第12話 賢者のローブ
差し込む明かりに僕は身体を起こした。柔らかなベッドは支えがないようで、昨日は寝付けなかった。
ベッドを出るとテーブルに向かう。
それに合わせたように扉が開かれ、メイドが入ってきた。このタイミングの良さ、どこかで見ていたのだろうか。
「おはようございます」
早口な挨拶と同時に、抱えてきた服をテーブルに置き、椅子に掛けていた僕の服を持っていく。
その無駄がなく慣れた動きに、挨拶を返す暇もない。
「あの、それは」
「こちらにお着換えください」
それだけを言うと、足早に部屋を出て行った。
いや、着替えろと言われても見るからに高そうな服じゃないか。
しかし、今着ている借り物のこの寝間着では部屋を出ることも出来ない。
椅子に腰を落とした。
そういえば僕も五年前まではこういう生活をしていたのだ。僕の為に皆が動いてくれる生活を。その時は、それを当然だと考えていた。
着ていた服を脱ぎ、用意されたものに着替える。
生地のしっかりとした服だ。見た目に反して軽く柔らかい。裏地に記された温度調整の聖符もしっかりと保護されている。
合わせて用意されていたブーツを履く。これも足を入れるとその形に沿ってしっかりと留まった。
誂えたようにぴったりだ。
着替えを終えると部屋を出る。
表に待っていた別の侍女が、そのまま洗面所へと案内をしてくれた。
次に案内されたのは食堂だ。
誰もいない広いテーブルの一画に食事が並べられ、壁際には二人の侍女が立っている。
脱獄してからは、狩った獲物と水だけで凌いできたのだ。こういう食事も忘れている。
パンを口に運んだ。
その柔らかさと美味しさに、息が漏れた。
他に並ぶ塩漬け肉と卵に、手掴みで一刻も早く口に入れたいと身体が動きそうになる。
それでも醜態を晒さずに済んだのは、かつての習慣か、ボルグ先師の礼儀の教えか、それとも誰かの経験なのだろうか。
食事を終えると、改めて昨日の部屋へ通された。
長椅子で二人が待ってくれている。
「おはようございます。お気遣いありがとうございます」
「そんなことは気にするな」
クルスの声が響く。張りのある声だ。
「ところでアムル、旅札を見せてくれ」
その言葉に、僕は旅札を出した。
隠れ家で指示通りに作った木の旅札だ。中南、近南、王都と三つの領境の関を越えてきた。
「名はザイン・ダイムスか。なかなかに良くできておる。怪しまれたこともないだろ」
「はい」
「しかし、これでは王国内は通っても他国ではだめだ。内容が合わないし、王国紋が甘すぎる」
呟くように言うと、
「クリエ」
声を掛ける。
用意されていたのか、すぐに白い札が出された。
「この旅札を使うといい。名前はボルグ・ロウザスにしている。後見保証人はわしだ。これでも、王国八十三家の公貴の一つだから心配するな」
「学術研究の目的で、王宮にも届を出しています。正式な王国紋も刻まれています」
クリエの言葉通り、白い板には桔梗の王国紋が緻密に彫り込まれていた。
「でも、これはロウザス家の名前ではないのですか」
「わしの隠し子のものとしている。公貴ではよくあることだ」
よくあるのか、隠し子とか。しかし、これで旅札は偽造ではなくなった。
「ありがとうございます」
「世界を見て回るのは、良いことだと思う。渡したその服は旅に使うといい、イブルの毛を織り込んでいるから刃の耐性もある」
当然のように言うその言葉に、素直にお礼を言う。
「それとだ。ルクスの強さはよく分かった。分かったが、それではまずいこともある。その威圧で、多くの者が警戒するだろうし、公貴の者として狙われかねない。ルクスの抑え方を教える。何年も掛かるかもしれないが、練習はするといい」
言いながら、クルスは分厚い本を開いた。
「これが出来るのは、世界で十人もいない。出来なくて当然だから」
傍らでクリエが囁くように言う。よほど難しいのだろう。すぐには出来ないと分かって、慰めてくれているようだ。
「まずは、自分のルクスの流れを感じるようにする。それが分れば、ルクスを意識の中で八の字を描くように回すことをイメージする」
意識の中でルクスを回す。あのことだろうか。
いつものようにルクスを内向き変えて循環させる。
わずかに遅れて二人が深い息をついた。
「何で、出来るのだ」
クルスは本を閉じる。
これでいいようだ。しかし、これで表に出るルクスが抑えられるとは思いもしなかった。
「痛みが減るかと思って、魂の浄化の時に意識をルクスを巻き込むようにしていました。痛みは変わりませんでしたが、身体に無理がきくのでたまに使うようにしていました」
「そ、そうか。わしが教えることはないようだな」
「アムル君。聞きたのですが、第三門のルクスの河はどんなものなのですか」
身を乗り出してきたのはクリエだ。
「第三門に関しては、古い文献に一例しか載っていない」
クルスも身体を傾ける。
「そうですか。ルクスの河は――」
ルクスの河について説明すると、二人がメモを取り出した。
彼らは研究者なのだ。僕にできる恩返しがこれくらいならば、より詳細に話しておこう。
その美しさ、光の粒子、魂を焼く痛み、質問に答えながら見てきたことを伝えていく。
河の中の集合意識になると質問はより細かくなった。
簡易な食事を挟んで話を終えると、陽はすでに傾いていた。
「これはいいことを聞けた。感謝する」
クルムが頭を下げた。
「それで、アムル君はもう一軒紹介状を持っていかれるのですよね。どちらにですか」
「キリエスという方のところです」
「キリエス」
声を上げたのは二人同時であった。どうしたのだろう。
「ボルグの意見書をお前の父に回したのが、キリエスだ。そして、その功績で学院長になり、その後は王に取り入って寵愛を受けておる。今は、お前の住んでいた屋敷を与えられている」
「そこには行かないほうがいいです」
どういうことなのだろうか、僕の聞いた話とは違う。
「意見書を渡したのはフレオス学院長だと、ボルグ先師から聞きました」
「違う。学院長の机から盗み出したのは、ボルグが親友と思っていたキリエスだ。ボルグから意見書の内容を聞いたキリエスが、それを盗んでおまえの父親の元に運んだ」
二人には、嘘をつくとき特有のルクスの揺らめきが見えない。嘘はついていない。
ボルグ先師は親友に裏切られたのか。
「アムル君が、先にここに来てよかった。そうでなければ、危なかった」
「ありがとうございます。そうですか」
「今日も泊っていけ」
慰めるようなクリエの提案に、僕は慌てて首を振った。
それは困る。至れり尽くせりだけど、僕にはゆっくり休むことが出来そうにない。
それに、今の僕には好意に対してどう反応すればいいのか分からないのだ。どう応えればいいのか分からないのだ。
頭を下げ続けるしか出来ない。
「いえ、キリエスという人のルクスも見たいと思います」
「そうだな、ルクスが見えるのだったらどういう者なのかも分かるだろう。しかし、今から出ると遅くなるぞ」
「構いません、他にザインさんに行くように言われた場所もありますので」
「そうか。クリエ、わしのローブここへ」
「分かりました」
すぐにクリエが立ちあがり、タンスを開けた。
「先師は、認めた修士に対して自らのローブを送る。ボルグが学院にいれば、間違いなく修士に送っただろう」
クリエが持ってきたものをクルスが広げた。
「賢者のローブとも呼ばれる、学術を修めた者が着るローブじゃ。色は他の色に染められない黒。これはどんな横やりが入っても真実を曲げないことを現す。そして、袖口の白銀糸のラインは知識を求める真直ぐな気持ちを現すものじゃ」
それを僕の肩に掛けた。
「いざという時にこれを身に付けていれば、どこの国でもぞんざいな扱い受けん。持って行くといい」
「ですが、僕はまだ修士のままです。それに、これは大事なものなのでは」
「ボルグは全ての知識を与えたとあった。それに、これはボルグの代わりに渡すのじゃ。ボルグも喜ぶはずじゃ。それと、路銀じゃが――」
「いえ、路銀は大丈夫です。ダイムさんたちに十分に頂きましたので、困っていません」
慌てて手を振り、それを断る。お金なら隠れ家から持ってきたものがほぼ手付かずで残っている。これ以上、甘えるわけにはいかない。
「無理はしていないのかい。遠慮することはないのだよ」
クリエの優しい言葉に頷き、
「本当に大丈夫です。お心遣い、感謝します」
頭を下げた。
「そうですか。それではアムル君、それぞれの国の王都には、王都同士を結ぶ連絡所がある。落ち着くまで、近況を知らせて下さい。君の無事を教えて下さい」
「分かりました。ですが、僕に敬語はやめて下さい」
それには答えず、クリエはただ笑顔を向ける。
「では、玄関まで送ろう」
クルスが立ちあがった。背筋が伸び、威厳すら感じさせる姿だ。
「本当に、色々とありがとうございます」
「礼を言うのは、わしじゃ。発表する場所はないが、ルクスの研究書を書きたくさせてくれたのだからな」
笑いながら、老人は足を進めた。
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