第13話 隠し財


 石畳の通りと建物は、傾いた陽に赤く染まっていた。

 僕は通りを横切ると、碧に輝く尖塔が並ぶ王宮に足を向ける。

 しばらく進むと見覚えのある建物が見えて来た。

 ドーム状の屋根を持つ王立ユリウス学院。僕の通っていた初級学院だ。この先に僕の住んでいた屋敷がある。

 全てが懐かしかった。駆けるように通りを曲がる。


 目の前に見える屋敷、広い芝生の庭園と三階建ての重厚な建物、見慣れた景色だ。

 門の脇には、新たに作られたのだるう門衛小屋までがある。

 しかし、僕の足はそこで止まった。息までが止まりそうになる。

 芝生で遊ぶ子供の姿。歳は十歳くらいだろうか、あの日の僕と重なって見えた。


 僕は深く息を吸い、かつての屋敷を見る。

 玄関ポーチに馬車が引かれていた。

 僅かに遅れて大きな扉が左右に開かれ、ローブを纏った男が出て来る。口髭を立てた壮年の男。あの男が、キリエスだろうか。

 その身を包むルクスには黒い靄が纏わりついていた。

 男は駆け寄る子供の頭を撫で、手を上げてそのまま馬車に乗った。同時に二頭立ての馬車は庭を回り、通りに出て来る。

 その馬車を見送り、僕は通りを渡ると門衛小屋に声を掛けた。


「そんな格好しても、キリエス様は子供に会わないぞ」


 小屋から出てきた二人の衛士は、僕の姿を見て笑う。


「どうした、親父さんのローブを借りて来たのか」


 長い裾が地面を擦っているのだ、借り物とも思われても仕方がない。


「どうしても、キリエス学院長にお会いしたのです」

「無駄だな、それにキリエス様は先ほど王宮に向われたばかりだ」

「そうですか」


 肩を落とした振りをして、僕は背中を向けた。

 やはり、あの男がキリエスだ。あのルクスを見る限り、クルスの言っていたことは真実のようだ。

 ボルグ先師には申し訳ないが、会わずにいたほうがいい。

 早くなる呼吸を抑えながら、足を進める。

 そして、もう一つ分かったことがる。いや、分かっていたことだ。ここに僕の居場所はないのだ。この国に、僕の居場所はない。その現実を目の前に突き付けられた。

 足元の地面が崩れていくように感じる。それでも、僕は足を動かした。

 ここから離れるように、王宮から離れるように。


 この先、公貴の屋敷群を抜けると商業区がある。リスティーゼ通りはその隅にあるはずだ。

 商業区に入る頃に、馬車道と歩道を分ける街灯を白い長衣に身を固めた男が、手を触れていく。

 同時に光が灯り、暗く染まりだした通りを照らし出した。

 その先に見えだした商業区は、さらに明るく輝いて見える。行きかう人も多い。

 その明るい中でも、リスティーゼ通りを見付けるのは苦労した。確かに地図がなければ分からない。


 その通りとは名ばかりの路地の入り口に立った。

 ここに商業区の明かりは届かず、暗く沈んだ狭い路地には小さな明かりが点々と灯っているだけだ。

 闇には慣れている目に、その中に座り込む幾つもの人影が見える。

 ここはあまり安全な場所ではないようだ。そういえば、ザインもつまらない争いに巻き込まれるなと書いてあった。

 しかし、目指すサイクロプス亭はこの先だ。僕はその中に足を踏み入れた。路地の両側には扉が並び、酒場の喧騒が響いてきている。


 光を出して、扉に書かれた店名を見ながら足を進めた。その耳に、背後から路地に入ってきた幾つもの足音が聞こえる。こちらの歩調に合わせるようなその足音には、明確な意思が見えるようだった。

 しかし、僕はそれを無視してさらに足を進めた。

 目指す店は、路地の突き当りにあった。

 扉を開けると、喧騒は一際大きくなる。その狭い店に詰め込まれたような十数人の客の目が、一斉に僕に集まる。

 僕の歳も、この貰ったローブも場違いなのだろう。 


 見渡す彼らのルクスには、黑い靄と赤い靄が纏わりついていた。心の汚れと理由なき殺人の証だ。

 僕はそのままカウンターに進むと、中にいる男に包みを見せた。

 これが何だったのか、男は驚いたように何度も包みと僕の顔を見ると、何も言わずに奥に消える。

 わずかに遅れて、カウンターに初老の男が出て来た。そのルクスには靄は見えない。信じられる男のようだ。

 男はカウンターを開け、中に入る様にと顎をしゃくる。

 カウンター中に入ると、さらに奥にある部屋に通された。


「どこで手に入れたか、そんな野暮は聞かねぇよ」


 男はしわがれた声で言うと、壁一面を占める棚の前に立つ。


「ダイムとザインには、世話になったからな」


 言葉と同時に、棚が内側に開かれた。その先には地下に降りる階段が見える。


「付いてきな」


 光を浮かべ、男は隠し階段を下りた。

 地下にあったのは、広い部屋だ。全ての壁に大小様々な箱が収められている。


「ここに何があるか、聞いたか」

「いえ、あの包み渡すようにとだけです」

「そうか。ここはな、何でも屋兼荷物の預かり所だ。ダイムたちから預かった荷物は――これだな」


 男は昇降式の台車を箱の収められた棚に付けると、ずらすように箱を乗せた。


「わしは上で待っている。荷物を取れば箱を閉めて上がってこい」


 僕が手渡した包みを箱の上に置くと、男はそのまま階段に向かう。

 荷物の預かり所、どういうことなのだろうか。

 包みを開けると入っているのは小さな水晶だ。箱を見ると隅には銀細工が施され、そこに小さな凹みがある。

 その凹みに、水晶を嵌める。形はぴったりだ。固い音を立てて蓋が浮き上がった。

 水晶にはルクスが込められ、そのルクスの波動に鍵が反応するようになっているようだ。

 蓋を開けて、僕は息を呑んだ。


 入っているのは大量の硬貨。大振りな金貨から小さな銅貨まで、一体どれほどの金額になるのだろうか。そうだ、ダイムたちは盗賊だったな。

 好きにしろ、か。

 箱をそのままに、階段を上がった。


「一つ教えてほしいことがあります」


 階段の上から部屋を覗く。


「なんだ」


 僕の問いに男の顔が上がった。


「何でも屋だとお伺いしました。牢獄に物を入れることは出来ますか」

「正規のやり方では無理だが、看守の買収を通してなら出来るぞ。どこの牢獄だ」

「エルドニア牢獄です」

「エルドニアか」


 男の目が細められる。そこがどこか分かっている目だ。誰が入っているかを分かっている目だ。


「そこに、食料、紙、インクを送ってほしいのですが」

「政治犯の牢獄だ。買収しなければいけない看守も多い。一回、八シリングはいるな」

「分かりました」


 その言葉に再び階段を下りて、箱から大振りの金貨を取った。

 これ一枚で、畑一枚の小麦の収穫量と同じ価値がある。それを八枚となると大金だ。箱を戻し、僕は階段を上がった。

 男の前に進み、机の上に金貨八枚を置く。


「そういう事なのだな。あて名は」

「ボルグ・マクレン。合わせてこれも送れますか」


 渡されていた紹介状を置く。


「それくらいなら構わねぇ」


 返事を聞くと、キリエスの名前が書かれた横に矢印と父とだけ書いた。

 これで、ボルグ先師も分かってくれるはずだ。


「このギルムが確かに預かった。わしらは信用が要だ。すぐにでも動いてやる」

「ありがとうございます」


 言うと、机に十六枚の金貨を出した。


「どういうことだ」

「もし、三人から依頼があればそれを届けて下さい。なければ、一二年後に再び同じものをお願いします」

「えらく信用されたものだな。分かった、届けてやる」

「ありがとうございます」

「礼は構わない。だが、出していくのはそれだけでいいのか」

「路銀はすでに頂いています。今の僕にはそれで十分です」

「ガキにしては面白い奴だな。ダイムとザインもそれだから水晶を託したのだろうよ。その水晶は大事に持っておけ、それがないと顔を見知っていても、あの部屋には通さねぇ」

「分かりました」


 男は言いながら棚を戻して、階段を隠す。


「それより坊主、店を出れば襲われるぞ」

「襲われますか」


 路地に入ってからつけて来た幾つもの足音が思い浮かんだ。


「間違いなくな。その歳で、賢者のローブ。ルクスも人並と言えば、普通に見れば公貴の坊ちゃん、いいカモだ」


 ルクスか。身体を護るルクスが少なければ、確かにいいカモなのだろうな。

 内に回していたルクスを開放した。

 途端に、男が立ち上がる。


「坊主、おまえ……」

「ありがとうございます」

「バウムの知り合いか」


 出て行こうとする足は、その言葉に止められた。 


「バウムさんを知っているのですか」

「あぁ。知っているとも。気の良い奴だった」

「そうなのですか、僕は知りません。知りませんが、その方の知識に助けられました」

「バウムは死んだのか」

「たぶん」

「そうか、死んだか」

「ダイムさんたちは、盗賊とお聞きしました。どのような盗賊だったのですか」

「あいつらは、庶民には目も向けず、商業ギルドだけを狙う本格の盗賊さ。下調べをして、細工をして、お宝を掠めとる。人を殺すことを嫌う本物だ」

「そうですか」


 そういう盗賊だったのか、ダイムとザインは。盗賊が正しいことだとは思わないけど、少し安心できた。


「ありがとうございます。僕はもう行きます」


 まだ何かを言いたそうな男を残して部屋を出ると、カウンターを抜ける。

 喧騒に満ちていた店は、静寂に包まれた。ルクスの大きさとはこういう事のようだ。

 路地に出るとそのまま足を進めた。路地に潜む人影も消えていくのが分る。


 まだ明るい商店区に戻ると、一軒の店に入った。買ったものは、旅に使うバッグと布、聖符を描く水晶入りのインク。街道駅では手に入らない物だ。

 後は、このまま旅に出るだけだった。懐かしさも心残りも、もうない。

 商業区を抜けると工房区があり、その先に居住区が広がる。

 街道を結ぶ駅馬車は、もうこの時間ではないだろう。

 それでも僕は通りを進んでいった。

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