第6話 第三の門

 

 アムルの頭に置いた手で、そのルクスの異常さが分かった。

 こちらがルクスを込めなくても、弾かれるような感覚がある。ここに入って来た時から、とんでもない威圧感を見せて来たのだ。

 その顔を見る。

 あれから三年。この子も十三歳になった。栄養不足でやせ細り、頬はこけているが、身長は伸びている。


「修士の牢にいたパウムというのは、ルクス師でな。ルクス師というのは分かるか」


 手を離し、ボルグはアムルの目を見た。

 アムルが首を横に振る。


「ルクス師というのは、エルグの民だけに伝わる生業でな、伝承と経験でルクスを操る者のことだ。同じようにこの国にはルクス学という学術体系がある。ルクスの研究、実践をする学術師になる。もっとも、それを学術とは認めいない者も多いがな」


 真っ直ぐにアムルもこちらを見ている。話を理解しているな。しかし、どこまで話せばいいのか。


「心と向き合うというのは、パウムの教えによるものだ。本来は、指導と補助が付いて雑念の下に意識を潜らせる。第一門と云うらしいが、おまえは意識の広がりを感じたか」

「はい。この牢と上に重なる三層の牢獄、そして外の世界まで意識が広がり、見ることが出来ました」


 やはり、この子はそこまで行っているのだ。ルクスの安定もしていない意識で、指導も補助もなしにだ。

 心と向き合えと言ったのは、ルクスが安定するまでの間にその下地を作らせるためだった。そして、それも期待はしていなかった。


「では、そこからさらに沈むと、心の闇が見えるという」

「はい。愚かさ、弱さ、情けなさを見ました。……感じました」


 声が震えている。

 そこから先に沈めるのは、有史以来、数えるほどもいないという。


「そこは第二門と云われる。わしは、第一門にも行けなかった身じゃから、よくは分からんがな」

「仲間の三人は、第二門で心が壊れてしまった。正気を失い自殺した」


 ダイムの自殺という言葉に、アムルの顔が青ざめた。

 自殺は魂を破壊することだ。人は死ねば、その魂はルクスに帰り、また新たな命となって生まれ変わる。しかし、壊れた魂はルクスに帰ることはなく、消滅する。その恐怖を実際に感じたのだろう。


「ここに残ったわしとダイム、ザインの二人は心に向き合うことが出来ないそうだ。まず、わしは学問をし過ぎたために頭が固く、意識が縛られている」


 わしに続くように、

「俺は盗賊稼業が長くてな、魂の汚れが酷いらしい。潜ればすぐに魂が砕けるそうだ。そして、ザインはエルグだからな」

ガイムが言う。


「エルグの人は、それが出来ないのですか」


 アムルがザインに目を移した。


「心の中に妖がいる。潜る意識は第一門の先にいる妖に食われるそうだ。純粋なルクスの補助がなければ、潜ることが出来ない」

「ルクスの補助ですか」

「意識を潜らせるには三つの方法があるそうじゃ。一つは意識の置き方をしっかりと指導して貰い、強いルクスを持つ者がルクス送り込んで補助をする方法。もう一つはおまえのように独力で意識を沈める方法。これは、パウムも可能性に過ぎいないと言っておったがな」


 それを、この子はやってのけた。信じられないことだ。


「最後の方法は、純粋なルクスを強制的に流し、意識を抑え込んで沈める方法じゃ。しかし、それは補助の者に僅かにでもルクスの汚れがあれば出来ない」

「汚れ」

「修士がルクスの河で焼かれたと言っただろう。あれは、おまえのルクスの浄化、魂の汚れの浄化じゃ」

「僕の魂は、そこまで汚れているのですか」

「魂は、輪廻転生をする。前世、前々世、積み重なった汚れがある。それをルクスが焼く。汚れが酷いと、魂ごと焼かれてしまうそうじゃ」

「そうなのですか」


 アムルが俯く。よほど苦しかったのだろう。魂が焼かれる痛みは分からないが、想像は出来る。しかし、それでもだ。


「ルクスの河。そこは、第三門と呼ばれるそうじゃ。喜び、苦しみの先にある本質の世界に続く門。修士が自由を得るためには、その門の先に行かなければならない」


 アムルの目を見る。伏せられたその目に不安が覗く。


「まだ、やれるか」


 わしの言葉に、その顔が上がる。目には不安はあるが、死んでいない。


「これからの課題は、痛みがなくなるまで焼かれることじゃ。痛みが無くなれば、浄化されたことになる。そうすれば、ここを抜ける方法がある。ここで一生を終えずに済む」

「分かりました」


 ゆっくりと頷いた。


「よし、それではこれからは時間配分を変えろ。まず、最初にすることは魂の浄化、その後で聖符の書き写しと数学理論。それが終わればここに来い」


 魂の浄化には痛みと苦しみが伴う、それは身体まで影響する。現に今もボロボロではないか。しかし、優先すべきはそれだ。

 多分、魂の浄化で一杯だろうが、そこに集中させ過ぎて壊れさせるわけにもいかない。


「今日は、このまま休め」


 わしの言葉に、アムルが立ちあがった。

 頭を下げ、ふらつく足で出て行くのを見送る。


「参りやしたね」


 石組みが戻されると、ダイムが口を開いた。


「まさか、第三門まで一気に潜るとは、思ってもみませんでしたよ」

「そうじゃな。真っ直ぐな目をした面白い子供だとは思ったが、たった三年で学問も凄まじい上達じゃ」

「先師は、進み具合を見てないのでは」

「見なくとも分る。あの目の輝きが教えてくる」

「目の輝きですか。ですが、あの本は上級学院で使うものでしょ」

「いや、上級学院でも使わん。わしら研究者用の学術書じゃ」

「それを、あの子供にさせているのですか」


 ダイムが驚いたように言う。十五年かけて二人に教えているのはまだ初級学院の知識でしかない。


「わしにも時間がない。ゆっくりと教えてやることは出来ない。あれを読めば、語学の学びにもなり、高等数学も学べる」

「しかし、分かるものですか」

「全て理解できなくてもいい」


 そう、全てを理解する必要はない。しかし、百回読めば何かの手掛かりにはなる。人は、積み重ねだ。学ぶことを続ければ、その時間に応じて思考力が変わる。いわゆる学びの思考になる。

「それで、ルクスはどうでやしたか」


 尋ねたのは、ザインだ。


「おまえたちと同じだ。驚いたよ」

「あの威圧感は、やはりルクスですか」

「ルクスを込めずに頭に手を置いたが、それでも弾かれた」

「それは、もしや印綬の継承者クラスのルクスでやすか」

「いや、そこまではない。今はな」


 そうだ。今はない。

 しかし、魂の浄化が進めばどうなるかは分からない。


「しかし、こいつは拾い物でやしたね」


 ダイムの言葉に頷く。

 拾い物か、確かにな。面白い子供だとは思ったが、ルクスはたいしことなかった。それが、第三門まで行ってしまうと思いもしなかった。


「それで、これからどうしやすか」

「魂の浄化が進めば、次の段階じゃが。ザイン、おまえはどう見る」

「持ちません。ルクスの安定するのが十七です。それまで、あの坊主の身体は持ちません」

「そうじゃな。武を教えているおまえから見ても、そうなるか」

「はい。ここの食事量では、成長期の坊主はすでに栄養障害も起こしています」

「前倒ししかないか」

「しかし、ルクスの安定前では危険すぎでしょう」

「どちらにしても、坊主の命は長くは持ちません。ならば、僅かでも可能性があるならば、賭けるべきです」

「だが、パウムでさえあれだ。連絡がねえってことは、そういう事でしょう」

「しかし、他に手がないからな」

「そうですね。この件は先師にお願いします」


 ザインが立ちあがった。


「そうだな、俺らが考えてもどうしようもねぇからな。それじゃあ、明日また来やす」


 ダイムも立ちあがると、一礼して背を向けた。

 任せるか。面白い子供だが、どこに導くべきなのか。


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