第10話 決意
森を抜けると断崖が現れた。
すぐ左側に大きな岩の積み重なる岩場が見えたが、まっすぐに進んだ。
重い足で駆けるように進む。
崖の中腹から流れ落ちる滝があるのだ。水量は多くなさそうだが、滝つぼとそこから流れる川が見えた。
僕はそのまま滝つぼに頭から飛び込む。
体中に水が浸みこむようにすら感じた。焼けた喉が潤され、疲れと痛みが水に溶けるようだ。
時間を忘れたように水の中に身体を預け、やっと身体を動かす。
この周辺一帯の岩は崖から崩れ落ちたように見え、左側の岩場はその激しさがうかがえる。
しかし、こんな崩れる恐れがある岩場に隠れ家など作るのだろうか。
水から上がるとその岩場に足を向けた。
地図に記された場所はすぐに分かった。一際大きな岩が目印になっているのだ。その岩の上に上がると、そこにも大小さまざまな岩が積み重なっている。
示された場所はここだ。
そこにある小さな岩を幾つもずらしていく。疲れ切った身体で、それでも岩をどけていくと穴が見えた。
でも、本当にここがダイムの記した隠れ家なのだろうか。再び崖が崩れてこの入り口が塞がれるのは怖いが、行ってみるしかない。僕の道はそこにしかないのだから。
僕はその中に身体を押し込んだ。四つん這いになったまま進むと、すぐに天井が高くなる。
「光あれ」思うと同時に小さな明かりが灯った。
消え入りそうな光だが、ルクスがわずかでも戻ったことが嬉しい。
周囲を見渡す。
床には木が張られているが、壁には手掘りをしたノミの跡が見えた。それは、ここがしっかりとした岩盤であるということだ。
他にあるのは三台の木のベッドと木の扉のついた大きなタンスが置かれている。その横には、奥に続く扉。
僕はタンスを開いた。中には何枚もの衣類と大ぶりの剣がいくつも収められている。
剣よりも服がありがたい。
腰に巻き付けたままの麻袋を脱ぐと、適当に取った服を着こんだ。がさがさとした囚人服に慣れた身体には、こんな服でも優しく感じる。
そのままベッドに倒れ込んだ。
巻き上がる埃も気にはならず、僕の意識は沈んでいった。
いつのまに眠ってしまったのだろうか。闇の中で目を開けると、枕元へ目を移す。
そうだ。慌てて身体を起こし、光を灯した。
ここは牢ではなかった。小窓から入れられる食事で時間を見るのが習慣になってしまっていたのだ。
周囲を見渡し、息をついた。
そう、僕は自由になったのだ。どのくらい寝ていたのか、ルクスが回復していることを光の強さが教えてくれる。
僕はベッドの上に座ると、ダイムの地図をゆっくりと見た。
隅に文字が書かれている。
「ここにあるものはすべて自由にしろ。奥の小部屋に小銭を隠しているので、それも持って行け」
併せて、領境の関を超えるために必要な旅札の偽造方法も書かれている。
そして最後に書かれているのは、
「髪を切れ、栄養のあるものを食べろ」
だった。
二枚目の地図は、ザインからだ。そこには王都のリスティーゼ通り、サイクロプス亭という酒場の地図だ。そこに持って行くものとして、ダイムとザインの名が記された小さな包みもある。
そこには付け足したように、好きにしろと書かれていた。
最後に書かれている文字を読む。
「まずは身体を休めろ。おまえは強くはなったが、つまらん争いで死ぬな。そして、わしらのことは、これを読み終えれば忘れろ」
最後の地図はボルグのものだ。
それには、王都の交流のあった二人の先師の名が記されていた。
「必ず力になってくれるので訪ねるように」
その紹介状まで用意されている。
最後には、
「学問しすぎて頭を固くするな。一度死んだのだから、残りは余禄だ。好きなように生きろ。おまえは三人の誇りだ。ただ、生きているだけでいい」
とだけ書かれていた。
自分たちのことには一切触れず、何かを依頼をするわけでもない。頼みたいことは山ほどあると言っていたじゃないか。
それぞれの行間から溢れる優しさに、涙が止まらない。
僕は、本当にかけがえの先師に三人も巡り合えた。
疲れたと、ここで休んでいるわけにはいかない。
タンスにあったナイフを取ると、僕は自分の髪に手を伸ばした。背中まで伸びた深緑の髪を断ち切る。これは、僕の決意であり、覚悟だ。
ボルグ先師に言われた通り、僕は一度死んだのだ。
同じくタンスにあった剣とナイフを手に表に出る。三日だ。この三日で体力を回復させて、ボルグ先師の示してくれた場所に行こう。
隠れ家を出て、岩場を風上に回りながら降りていく。
ここで獲物捉えて食べなければならない。初めての猟なのだが、すべきことは分かっていた。
いや、あるのは知識だけではない。
足が止まった。
これは、経験だ。
でも、僕は狩りなどしたことはない。
その意味に気が付いた時、僕の腰は落ちた。
そうか、この経験は僕のものではないのだ。ルクスの河に入り、膨大な意識に吞み込まれた。その中の誰かの経験だ。
僕の中に入った何百、何千、何万もの意識の一欠けらなのだ。
しかし、僅かに一欠けらといってもこれだけの数だ。僕は何百年分の経験を蓄積してしまったのだろうか。
そうだ、今まで泳いだことのない僕が、牢獄の断崖から対岸まで泳ぎ切ったのだ。それも誰かの経験によるものだったのだろう。
僕は本当に生かされている。
見も知らぬ多くの人に支えられて、僕は今ここに生きている。
一体どれほどの人々に支えられ、そして、一体どれほどの人々の思いを背負ったのだろうか。
だったら、尚さらだ。尚さら生き抜かなければならない。
イレギュラーの駒。準備も、期待もされていない駒。
僕という駒が、どこまで足掻けるか。足掻きながら進んでいくしかない。
僕は、立ち上がった。
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