第8話  浄化

 

 あれからどのくらいの時が過ぎただろうか、その日は突然訪れた。

 闇の中に金色の河が見えて来た。

 焼かれる痛みへの恐れよりも、いつも美しさに心が惹かれる。


 ルクスの河が目の前に迫り、光の粒子が飛沫のように跳ぶのも見える。

 同時に、意識が焼かれる痛み。耐え難い痛み。すぐにここを離れなければいけない。

 上がれ、意識を集中する。


 次の瞬間、不意に痛みが消えた。意識は上がっていない。

 飛び散る飛沫は意識に当たり、暖かさに変わり広がる。疲れ切った頭と身体を優しく癒してくれているようだ。

 魂の浄化は終わったのだろうか。


 暖かさの中をただ、漂っていく。

 心地よさに、ここを離れたくない。

 思った時、ボルグ先師たちの顔が浮かんだ。そうだ、僕には帰る場所がある。帰らなければいけない場所がある。


 離れがたい思いを振り切り、意識を引き上げた。

 身体を起こすと、いつものふらつきがない。頭は冴え、身体も動く。心は至福に満たされたままだ。

 何だこれは、初めての感覚だ。


 いつの間にか、次の食事が運ばれている。それだけの時間が経っていたのだ。

 でも、食事は後だ。

 急いで通路を渡り、先師の牢の石組に手を伸ばすと、それは内側から開かれた。

 ボルグ先師を中心に、ダイムとザインが迎えてくれてる。


「やったな、アムル」


 僕が口を開く前に、先師の手が伸ばされた。


「魂の浄化が終わったのだな」

「どうして」


 その手を握り、中に入る。


「その圧倒的な威圧感、外にいても響いてくるじゃねえか」


 ダイムが嬉しそうに言う。

 威圧感、ルクスがそこまで強くなっているのだろうか。


「あれから二年か。しかし、十五の子供の持つルクスじゃないな」


 ザインが言いながら、椅子を引いた。


「講義はここまでじゃ。これからは修士の未来について話す」


 ボルグ先師が腰を下ろし、僕も引かれた椅子に座った。


「僕の未来とは、どういうことですか」

「以前に言っていた、修士が自由になれる唯一の方法じゃ。そして、それは修士が生きる唯一の道になる」


 自由になる方法、僕が生きる唯一の道。


「おまえ、普段歩くのもふらつくだろう」


 ザインが横に座る。


「おまえ自身も体力の衰えには気が付いているはずだ」

「はい、身体が重く感じていました。でも、今日は軽いです」

「それは、ルクスの増強で一時的にそう感じてるだけだ。お前の体力はもう限界に近い」


 ダイムはボルグ先師の横に腰を下ろした。


「ここを出るには、二つの方法がある。一つは恩赦。しかし、ここは王宮からも見放された牢獄ゆえにそれはない。もう一つは死体として出るだけじゃ」

「恩赦がないなら、ここを出られないのでは」

「死体じゃ。ここの死体は麻袋に入れられ、重りを付けて断崖から海へ投棄される」

「でも、死んでしまえば意味がありません」

「普通はな。しかし、修士は第三門まで行きついた。ここに一つだけ方法がある」


 ボルグ先師は射貫く目を向けた。僕を試す目を。


「ルクスの河に意識を投じろ。伝承では、浄化された魂は普遍的無意識、意識の集合体に入っても壊れず、身体は仮死状態となるそうだ。そうなれば、ここの医術者が見ても死体と見誤り、その身体は投棄される」

 その内容に言葉を失くした。投げ捨てられた直後に意識が戻らなければ、そのまま死ぬということだ。


「以前にバウムがそれをした」


 バウム、僕の牢屋にいた人だ。


「ここから先は、そのバウムの受け売りだ。ルクスの河に飛び込むとほぼ一日、仮死状態が続くそうだ。この牢獄の生死確認は日に二度の食事。その二度の食事に手を付けていないと医術者が呼ばれる」


 ダイムが続ける。

 仮死状態が一日、二十四時間。食事の間隔が十時間と十四時間ならば、それを考えないといけない。それに――。


「死体を麻袋に詰めて断崖まで運ぶのは俺たちだ。その時に袋を切るナイフを一緒に入れておく。おまえは海に落ちるとそのナイフで脱出しなくちゃならない」


 ザインが、鉄を伸ばしただけのナイフというには貧弱過ぎる歪な板を置いた。


「もし、仮死状態から覚めなければ修士はそこで死ぬしかない。先に覚めてしまえば投棄前の確認で牢獄に戻される。それでも、これが修士の生きる唯一の道じゃ」


 確かにボルグ先師の言う通りだろう。

 僕の身体は日に日に弱くなっている。眩暈は収まらず、意識が飛ぶときもある。ルクスではどうにもならなくなってきていた。

 ここで死んで生まれ変わるのもいいと思った時は、数えきれないほどだ。

 それでもだ。


「分かりました。僕がここから出ることで、先師たちに報えますか」

「もちろんじゃ。わしらから頼みたいことは、山ほどもある」

「では、そうします」

「おい、本当にいいのか」


 即答した僕にザインが驚いたように言う。


「バウムの結果を聞かないのか」

「頼みたいことが山ほどだったら、結果は分かります」


 僕の答えに、ボルグ先師が笑った。


「ルクスの大きさは、度量の大きさというが、十五歳にして達観したか」

「そうではありません。ただの開き直りです」

「開き直れるだけ大したものじゃ。では、この次の食事の前には、決行をして貰う」

「次の食事、早くはありませんか」


 口を開いたのはダイムだ。


「修士の体力のあるうち、一刻も早い方がいい。海に沈む中を袋を破って抜け出し、対岸まで泳ぎ切らなといけないからな」

「確かにそうですが」

「分かりました」


 ダイムの言葉を遮り、頷いた。


「帰ってすぐに、ルクスの河に入ります」

「しかし、坊主よ」

「ぼくには、それしかありません。長くないのは、僕自身が一番分かります」

「……そうか」


 ダイムは言うと、テーブルの上に折りたたんだ紙を置く。


「この牢獄は、ウラノス王国の外南にある。対岸に渡り、東に半日進んだところにアルゼス集落があり、そこから北に進んだサイタ山の麓には、俺たちの隠れ家がある。生きていれば、まずはそこに行け。地図は箱に入れて、足にでも巻いておく。生きていられれば真っ先に見ろよ」

「ありがとうございます」

「隠れ家には、幾らかの金と着替えも置いてあるからな」


 ザインが傍らで呟くように言った。


「ありがとうございます」

「わしからは、その後に行くべき場所を記しておく。修士ならば大丈夫だ。わしの指示と講義について来た意志の強さが、道を切り開く」

「ありがとうございます」


 僕にはお礼を言うことしか出来ない。


 立ち上がる僕は、

「よく頑張ったな。おまえは俺の誇りだ」

ザインに強く抱きしめられた。


 僕の方こそ、あなたに武術を教えられたことは誇りです。


「俺にも、ハグくらいさせろ」


 ダイムに強く抱きしめられる。


「いいか、おまえは世界を変えられる男だ。死ぬなよ」


 そうなります。


「修士」


 最後はボルグ先師に抱きしめられた。


「ここに来たのも、ここを出るのも、創聖皇の御心じゃ。修士に輝ける未来があらんことを」


 皆の肩が震えているのはなぜなのだろう。僕の頬が濡れているのはなぜなのだろう。


「ありがとうございます。皆さんのことは忘れません。、必ず報えるようにいたします」


 声までも震えてしまうの何故なのだろう。

 僕は、入って来た石の壁に足を進めた。


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