第3話 聖者とは



俺の声に反応したゴブリンは、手に持っていた達磨だるまにされた人間を横に捨てると飛び掛かってきた。



「ぐぁぎゃぎゃぎゃぐがぁぁあぁああ!!」

「っ……!?」



ひとまず混乱を頭の片隅に置いて、バックステップで攻撃を躱す。 すると、数秒前まで俺が立っていた地面にヒビが入っていた。



「あッ…ぶね…!」



出鱈目でたらめにも程がある!なんでゴブリンが素手でコンクリートを割る膂力りょりょくを持ってるんだよ!?


着地したゴブリンは獲物を仕留められなかったのが意外だったのか首を傾げていたが、少し離れた場所に居る俺を見て醜悪しゅうあくな顔を笑みで歪め、また襲い掛かってきた。 大きく振りかぶった拳を避け、顔面に迫る噛みつきを足払いでゴブリンの体勢を崩すことによって不発に終わらせる。


…あれ?俺ってこんなに動けたっけ?



「ぎぎゃがぐぎゃ!!」

「随分元気だなぁ…!」



さっきまでの攻防が無かったかのようにゴブリンは立ち上がり、また突撃してくる。 しかし、今までのやり取りで目が慣れてきたのか先程よりもゴブリンの動きが目で追えるようになってきた。


そこで、突撃してくるゴブリンの隙をついて横を通り抜け階段に目掛けて走り出す。



「げぎゃ!?」

「じゃあな間抜けっ!」



規格外の膂力を持つ相手に無手で挑むのは自殺行為だ。まあそもそもそんな相手と戦う事自体間違ってるんだけどな。だが逃げ切れるとも思えない。


力が強いという事は相応に筋力があるという事だ。即ち瞬発力もあるという事で、仮に逃げたとしてもあっという間に追いつかれるだろう。


だからここで殺す。生き残る為に、俺がコイツを殺すんだ。



「ぐぎががぐげぎゃァァァ!!」



俺が逃げたと思ったのか、ゴブリンは怒り狂ったかのように叫び散らかす。 よしよし、そのまま怒れー? 判断力の鈍りはお前の死に直結してるがな。


全力で階段まで近付き、階段付近で捨てられている人間だったモノを直視しないようにしながら階段を駆け降りる。 足を滑らせそうなほどの勢いで下まで降りると、壁に立て掛けてあったバットを掴む。


一階に住んでた家族のお子さんが野球少年だったみたいで、よく父親と素振りやらキャッチボールしてたからな。 ちょっと借りるけど非常時だから許してくれよ…!



「がげぎゃッ!」

「……?」



バットを片手にゴブリンを迎撃するために待機しているのだが、少し違和感を感じた。ゴブリンの声が遠いのだ。


いや、遠いと言っても遠ざかっている訳ではない。むしろ近付いて来ている。 しかしその近付いてくる速度が想定よりも遅いのが少し気になった。……が、階段の上からゴブリンの姿が見えると同時にその思考を掻き消す。



「あがぎゃぐぎゃァァァァァァ!!!!」

「来いよ化け物ッ…!」



階段に到達したゴブリンは俺の姿を視認すると、腕を大きく振りかぶりながら跳躍して襲い掛かってきた。 それを、バットを両手で握り込み思いっきり引き絞って待っていた俺は、フルスイングでゴブリンにカウンターを叩き込む。



ドグシャッ!!!!


バキィ!!



「えっ?」



結果、ゴブリンが弾け飛んでバットはへし折れた。 えぇ…?


え…いや、えぇー……? あの、割と決死の思いで戦う気だったんですけど…? 生きるか死ぬかの激戦が起こると思ってたんですけどぉ……?


まあ…、良かった……のか…?



「まあ……いいか…」



今起こった異常現象については一旦脇に置いておいて、階段の脇に捨てられていた四肢が引き千切られていた人間が気に掛かり、確認する為に周りを警戒しながら階段を登る。


階段を登ってくだんの人間に近付けば近付くほど、鼻が曲がるかと思うほどの強烈な悪臭が強くなってくる。何処か覚えのあるその臭いに、嫌な予感が頭をよぎる。



「……っ…!」



階段を登りきり、視界に広がったその惨状さんじょうに言葉が出なかった。


引き千切られた四肢は腐敗しドス黒くなっていて、着ていたであろう服はただ体に引っ掛かっているだけのボロ布になっている。僅かに残った脚の付け根の間にある割れ目には白濁色の液体が乾いた跡が残っている。そこそこ豊かだったであろう乳房ちぶさの片方は食い千切られていて、もう片方は数多の噛み跡が残っている。身体は青アザや黒アザ、刺し傷や切り傷や殴打の跡が痛々しい。髪は無理矢理引き抜かれたのか頭皮が血塗れになっていて、瞼から覗く虚ろな瞳はただ虚空を眺めていている様は、その身に受けた凌辱りょうじょくの数々を表しているようで……。



「……ぅっぷ」



その酷い有様に、吐き気を催した。


酷すぎる。あまりにも……惨い。 この世界は…変わってしまったこの世界は、こんなのがありふれているって言うのか…? そんなの……そんな、ことって……!……ッ!?



「……生きて………るのか…?」



コト切れているとしか思えなかった「彼女」の身体がぴくりと動いた気がした。


死んでいるとしか思えないその状態で、もしもまだ生きているのだとしたら…………。それは、どれほど……残酷な事なのだろうか。


もう助かる見込みも無いのに、生きているのも不思議なほどの屈辱くつじょくを味わったのに、死ぬ事もできず、死のうと思う事もできなくなるほどの苦しみを感じ続けながらただ死を待つだけ。


それは、俺が想像しようとする事自体が烏滸おこがましいほどの苦痛だろう。



「………………ぅ………」



不意に、「彼女」の方から声が聞こえてきた。


次の瞬間には、鼻が曲がりそうな悪臭も目を逸したくなる惨状も忘れて「彼女」の方へ駆け寄っていた。



「……………………ぅ……ぁ…………」



言葉にすらなっていないその声からは、確かに生への渇望が、執着が感じ取れる。



「…………………………ぁ………………ぅ………」



「彼女」は声を出し続ける。死にたくないと、まだ生きていたいと。


だが、そんな事は不可能なのだ。死の淵にいる「彼女」を救う方法など、そんな奇跡みたいな御業などありはしない。………………本当に?



「…………あ」



頭を過ぎったのは、昨日聴いたあの声。あの声はなんと言っていた? 聖者…と、言ってはいなかっただろうか?


聖者とはなんだ。 清く正しい者? いや違う、今求めているのは違う事だ。


聖者とはなんだ。 神の声の代弁者?いいや、そういう事でもない。



今までの出来事を思い出す。


猫の死を看取った後に聞こえた謎の声。


外に出ると見えた不可思議な光景。


ファンタジーとしか言えないゴブリンの存在。



ファンタジー…。そう、ファンタジーだ。ファンタジーにおける聖者とはなんだ。 ……そうだ。癒やしの力を持つ、奇跡を起こす存在だ。



「………」



馬鹿馬鹿しい。……馬鹿馬鹿しいはずなのに、俺は何をしようとしているのだろう。


膝をついて、「彼女」に触れて。 何をしようと言うのか。


そんな力を俺が持っている訳がない。俺がそんな特別な存在な訳がない。そんな奇跡を起こせる訳がないのに。


なぜ…、なんで俺は……「彼女」を救おうとしているのだろうか。



「…………《救いあれ》」





瞬間。燐光りんこうが「彼女」を覆い尽くした。




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