第3話 世界の理≪ことわり≫

 

 闇の中、時間だけはあった。どうしようもないくらいに時間だけはあった。

 お父様の凛とした姿、お母様の優しい笑顔が思い返される。

 カイラム家は僕の誇りだった。お母様は僕の支えだった。お父様はぼくの目標だった。

 全てが無くなった。誇りも、支えも失い、目指すべき目標もない。


 老人の作り話だと信じたかった。罪のない人を牢獄に入れ、賄賂を受け取る。お父様はそんな人ではないはずだ。

 しかし、それを確かめることは出来ない。ここにいる限り、確かめようがない。

 ここで出来るのは老人が嘘をついているか、ダイムが嘘をついているかを言葉の端々から考えるしかない。

 膝を抱え、ぼくの頭でどれだけ考えても出て来る答えはそれしかなかった。


 入り口で固い音がする。

 扉の覗窓が開き、闇の中に目が見えた。わずかに遅れて下側の小窓は開かれ、木の器に入った食事が入れられる。

 この部屋に戻って二回目の食事だ。

 器をベッドに置き、口に運ぶ。

すべきことは一つしかなかった。そうだ、いくら考えても答えは一つしかなかった。

 急いで食事を終えると、器を小窓に戻して壁の一画に向かう。石はぼくの力でも動かすことが出来た。


 通水路を抜けて、老人の部屋に入ると、

「本当に来やがったな」

ダイムが手を上げる。


 奥の机に座る老人も顔を向けた。


「来たか。ここに座れ」


 その言葉に、足を進めた。


「わしの名は、ボルグ・マクレン。おまえの先師になるゆえ、これからはボルグ先師と呼べ」

「ボルグ先師、ではぼくは修士になるのですね」

「そうだ。まずはおまえの知識を知りたい。この世界の理を言ってみろ」

「六種十国の理ですか」

「世界の全てがそこにある。おまえは正確に知っているか」


 そんなことは常識だ。最初に習うのがそれなのだから


「はい。創聖皇は大地に緑を広げ、様々な獣と人をお創りなりました。しかし、人だけは完全には出来ませんでした。そこで、創聖皇は自らの心の欠片を大地に撒かれました。その細かな欠片は地に広がり、四つの人種を産み出しました。人種樹のエルミ、人種巌のエルナ、人種獣のエルス、人種人のエルム。人種として完成したそれら種族は共存していました」


 習ったことを思い出す。


「しかし、それぞれの人種はやがて争いをはじめ、国が乱立し、世界は戦が絶えなくなりました。虐げられ、殺された者たちの怒りと哀しみは妖気となって蓄積し、獣を侵食して妖獣とせしめ、人の母体に入った妖気は穢れた人種妖のエルグを新たに作りました」


 ボルグ先師は黙って聞いているだけだ。


「創聖皇は自らの心を汚されていくことを大いに悲しみ、世界を作り直されました。それぞれの人種を分けて人種ごとに二つの国を与え、妖気から身を護れるようにルクスを与えました。また、国が乱立せぬように一つの国に五つの印綬を授けられ、その中から王を選任されました。その王も民を苦しめれば警鐘の雲を走らせ、三本現れれば四本目はなく、王は廃位されます。そして最後に、創聖皇の意思を伝える人種聖のエルフを作り、これによって六種十国の理が完成されました」


 暗唱を終えるとボルグ先師を見る。


「歳は幾つになる」

「十歳です」

「通っていた学院は」

「王立ユリウス学院です」

「名門じゃな。傲慢な教えだが、まあ良かろう」


 そのままこちらに向き直り、


「では、創聖皇が与えて下さったルクスとはなんだ」 


 顔を上げた。

 その鋭い目が、真っ直ぐに貫いてくる。


「ルクスは、地を巡る命の種。地に湧き出て草木になり、胎児になり、人の身を包んで護るものです。そして、人は意識の大きさによって、ルクスを貯めることが出来ます」

「命の種か。確かにあらゆる文献でもそう伝えているが、違うぞ。ルクスはエネルギーの集合体だ。地を流れるエネルギーは、樹木、生物に入ればその命を育み命の種となるが、それ以外は水を浄化し、地を浄化し、巡るものじゃ」

「エネルギー」

「そう、エネルギー。人はそれを取り込み、蓄えられる。その量は個人差があり、それがその者の器量だと言われている」


 そう言うと老人は手を出した。

 細く枯れ枝のようにも見える手だ。


「ルクスの強弱の測り方は知っているな」

 ぼくは頷いた。ルクスを込めた身体が触れれば、相手のルクスが自分よりどれくらい強いか、弱いかがわかる

 その差し出された手をルクスを込めて握った。途端に鋭い痛みが走る。すぐにそれは消えたが、これがルクスの差だ。

 ボルグ先師のルクスがぼくのルクスを弾き飛ばしたのだ。


「修士のルクスは、人並というところか」

「はい」


 それは分かっている。公貴の生まれだが、ぼくにはお父様のような強いルクスがないのだ。


「しかし、まだ子供のうちはルクスは安定していない。十七になれば、ルクスも安定するじゃろう」


 慰めるように言うと、ボルグ先師は離した手をぼくの頭に置いた。

 ルクスを込められていないために、痛みはない。


「修士は、これから三つのことを学ぶ。この牢獄に入った者は二度と外に出られぬが、その可能性がないわけではない。その為に学べ」

「可能性ですか」

「今、教えるわけにはいかない。おまえにその資質があるか見てからじゃ。学ぶ事はルクス、あらゆる知識、体力作りじゃ」

「分かりました」

「まずはルクスじゃな」


 言うと同時に、部屋に浮かんだ明かりが消えた。


「光を出してみろ」


 闇の中、ボルグ先師の声が聞こえた。

 ぼくは光を出したい方向に手を伸ばし、ルクスを集中する。「光あれ」心で願うと同時に、部屋に光の球が生まれた。

 闇は隅に追いやられ、部屋が浮かび上がってくる。


「では、これを見てみろ」


 その前に模様の描かれた紙を出した。

 目を移すと、部屋は闇に包まれる。


「まだ、意識しないと光は維持できないようじゃな」


 ボルグ先師の言葉と同時に、部屋は明るく照らされた。


「光球のルクスは、最も簡単なものじゃ」


 言うと、その模様を見せる。丸に三角の描かれた単純な模様だ。


「これが光の聖符。聖符は分かるか」

「はい。怪我をした時にお母様が付けてくれました」


 こけて擦りむいた傷に、お母様は薬を付けた後に模様の描かれた布を貼ってくれる。そうすると痛みはすっと引いていくのだ。


「そうだ。ルクスを導き、任意の現象を発動させる文様じゃ。まずは、この聖符をしっかりと描けるようにしろ」


 そう言うと机の上に置いた小さな箱を取った。その瞬間、箱に光が灯る。


「これをやろう、ランタンというものだ。自分の牢に戻ってもこれを使えば、光球を出さなくてもいい。それと、時間があれば自分の心に意識を向けろ」

「どういうことです」

「何も考えず、目を閉じればいい。そうすれば言っている意味が分かるはずじゃ」


 言っている事が分からないが、頷くしかない。


「知識は、読み書き、計算からじゃ」


 机の上の厚い本を取った。背表紙には数学理論とある。その本と板が目の前に置かれた。   なに、それ。大人が読む字のびっしり書かれた本じゃないの。


「これを百回読め。質問はそれからだ。分からない文字はそこの板に書き写していけ」


 それだけなの。授業と言うと先師が一つ一つ教えてくれるのではないの。

 そのぼくの困惑を無視するように、


「最後に体力作りじゃが」


 ボルグ先師は奥に立つ男を呼んだ。

 同じように瘦せて目だけが鋭いが、まだ若く見える。


「ザインという。体術、剣術はこの者に習え」


 男が頷くと、その頬に赤い痣が見えた。同じエルミの民と思っていたが違う。ザインはエルグだ。


 恐怖と緊張に身体が固くなる。


「心配ねぇよ。ザインはおまえを食べたりしねえ」


 ダイムが横から肩を叩いた。


「どうせ、エルグはすぐに逆上して、襲い掛かるとか、殺すとか聞いてるんだろう」


 その笑う声を聴きながら、ぼくはもう一度ザインを見た。

 エルグの者は穢れた血を持っており、妖に心を蝕まれて簡単に人を殺す妖獣のようなものだと教えられていた。

 しかし、ザインのその鋭い目はどこか哀しそうにさえ見えた。


「最後に、世の中のことと処世術はダイムに学べ」


 ボルグ先師の言葉に、再び肩が叩かれた。

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