第二部 あれから八年・上


 この商店街で悪いことはできない。

 もしも八年前の俺が、この噂話を聞いたら、鼻で笑うだろう。しかし今は、確かにそうだと全肯定する。……あの春の日に、人生がひっくり返ったから。


 ことよ商店街の中にある「SoWセンス・オブ・ワンダー」という喫茶店で商談するのが、その日の俺の目的だった。「商談」といったが、正確には、ターゲットに架空の投資を持ちかける、詐欺行為である。

 当時の俺は、巨大な詐欺組織の下っ端だった。主な仕事は、割り当てられたターゲットをやり込めて、契約をとること。しかし、俺は騙すのが下手すぎて、一年働いても、一度も契約を結んだことが無かった。


 これで失敗したら、クビだ。はっきりと上司にそう言われて、俺は焦っていた。おろしたての高級スーツに負けないくらい、心身ともに硬くなっている。

 しかも、ターゲットは仕事の合間を縫っているようで、あまり時間が無いと言われていた。早く、早く喫茶店へ、と思っていたら、クリーニング屋の近く、落ちてきた植木鉢をカポエラの足技で砕いた少女に出くわした。


 現実離れした光景に、足を止めた瞬間、スーツに土がつく。汚れてしまったが、急いでいるので、最悪スーツを脱いでおこうとまで考えていたが、クリーニング屋の主人が、これを洗うと言い出した。

 主人が強引だったのと、彼が異星人なので、自分の星の技術で早く終わらせると言っていたため、クリーニングを任せたのだが……終わるまでに、四十分もかかった。慌てて喫茶店へ行ったが、当然、ターゲットはいなかった。


 ああ、クビが決まった……と、膝から崩れ落ちる俺に、心配した喫茶店のマスターの千石さんが声をかけた。久しぶりに人の優しさに触れた俺は、これまでの経緯を洗いざらいぶちまけてしまう。

 それを最後まで聞いた千石さんはあっさりと、「じゃあ、ここで働けばいい」と言ってくれた。それからなんやかんやで住み込みの厨房アルバイトとしてこの喫茶店で暮らし、少し前に調理免許を取り、真っ当な生活をしている。


「スマイルレスコーポレーションの平社員だったよね?」


 ……その俺を、昔の組織の仮の会社名で呼んだのは、若い男の声だった。路地裏で、ごみを捨てていたタイミングだったので、おそるおそる後ろを窺う。

 まさか、警察か、それとも、あの会社の上司か……。しかし、真後ろにいたのは、喫茶店近くの堀寝具店の二階の、便利屋の事務長・黒田で拍子抜けした。


「ああ、勘違いしないで。僕は、君を警察に売ったり、脅したりするのが目的じゃないよ」

「じゃあ、なんで?」


 黒田は、訝しる俺を安堵させようと、首を横に振るが、物腰が柔らかすぎて逆に怪しい。これまでは、俺と歳近いのに、経営者なんてすごいな、くらいの印象しかが無かったので、唐突な展開に戸惑っていた。


「僕も、君と同じだからさ」

「同じ?」

「八年前の春のあの日、悪事を働こうとしたのを、偶然阻止された」


 すぐに逃げられるようにと、屈んだ姿勢から、俺は背筋をピンと伸ばした。黒田は、いまだにこやかに、しかし、どこか人が悪いようにも見える笑顔で、薄い唇を開く。


「僕は、堀寝具店で、大量の布団を買って、軽トラックの荷台に詰め込んでいた。それを高値で押し売りするのが目的だったが、出発しようと運転席のシートベルトを締めた瞬間、荷台の布団の上に、人が落ちてきた。車から降りて周囲の人に話を聞いてみると、自転車に乗っていた郵便局長が、女の子の飛び出しに急ブレーキをかけた結果、こっちへ飛んできたらしい」

「そんなことがあったのか。全然気が付かなかった」


 これからの仕事に緊張していたので、自分以外は何も見えていなかった。あの時落ちてきた植木鉢にも、目の前で少女が蹴るまで気付かなかったのだから。

 と、そこまで思い出して、黒田が遭遇した偶然にも、「女の子」が関わっているのにはっとする。変化した俺の表情を見た黒田は、分かると言いたげに、こちらを指さした。


「局長に怪我も無かったから、気を取り直して、南口から商店街を出ようとしたけれど、今度はそっちがざわざわしている。見ると、さっきの女の子が、ゲートの上の鉄骨の間に嵌っていて、また驚いたね。僕は布団を購入したままだったから、クッション代わりとして、その子の真下で軽トラを止めることになったよ」

「……それって、どんな状況だ?」

「映像で見ても、信じられないと思うよ。野次馬たちから、どういう経緯でそうなったのか説明してもらったけれど、僕もすぐには理解できなかったね」


 苦笑していた黒田は、腕を組むと、妙に晴れ晴れとした表情に変わった。


「僕は、幼少期からあらゆる嘘をついて、多種多様な詐欺を働いてきたけれど、こんな夢みたいな状況に拍子抜けしちゃって。現実の方が嘘を上回るのならば、もう、いいかなって、さっぱり詐欺を辞めて、今では普通の便利屋をしているんだ」

「気持ちは、ちょっと分かるな」


 成功したことないとはいえ、俺も詐欺師の端くれだったので、大きく頷いていると、黒田は「ここからが本題なんだけど」と、また人の悪い顔に変わった。


「実は、最近、うちで雇った人も、同じように八年前のあの日に、人生が変わっているんだ。それで、こっそり調べてみたら、僕らや君のような目に遭っている人が、何人も見つかった」

「……もしや、それにはすべて同じ女の子が絡んでいる、のか?」


 俺なりに、核心に迫る一言を放ってみたが、黒田は一笑した。


「今度、その人たちと一度集まってみないか、って話が出ているんだ。君も是非と思うけれど、今度の休みはいつかな?」

「ああ、それなら……」


 興味の惹かれる映画の予告だけ見たような、もどかしい気持ちを抱えつつ、俺はSoWの定休日を伝えた。その日は、マスター家族が全員で出掛ける日なので、貸し切りにできないか相談してみると約束すると、黒田は踵を返して帰っていった。






   ○






 俺を雇ってくれた千石さんは三年前に引退して、今は、青海おうみさんがマスターとして、一切を取り仕切っている。その際に、青海さんは大胆な喫茶店改装を行った。

 八年前までは、古き良き喫茶店だったが、現在は、あちこちに水槽を置いて、熱帯魚を飼育している。千石さんが店長だった頃の名残は、ジュークボックスとインベーダーゲームくらいだが、常連さんが減ることはなく、今も来てくれている。多分、メインメニューや珈琲の淹れ方などは昔から変わっていないからだろう。


 青海さんは、SoWの二階で妻と十四歳の娘さんと一緒に暮らしている。そして、月に一回、不定期の休みを取って、家族三人で海に出かける。その理由は分からないが、親子三人水入らずの雰囲気があるので、俺は一度も同行したことはない。

 青海さんに、知り合いをもてなしたいので店を貸し切りできないかと頼むと、二つ返事でOKした。青海さんも俺の前職を知っているのに、詳しいことは一切聞かないので、有難くも、騙しているような後ろめたさがあった。


 集合時間が近付くと、黒田が呼び掛けた人々が集まってきた。一番最初に来たのが、向かいの中華屋・華華の料理人の女性、飯田橋さんだった。彼女とは、同い年の料理人仲間なので、時々話もするのだが、この会に参加するなんて予想外だった。

 その後も、男子大学生、フリーターっぽい青年、作業服の中年男性、アラフォーらしき女性、スーツ姿の若い女性と、年齢も立場もバラバラそうな人たちが入店してくる。黒田と六十代の男性も来て、これで終わりかと思ったが、最後のひとりを見て、俺の前に座っていた飯田橋さんが「アレ?」と腰を浮かせた。


朋華ともかさん? どうしてここに?」

「黒田さんに呼ばれてね」


 大きなおなかを抱えて入ってきたのは、華華の娘の朋華さんだった。確か、一昨年に結婚して、実家を出ていたはずだが、妊娠していたのは初耳だ。

 飯田橋さんが引いた椅子を、朋華さんが「よっこらせ」と座った。「予定日、近いんじゃないですか?」「まだ再来週だから大丈夫よ」と、会話を交わしてから、飯田橋さんが元の席に戻る。


「はい。八年前の集いに集まっていただいて、ありがとうございます」


 黒田がおもむろに立ち上がると、もったいぶったような挨拶で一礼する。だが、「本題の前に」と、朋華さんの方を心配そうに見た。


「これからの話は、胎教にあまりよくないと思うけれど、大丈夫かな」

「いいのいいの。これも社会勉強だから」


 朋華さんは、おなかをさすりながら黒田の心配を豪快に笑い飛ばす。黒田は、しょうがいないかと言いたげに頬を掻いてから、「じゃあ」と切り替えた。


「ここに集まったのは、八年前の四月に、人生を変えられた人たちです。例えば、僕は――」


 仰々しくそう言い始めた黒田は、以前に俺に話したのと同じ内容を語った。オレ以外の聞き手は、信じられないと首を振ったり、口元を覆ったりしている。

 「じゃあ、今度は和久田君で」と、俺に話を促したので、頷き、自分の体験をすべて話した。周囲の反応は、先程と変わらない。


「えっと、次は、うちで働いている枝野さんだけど、彼はおしゃべりが苦手だから、僕が代わりに説明するよ」


 黒田は自分の隣に座ったこの中で最年長の男性……枝野さんと目配せしてから、こちらを見回して、代弁し始める。


「枝野さんは、華華の後ろにあるマンションの一室に、空き巣に入ろうとしていたんだ。鍵をピッキングでいじっていたら、後頭部にサッカーボールが直撃して、気を失ってしまった。このボールを追いかけてきた子供たちが救急車を呼んで、診断結果は軽い脳震盪だったんだけど、ピッキングの道具を持っていたから、逮捕された。余罪も見つかったから、この間まで刑務所に入っていたけれど、最近出てきて、僕が雇ったんだ」


 自分の来歴を語られた枝野さんは、照れ臭そうに笑って、頭を下げる。……その反応は、間違っている気がするが。

 というより、俺も含めて、三人目の犯罪者の登場に、俺も掛ける言葉が見つからない。周囲のみんなも、反応に困っている様子だったが、構わずに黒田は続ける。


「枝野さんに直撃したサッカーボール、どこから来たんだろうと調べたら、SoWの前で、女の子がリフティングしたのが飛んできた、っていうことが分かったんだ」


 きゅっと意味深に目を細める黒田。俺も、また「女の子」だと、息を呑んで、周囲を窺う。……全員、似たような顔で首を巡らせていた。

 黒田は満足そうに頷いて、「じゃあ」と誰かを指さしかけたが、それよりも先に飯田橋さんが「次は私だと思います」と手を挙げた。


「私は、あの時、華華で食事をしていました。でも、お金は持っていなくて、隙を見てから逃げようと思っていたんです。この前にクビになって、貯金も底をついたばかりだったので。……あまり大きな声では言えないのですが、小さい頃から繰り返してきたので、食い逃げは得意で、自信がありました。でも、店員の隙を突いて出ようとしたときに、出入り口前に、女の子がヨガをしていたんです。それも、長いこと動かずに。

 完全に逃げ出すタイミングを失った私は、店長の桜本さんに話しかけられて、お金がないことを正直に言いました。それなら、代わりに皿洗いをしてと言われて、その上、もしも困っていたら、いつでも来てもいいよと言ってくれました。その言葉に甘えて、華華に雇ってもらい、今もそこで料理人をしています」


 また、女の子が出てきた。半ば予想していたので、俺も、周りの反応も、少し薄くなっている。やはり、八年前のあの日の出来事は、その彼女がキーパーソンのようだ――。




















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