第11話 紹介状
クリエはため息を付くと、扉をノックした。
呻き声のようなかすかな声が聞こえる。
背筋を伸ばして扉を開けた。
壁一面を占める窓から、外を眺める細い背中が見える。
ゆっくりと足を進め、椅子の側で片膝をついた。
「父上、客人が見えられました」
その言葉に顔が上がる。しわの刻まれたやせた顔。かつてのふくよかで温和な顔立ちは見る影もない。
「客、そんな者に会いたくもない」
吐き捨てるように言う。
「これを渡すように頼まれました」
父上にざらざらとした品質の悪い紙を見せた。
紹介状と書かれているが、この紙では失礼になる。本来ならば断わるところだが、差出人の名を見て持ってきたのだ。
父上もその名に目を落としている。
かつて勤めていたベルツ上級学院の同僚だった者の名だ。ルクス学の先師をしていた父上に、ルクスは学術ではないと罵倒していたボルグの名前だ。
「もう、八年も前に王宮宝物の盗難未遂の冤罪で捕縛されたはずだが」
「はい。罪の理由に出ることはないはずです」
「そのボルグの紹介状か。持ってきたのは、どんな奴だ」
「それが父上、まだ子供です」
「いたずらか」
「いえ、子供のはずなのですが、そのルクスは尋常ではありません」
「下らんことを、手を合わせたのか」
「それは出来ませんでした。それをさせる隙もないほどの威圧感です」
「お前が感じる威圧なのか」
言いながら父上は紹介状の封を開いた。
何が書かれているのか、その顔に驚きが広がっている。父上のこのような顔を見るのは、いや感情を見るのは、何年ぶりだろうか。
ベルツ上級学院の学院長が変わるや、途端にルクスは学術にはならないとして父上は追い出された。
残した研究成果は全て灰にされ、この国では今後ルクスを学ぶことはもう出来なくなったのだ。
ルクスに一生捧げてきた父上の失意は、どれほどだろう。それからは、ただ庭を眺め老け込むばかりだった。
そして、それはこの私も同じだ。
今では隠れて、細々とルクスを研究するしかない。
どのくらい経ったか、
「連れてこい」
不意に落ちてきた声に顔を上げた。
「こちらにですか」
「そうだ。ボルグの最後にして比類なき修士とやらの顔を、見てやろう」
「分かりました」
立ち上がると部屋を出る。
父上の顔に赤みがさした。怒り、悲しみ、どんな感情であろうと、たとえ結果どんなことになろうと、それが嬉しい。
人としての感情が見えたのだ。研究成果と同じように灰になった父上が、顔を上げたのだ。その顔に誇らしかった頃の父上の顔が重なった。
廊下に使用人が立っているが彼らを使うことはしなかった。これは、親子の問題だ。
ホールに入ると、佇む少年を見る。
痩せた身体に、色褪せ、ほつれた服を着ているが卑しさはない。溢れ出る威圧感がそう見させないのだ。
「ついてきなさい」
それだけを言うと再び部屋へと戻る。
「父上お連れしました」
父上は立ち上がりこちらを見ている。
部屋に入る前から、父上もこの威圧を感じているのだ。
「紹介状には修士としかなかったが、名は何という」
「名前が書かれていなのでしたら、僕に名はありません」
静かに少年が答えた。
「名無しか、歳はいくつだ」
「数日で十六になります」
「十六だと」
思わず声に出た。十五でこのルクスなどありえない。十五ならば、ルクスも安定していないはずだ。
「第三門まで辿り着いたとあった。もし、わしの前に立つならば、ルクスの河に入ったとも」
さらに問いかける父上の言葉に、何も言えなくなる。
「はい。普遍的集合意識に吞み込まれました」
「そこから出てこられたというのか」
その言葉に気が付く。
この少年は噓を言っている。ルクスの河から出られるわけがないことは、父上の研究でしか明かされていない。そして、それは灰になって発表もされていないのだ。
では、どこまでが本当でどこからが嘘なのか。
しかし、次に答えた少年の言葉は、その私の思いを打ち砕く。
「ルクスの河から自力では出られないそうです。僕が意識の奔流に呑み込まれた時、光が現れ教えてくれました。光は僕のルクスを根こそぎ使って、そこから引き揚げてくれました。そうでなければ、ここに立っていません」
「そうか」
父上が呟くと、こちらに顔を向けた。
「客人じゃ、茶を用意させなさい。名の無き子よ、こちらに来なさい」
父上は立ち上がると奥のソファーへ案内をする。
なるほど、確かに客人だ。すぐに扉を開け、控える使用人にお茶を言いつけた。
「それで、ボルグとはどこで会ったのだ」
長椅子に腰をおろした少年に、父上が顔を向ける。
「エルドニア牢獄です。そこで僕はボルグ先師、ダイム、ザインという二人の方に出会いました」
語りだす少年の言葉に、身体が震えだす。
あり得ないことの連続で、信じられるものではない。しかし、この威圧感を見ればそれを納得するしかない。
「それで、光はイレギュラーを助けはしないが、観察するといったのだな」
語り終えた少年に、父上が尋ねる。
「はい」
「そうか、それでおまえはわしらに何を望む。経済的援助か、庇護か」
「求めるものはありません。ボルグ先師の手紙で、こちらともう一軒に必ず寄るようにと記されていたので、参りました。援助も庇護も必要はありません」
「必要ないか。それでは、これからどうするのだ」
「世界を見て回ります」
「どうして」
「ボルグ先師に不意に問われました。ここを出て何をしたいかと。僕は歪な国を直したいと答えました。そのためには、世界を見なければなりません」
「国のかじ取りか。しかし、おまえは印綬の継承者にはなれない。光がイレギュラーといったのはそういう意味もある。では、王宮官吏の内務大司長を目指すか」
それを口にした瞬間、少年の顔に表情が浮かんだ。すぐに消えたが、あれは苦しみの表情だろうか。
「いえ、王宮官吏は国を導く仕事ではないと知りました。僕はそこを目指しません」
「それではどうするのだ」
「それを探すために、世界を見てきます」
「そうか。ボルグからの紹介状は見たか」
「いえ、見ていません」
「書いてきたのは自分の修士の自慢だ。あいつはいけ好かない奴だが、学術に対しては驚くほどに真摯に向き合っている。話を盛ることも、学術に対して冒涜と考える。これはすべて真実なのだろう。そして、これには意味があることも分かった」
「意味があるのですか」
「わしはボルグと仲は良くなかった。むしろ、互いに嫌っていた。しかし、それでも紹介状を寄こしてきた。わしに浴びせた暴言への謝罪もなく、何をしてほしいという依頼もない紹介状をな」
父上は、そこで言葉を切ると再び少年の顔を見つめる。
私もその顔を見た。
頬はこけているが、貧相さはない。
柔らかな深緑の髪は緩くウェーブがかかっている。まっすぐに伸びた鼻梁と唇は強い意志を秘めている。そして、その目は明るい瞳の奥に深淵を思わせる闇がある。
無明の世界を見てきた者の瞳だ。
私は恐怖を感じ、思わず目を逸らした。
「ボルグはわしを信じた。おまえはわしを信じられるか」
父上の口が開いた。
「信じられます。お二人のルクスには穢れが見えませんから」
少年が即答した。
ルクスが見えるのか、この子は。
驚く私の横で、
「では、わしのルクスは輝いているか」
父上が淡々と尋ねる。
「いえ、穢れはありませんが淀みがあります。それが輝きを妨げています」
「淀みか、確かに淀んでいるじゃろうな。それで、わしのことを信じられるならばもう一度聞く。名は何という」
僅かな時間をおいて、少年の口が動いた。
「僕は、アムル・カイラムです」
この子には驚かされっぱなしだ。その名をここで聞くとは思いもよらなかった。先ほど顔が曇った理由も理解できた。
「よく言ってくれたな。わしはクルス・ロウザス。こっちは息子のクリエ・ロウザスだ」
慌てて私も会釈をした。
「その顔ならば、なぜボルグが投獄されたかも知っているな」
父上の言葉に、アムルが頷く。
「これで、すべて辻褄が合った。なぜ、エルドニア牢獄で出会ったかもな。この紹介状の意味はな、ボルグからの問いかけだ。これほどの逸材、ルクス師のお前ならばどうするかとのな。ボルグは、投獄した息子に何の遺恨も見せていないぞとな。今日はここに泊まっていけ、客間を用意させる」
その言葉を残して父上は立ち上がった。
「わしは、それをこれから考える」
父上が楽しそうに笑った。この笑い声を聞いたのは何年ぶりだろうか。昔の父上が帰ってこられたのだ。
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