第2話 獄中の誘い
牢の隅に空いた空間に身体を入れた。
その奥は狭い通路のようになっており、その先に小さな明かりが漏れている。
身体を横にして通路を進んだ。どうやら、ここは水路になっているようだ。部屋の隅に落ちている水が、今は足元を冷たく濡らしていく。
奥の明かりの先は同じように石がずらされいた。
ぼくは躊躇なく、その中に身体を押し込んだ。
窓一つない石組の部屋だが、ここは倍以上の広さがある。
部屋の中央に二人に男が立ち、その奥の机に座る人影が見えた。
「ほう、まだ子供じゃないか」
奥の人影が、立ち上がる。
「ダイム、この子供をどうしてここに」
その言葉に、一人が膝を付いた。目の鋭いあの男だ。
「このガキは、バウムの所に入って二週間になります。こんなガキがいるのも気になりましたし、意思の強さも感じました」
「そうか、バウムの牢に入っていたのか」
何、バウムの牢っていうのは、ぼくが入れられている牢屋のことなのか。
人影が近寄ってくる。
薄緑になった髪を後ろにまとめた老人だ。やせ細った老人だが、その目だけは鋭くこちらを射貫くように見る。
「坊主、ここがどこかは分かるか」
かすれた声に、首を振る。
「そうか。ここはエルドニア牢獄と言ってな、政治犯の牢獄じゃ。本来はおまえのような子供が入るところではない」
老人は膝を付くと目線を合わせて来た。
「なぜ、ここに入れられた」
目は怖いが、それ以上に人と会えたことが嬉しい。
「お父様とお母様が近衛騎士に殺され、ぼくはここに連れてこられました」
震える声で言う。
「近衛に殺されたか。お前の父親の名前は何という」
「セラン・カイラムです」
「セラン・カイラムだと」
声を上げたのは、もう一人の男だ。その声には怒気が感じられる。
誰かと間違えられている。
「内務大司長のセラン・カイラムです」
慌てて言い直した。
「セラン・カイラムか」
老人の呟く声は重い。
「わしを、ここに投獄した者の名を聞こうとはな」
この老人を投獄。お父様がこの老人を捕まえさせたのか。
「申し訳ありません。このガキは殺しましょうか」
ダイムと呼ばれた男が前に出た。
どういうこと。お父様が捕まえさせたのならば、悪人に違いない。ぼくはその悪人に殺されるのか。
「その必要はない。子供に罪はなかろうし、セランが殺されたのならば恨みも消えよう」
老人は呟くと立ち上がる。
「どうして、近衛に殺されたのじゃ」
「ムホンと言っていました」
「謀反か、意味は分かるか」
その言葉に、もう一度首を振る。
「そうか、こっちに来い」
老人は机に戻ると手招きをする。
言われるままにぼくは足を進めた。
「謀反とは、王を殺すことじゃ」
「そ、そんなことはしない。お父様は王様を殺すことはしない」
「そうじゃろう。内務大司長まで上り詰めたのじゃ。そんな馬鹿なことをして、自らの地位と権力を手放すわけはない」
老人は椅子に腰を下ろすと、指を大きく振った。
同時に、部屋の奥からもう一脚の椅子が、滑るようにして目の前まで来る。
ルクスで引き寄せたのだ。それだけで、この老人のルクスの大きさが分かる。
「座りなさい」
掛けられた言葉に、その椅子に腰を下ろした。
木の大きな机と椅子。同じ牢とは思えない。ここは何なんだろう。
「名は何という」
「名前はアムルです」
「では、アムルよ。今の王は何という」
「サイノス王です」
「サイノス陛下か。ならば、それは王宮官吏の一新じゃな。陛下の治世は五十年を越えた、そろそろ自分の思う国造りをしたいのだろう」
「それならば、お父様が一緒に――」
「いや。お前の親父さんは反対するさ。王宮の官吏は優秀であれば優秀であるほど、現状維持を望む。そこに変革は必要ない」
ぼくの声は、老人の言葉に遮られた。
「でも、殺すことはないよ」
「身を引かせる罪状を見付けられなかったのだろう」
「そんな理由で」
「そうだな。わしのように、してもいない罪を被せて、一生この牢獄の繋ぐ方が良かったのかもしれないな」
してもいない罪。お父様が捕まえたのは、悪人だったからではないの。
「物事には、原因と結果がある。しかし、人が介在すると一つの原因でも結果は異なるものじゃ」
老人は大きく息を付くと続けた。
「わしは、ベルツ上級学院の先師をしておった」
ゆっくりと語りだす老人を見る。ベルツ上級学院はぼくでも知っている。この国の最高学府だ。
そこの先師ということは、教えている偉い人なんだ。
「その時に王に依頼され、一つの意見書を書いた。王宮における官吏の在り方に関する意見書じゃ。上級官吏は任期を設けて交代制にべきであり、官吏も平民と同じ法を適用すべきであるとな」
同じ法律を適用。王宮官吏と平民が。
「だけど、王宮官吏は人を導く高貴な仕事です。平民と同じではおかしいのではないですか」
ぼくの言葉に、老人は柔らかな笑みを見せた。
「話を理解しているな、賢い子じゃ。では、一つ教えてくれ。高貴な仕事というのは誰が言ったのじゃ」
「いえ、言ってはいません。でも、人を正しく導くのは、高貴なことではないですか」
「アムル。そこが間違いじゃ。王宮官吏は人を導きはしない。人を導くのは、王の仕事じゃ。王宮官吏の仕事は、王の決められたことを形にすること、富を正しく分配すること。この二点じゃ」
「お父様はどうすれば、民が幸せになるかを考えていました」
「そこを根本的に間違えたのじゃよ。国家の運営を王宮官吏の仕事と思い違いをしているのは、他の国も同じじゃ。それゆえに、わしの意見書は邪魔になった」
お父様は内務大司長だった。いつも多くの人々が訪ねて来ては、頭を下げてお父様にお願い事をしていた。
偉い人だったはずだ。
「王に渡る前に学院長のフレオスがセラン内務大司長に渡したのだろう。それを見たセラン内務大司長は、変革を望まない。それが王宮官吏に及ぶことならば尚更じゃ。その日の夜に、わしの元に衛士が押し寄せて来たわ」
「ちょうど、わしらが近北守護領地の倉庫を襲い、捕まった後だ」
口を開いたのは、ダイムだ。
「拘置所までわざわざセラン内務大司長様が来てな。言った言葉がボルグ先師をわしらの首領と認めるならば、罪を問わないとな。言っている意味はすぐに分かった。ボルグ先師を陥れたいのだと」
お父様が陥れる。ぼくの尊敬するお父様が無実の人を陥れる。全身から力が抜けるように感じた。
「それを言われれば、頷くしかねえ。供述書に血判までするってもんだ」
「その挙句が、これだ。そのまま縛られてここに放り込まれたさ。ただの盗人が、政治犯となって終身刑だ。その倉庫もセランの賄賂を隠すための倉庫だっていうじゃないか」
奥の一人が床を蹴った。
言葉は聞こえるが、理解が出来ない。お父様がそんなことをするわけがない。
「ここまでじゃな」
老人の声が遠く聞こえた。
「このままならば、どう足掻いてもここで朽ち果てるだけじゃ。アムル、それでもお前がまだ足掻きたいならば、次の次、食事が運ばれた後にここに来い。わしは、セランの息子ながら、お前が気に入ったのでな」
呆然とするぼくをおいて、老人は机に向き直った。
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