでもなるようならば、私は引き戻すつもりでした」

「引き戻す、ですか」


 驚いたような顔を向ける。


「そうです。人の行く末は最初の一歩目で決まります。私のように慎重に短い一歩を進めば、行く末もしれています。アムル君は妥協せずに大きく踏み出し、遠くに行かなければなりません。地方の官吏などで、埋もれてはいけないのです」

「本当に進めるかも分かりません。それよりクリエさん、以前にも言いましたが僕に敬語は不要です」


 困ったように言う。そう言われて困るのは私の方だ。彼が抑えているはずのルクスさえも私には威圧を感じさせる。


「アムル君、君の今の本当のルクスを見させて下さい」


 その目を向けた。

 アムルがわずかな躊躇いを見せるや、叩きつけるような威圧を感じた。 

 解放されたルクスは物理的な力を持ってローブをも広げる。


「その力ですよ」


 思わず呟く。十五の時ですら、圧倒的な威圧感があったのだ。ルクスが安定する十七を超えた今は、その比ではない、

 印綬の継承者にも匹敵するほどだ。


「私のほうが歳は一回りも上ですが、アムル君の歩んでいる道は私の遥か先です」

「道は異なると思います。それに、この僕のルクスは借り物です。僕の意識がルクスの河に繋がった為に、ルクスが流れ込んでいるだけです。僕自身のルクスは抑えている時の力程度です」


 謙遜するように言うが、借り物でもそのルクスを彼は制御しているのだ。


「現に、このルクスには自浄作用がありません。僕は魂の浄化に焼かれなければ、ルクスを汚してしまうだけです」

「魂の浄化を、今も行っているのですか」


 とんでもないことを言ってくる。魂が焼かれるのだ。その痛みは意識に刻まれ、尋常でない苦痛だという。それを毎日行うのか。


「はい。起きて最初にするのが日課になりました。ですから、僕に敬語は不要です」


 その言葉には苦笑しかない。自分がどれほど凄い存在か、どれほどの可能性を秘めているかを知らないのだろう。

 いや、不意に気が付いた。この真っ直ぐさこそが、ルクスを制御し得る力なのだ。


「人を敬うのに、歳もルクスも関係ありません。私は、君を認めているのですから」


 その言葉に、アムルは再び困ったように笑い、

「ありがとうございます。」

頭を下げた。


 だから、頭を下げられても困ってしまうのは、私の方だ。


「ところで」


 彼のその目を見る。瞳の奥に見える闇、吸い込まれそうで、捕らえられれば二度と抜け出せないような闇。

 しかし、これは彼の抱える闇ではない。彼が見てきた闇であり、経験してきた闇だ。

 今度は逸らすことなく、その目を見た。


「暗黒大陸に行くそうですね」


 暗黒大陸、ルクスが妖気に蝕まれて生まれた人種妖、エルグの民のために創聖皇が新たに作った南の大陸だ。

 怒りの感情に妖が暴走する危険な人種で、文化の低い未開な蛮族の世界。

 ラルク王国とエスラ王国の二国があるが、共に王の在位期間は短く、その為に人心と地は荒廃し、妖獣も徘徊する暗黒の世界。

 どうして、そんな危険な大陸に行くのか。


「中央大陸では、駄目なのですか」

「どの国も同じようなものでした。純血主義が強く、他国の者の話には耳を傾けません。それに、エルスのケルビス王国は王が廃位され、エルムのエリス王国に至っては二十年近く王が立たず、国は荒廃しています。このままでは沈むしかないでしょう」

「しかし、新たな王が立てば施政も変わります」

「世界を見るには、行かなければいけません。ここに僕の居場所はありませんでした。それに、エスラ王国に新王が立ったそうです。その人となりを見ておきたいのです」


 決意は変わらないようだ。


「危険な国ですよ」

「身の護り方をザルツという方に教えて頂きました。ザルツさんは、エルグの民で、親切にして頂きました。危険な人は、どの国にもいるものです」


 アムルの声が重い。そう、彼は十五の歳から三年以上も大陸を旅したのだ。危険な目にも合って来ただろう。


「分かりました。これ以上、私は止めません」


 大きく息を付き、ベンチに腰を下ろした。

 隣にアムルも腰かける。

 ここからは港が見下ろせた。

 沖合に泊まった船に荷物を満載した連絡筏が何艘も向かっている。中央大陸にも海峡はあり、そこを渡る船はあるが、あれだけの大きな船は初めて見る。

 海棲妖獣の回遊する荒れた海を渡るための船だ。


「クルスさんは、お元気にされていますか」


 アムルが静かな声で尋ねてきた。


「父はあれからすっかり元気になりましたよ。本当は一緒に来たいと言っていたけれど、長旅になりますので、家で研究しています」


 答えながら、あの苦労が思い返された。

 父上は、最後まで行くと言ってきかず、旅装を解くこともしなかった。家人、使用人総出で引き留めたのだ。

 あの歳で二十日以上、往復で一か月を越える馬車の旅は過酷すぎる。今でも父上は納得していないだろう。


「そうですか。このローブには助かりました。今も乗船券を簡単に買えました」

「役に立ちましたか。しかし、それはあくまでも、ボルグさんの代わりですよ」

「いえ、それに応えて下さったのは、クルスさんです。おかげで、色々な国の図書館にも入れました。ありがとうございます」

「それは良かった。しかし私もお礼を言わないといけない。私もボルグさんからの紹介状を見させて貰ったのです。君の先師であるボルグさんは、父の天敵のようにルクス学を否定していた。その人が、アムル君のルクスを褒め称え、父の研究に沿ったルクスを教えたとあった。それだけで、父の苦悩は払拭されたのですから」


 そしてそれは、私自身も同じだ。

 父上と共同で研究をした理論が、実践で証明されたのだ。これほど心躍ることはなかった。

 間違いがなかったという結果が、目の前にいるのだから。


「それでは、クリエさんたちも僕の先師になりますね」

「先師ですか。父はどれほどそれを誇りにするでしょう」

「誇られるほどの人になれるように、頑張ります」


 俯いて言う。

 胸を張れと言いたいが、これがアムル君の強さなのだろう。今の自分に満足せず、常に歩み続ける強さなのだろう。

 私は傍らから厚い本を出した。


「これは、父と私で記した研究論文になります」


 分厚い紙を木の板で製本した論文だ。ルクスと妖獣、そして真獣についてまとめたものだった。


「発表する場は、既にありません。しかし、アムル君には役立つかもしれませんから」


 これを手渡すために、ここまで来たのだ。


「いいのですか、僕が頂いても」

「アムル君に、持っていてほしいのです」

「ありがとうございます」


 彼の声に重なるように、鐘の音が響きした。

 乗船の合図だ。

 港の連絡筏に人が集まってくる。沖合に泊る帆船もマストに水夫が登っていくのが見えた。

 名残惜しいが、時間のようだ。


「気を付けて。また、王都に入れば連絡を待っています」


 私の言葉に、アムルは深く頭を下げる。


「分かりました。必ず連絡します」


 言葉を残して、ローブが翻った、

 暗黒大陸に向かうならば、二度と会うことはないかもしれない。

 しかし、私にはなぜか確信に似たものがあった。必ず再会できるという確信に似たものが。


 何度も振り返るアムルに手を上げる。

 私に挨拶はいいです。しっかりと、世界を見て下さい。想いを込めて、私も手を上げた。

 また会いましょう。

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