第5話 不安定な心


家の中からかすかに聴こえてくる泣き声をよそに、手すりに寄りかかりながら周囲を警戒しているのだが、謎に上がっている身体能力や五感により付近に危険がないという事が分かる。


……ちょっと気まずいな。耳をふさげばいいのかもしれないけど、そうすると警戒がおろそかになるしどうしたもんか。 ………………あ、そうだ。結界魔法があるじゃん。



「結界魔法なぁ…。多機能すぎて逆に使いこなせる気がしないんだよな…」



そう、結界魔法は本当に色々できる。把握しているだけでも凄まじい応用性があるのだ。 大きさから形状、強度に透明度、色の変化に機能の設定など。マジで色々できる。


でもまあ、今回は遮音しゃおん性の結界を張っときゃいいから楽ではあるか。



「ほいっと」



取り敢えず部屋を囲うようにして張ってみたけど……。おっ、声が聞こえなくなった。 あとは…集中すれば中の様子も分かるようだ。って本末転倒か、気をそらさねぇと。



そういえば結界魔法を使ってみて分かった事がある。それはこの魔法のコスパがアホほど良いという事だ。


そうだな…。俺の中にある不思議な何か…それを魔力と仮称する。 結界魔法を使っても、その魔力の減少量は微々びびたるものだったのだ。例えるのなら……そう、海の水をお猪口ちょこで1杯すくった程度の減り具合だ。


今回張った結界は遮音だけしか設定していなかったというのもあると思うが、そこから減少量が幾ら増えようともたかが知れている。 そうは言っても、色々と機能を盛り盛りにしてクソデカくて硬い結界を張ろうと思ったら恐ろしい量の魔力を食いそうなので限度はあるが。



「つまりは何が言いたいかっていうと、使い勝手は良いってこったな」



自由自在に使おうとするには、どんだけ使い熟さなきゃいけないんだって話にはなるが。 先は遠いなぁ…。


……む。



「……あっちか」



今、俺が感知できる範囲内に入ってきた奴がいる。 人間ならまだ良い。しかしモンスターならば話は別だ。 俺自身、モンスターに思う所は無かったのだが……少女の、姫野ちゃんのあの姿と泣き声を聴いて、少し八つ当たりしたい気分なのだ。


今行くぞテメェ…!



「あ、一応聖域も使ってこ」











「ぎゃぐげ」



侵入者の正体はゴブリンだった。 最初に遭遇した個体とは違い首に腸を巻いておらず何も引き摺ってはいなかったが、その代わりにシャベルを獲物として持っており、脅威度としては比べ物にならないだろう。


が、そんなのは関係ない。 強度をガチガチにした結界を腕に展開して、直接殴るために全力で疾走する。



「八つ当たりに付き合えオラッ!」

「がぎゅっ!?」



土手どてぱらに拳を一振りすると、ドッパンッ!!! みたいな破裂音と共にゴブリンが爆発四散した。


……不完全燃焼だよクソァッ!!



「…ワラワラと集まって来てるじゃねぇか」



今の音が聴こえたのか、俺の居る場にむらがってくるように近付く多数の気配が感知できた。



「延長戦だ。……覚悟しとけやテメェ等ァ!!」







拳の一振り一振りでゴブリン共の身体が弾け飛ぶ。群がるゴブリン達が一発で死んでゆく様は、いっそ爽快とも言えるだろう。 無双ゲーかよ。


弾け飛んだゴブリンの肉片や血が大量に付着していくが、間髪入れずに神聖魔法で汚れを浄化する事によって常にクリーンな状態を保ったまま次々とゴブリンを鏖殺おうさつしていく。


まあ清廉せいれんな肉体のお陰で状態異常にも耐性があるから汚れたままでも大丈夫そうだけどさ? 血塗ちまみ肉片塗にくへんまみれだと行動に支障が出るし、ぶっちゃけ不快なんだよな。



「がげ!?」


ドグチャッ!


「ぐぎゅっ!?」


ボバッ!!


「ぐげかっ!?」


ブボッ!!!


「ぎぎぃ!?」


ドバァッ!!!!


「げぐっ!?」


スドンッ!!!!!



つーか何時まで続くんだこれ。かれこれ10分は殺し続けてるが? もうだいぶ落ち着いたぞ俺。


……お、やっと打ち止めか。最後の一匹はどうすっか。…そうだ、光魔法を使ってみようかな。



「《縛れ》」

「ぎゃ!!」



虚空こくうから現れた光り輝く鎖を操作してゴブリンを締め付け、ピクリとも動けないようにした。


おぉ、想像通りの魔法だ。 じゃあこれはどうだ?



「《裁きを》」

「ぎぐげゃっ!?」



俺の頭上に現れた光剣で正中線に沿うように切り裂くと、ゴブリンは空気中に溶けるように消えていった。


ふう、やっと終わりか。……にしても多かったな。此処らであんな数のゴブリンが隠れる場所なんてあったかね…?



「…あ」



そんな事を考えていると、結界の中にある反応……姫野ちゃんが動き出したのが感じ取れた。 …………タバコを吸うって言って外に言った奴が、玄関を開けても何処にも居ないってのはもしかしてマズイ…? ……走って帰ろうか。









かなり急いでアパートに戻ると、2階の廊下でおぼつかない足取りで何かを必死に探している様子の姫野ちゃんの姿があった。



「おーい、姫野ちゃーん?」

「……!……おにい…さん…っ!」



変な様子の姫野ちゃんに走りながら声を掛けると、声に反応してこっちを向いた姫野ちゃんは目を見開いて、階段に向かってふらふらとしながら走り出した。



「えっちょっ…、あれ絶対転ぶだろ…!?」



姫野ちゃんが転ぶ前に階段上に到達するため、更に加速してアパートに接近する。


このアパートの階段は片側にしかなく、それも俺が向かった方角とは正反対の側にある。 姫野ちゃんは階段に辿り着く直前なのに対し、俺は1階の同じぐらいの場所に居る。 ここから階段を上がる手間を考えるともう間に合わない。



「よっ…とぉ!」



なのでショートカットして行くことにする。


まずは程よい力加減でジャンプ。2階部分の手摺りに到達した事を確認してから手摺りに着地して、階段の頂上から転げ落ちそうになっている姫野ちゃんの前に回り込んで抱え込むようにして受け止める。


出来ると思ったからやったんだけど、凄い身体能力だな…。何なら最初のゴブリンを倒した時よりも上がってない? もう少し力を込めてたらアパートの屋根なんて軽く飛び越してたぞ。



「っと。 大丈夫?」

「い…る…! どこ…にも……いって………ない…!」

「……姫野ちゃん?」



受け止めた後は近すぎる距離を離すために肩に手を置いてそっと遠ざけようとした…が、姫野ちゃんはすがりつくように俺の腰に腕を回してしがみついてきた。


その事に一瞬動揺したが、姫野ちゃんの体が冷え切っていて小刻みに震えている事に気付き、思考が冷水ひやみずをかけられたかのようにスッと冷える。



「大丈夫だから、落ち着いて…ね?」

「う……ぁ…………ぅぅ…!」



セクハラや児ポ法という単語が脳裏を掠めるが、そんなものは振り払ってそっと抱き締める。


精神安定に全振りした威光の出力を更に上げると体が発光し始めるが、構わずに出力を上げ続ける。それと同時に神聖魔法の鎮静ちんせい効果のある魔法を使用する。



「大丈夫、大丈夫だ。俺が君を守るから。《安心していいんだよ》」

「…ぅ……ぁ………?」



暫くそうしていると落ち着いてきたのか体の震えも収まり始め、焦点の定まっていなかった視線が俺を見つめてくる。


その姫野ちゃんの様子からもう心配はないと判断し、発光しない所まで威光の出力を落とす。



「落ち着いた?」

「……はい…。あり……がと…う…ござい……ます」



もう安心だと思いそっと体を離そうとすると、腰に回されていた腕が抵抗するようにぎゅっと力を込めてきた。 えぇ…?


これ傍から見たらまんまロリコンじゃ…。おっとこれ以上はいけない。 まあ見てる人間が周囲に居ないってのは分かってるけどさ。



「あー、姫野ちゃん? 一旦部屋に戻ろうか」

「わか…り……ました」



離れる気配のない姫野ちゃんを引き連れて部屋に戻るその様子は、自宅に少女を連れ込むロリコンそのものだったという。やかましいわ。


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