アメリカ②

 悠がクラスにやってきて数週間が経過したある日、ベルは彼女を呼び出した。周りのクラスメイトは一瞬彼女の方を振り返ったが、特に大ごとではないと悟ったのか、興味を失うのも早かった。程なく各々の会話に戻っていったのだった。


 ベルは詳しい話をするため後で職員室に来るよう悠に指示した。悠は黙って頷いた。


 担任の目から見て、悠がクラスに馴染んでいないことは明白だったのだろう。周囲も触らぬ神に祟りなしといった具合に意識的に彼女を遠ざけている。しかしそれも無理もない話であった。


 本来ベルも彼女の担任を任された時には「なぜ私なのか」と渋っていたからだ。それを私たちの門前でやることは流石に無かったが、何か距離を置かれているとは感じていた。もちろんベルにとって教師という立場上誰かを贔屓して、誰かを蔑ろにするということも無かっただろうが。今のご時世、日本人を迎え入れるというのは水に油を注ぐようなものだと、平和だった羊たちの楽園に狼を招き入れるのと同じことだと感じていたに違いなかった。


 そしてその嫌そうなオーラというのはすぐに感じ取られてしまうようで、ベルは悠からもあまり信頼されていなかった。彼女の指示に従い行動することはしてくれるものの、それ以上のコミュニケーションが取れなかった。全く心を開いてくれなかったのだ。


「とても児童思いの素晴らしい先生です」


 そう学長からも言われていたが、思い返せばあれはただの「押し付け」られただけだったに違いない。


 

 悠の隣に座る私に軽く会釈をした。悠が日本人だから、保護者も日本人だと心強いだろう。もっとも私たちはあまり顔がよく似ていないが。フレンドリーな雰囲気で話しやすいキャラクターを演じる。ベルと同い年か歳下くらいの見た目をしている。彼の着ているダボダボとした長袖ポロシャツのファッションは如何にも私にとってのアメリカ人の偏見が生み出されていた。


 放課後の職員室、すでに他の児童や先生はほとんどみんな帰っている。自分も早く帰りたいと思っていたが、これも「押し付け」られた弊害なのだろうか、ベルはため息がつきたくなるのをグッと堪えているようだ。顔が強張っているのを悟らせまいと「こんにちは」と挨拶をした。私もフランクな雰囲気を崩さず「どうも」と挨拶を返す。


「ベル・ウィリスです。ユウさんの担任をしております」

 

「悠の保護者です。すみません、普段ならもうお仕事は終わってる時間だと思いますが、長引かせてしまいまして」


 保護者を名乗る私は眉を上げてベルたちの目を見る。悠はずっと下を向いたまま大人たちの会話に興味がないといった具合で座らされていた。沈黙を嫌ってか、ベルの隣に座っている学長は手を握って早速本題に入ろうという姿勢をとる。


「それで、お話というのは・・・・・・」


「はい。悠の扱いについて少し配慮していただきたいことがあるんです。ほら、彼女の暮らしてた場所とここでは文化の違いが色々あるじゃないですか」


「と、言いますと」


「たとえば今あなた達が所持してる拳銃とか」


 そう言って視線がベルたちの腰の方に伸びる。学長は顔を崩さずに答えた。


「確かに我々教職員は常に銃の所持をしております。しかしこれは児童らの身を守るためですので。ご理解いただけませんか」


「子どもたちを守りたいっていう考え方は否定しませんがね」


 そう言って私は長袖の中から拳銃を取り出した。滑り落ちた拳銃は彼の手にすっぽり収まり、それを悠に突きつける。呆気に取られる間に私は「バン」と銃を撃つふりをした。しかし隣に座っていた悠はチラとこちらを見たあとまた姿勢を戻して興味がなさそうにしている。


「私がテロリストだったらこの子は死んでました。あなた方は銃に手をかける間もなかった。あなた達の実力を侮っているわけではないのですが、それでもその管理の仕方にはあまり信用ができません。腰につけているだけではこうなった時に対処が遅れてしまうでしょう」

 

「しかし・・・・・・」


「そこで一つ提案なのですが」


 私は一つの要求をした。それを学長は断る理由もなかった。ベルと悠はそのやり取りをただ黙って見ているだけであった。



 悠と私は程なくして職員室を出ていった。学長は「ふぅ」と額に伝う汗をポケットから取り出したハンカチで拭った。ベルはそんな彼に尋ねた。


「ボディーガードとは一体どんな人なのでしょうか。そもそも私の授業にも参加するのですか?その人は」


「ああ・・・・・・私も詳しくは分かっていないのだがどうやら軍人らしい。今まで要人を護衛した実績もあるとかなんとか」


「・・・・・・あの子は要人だと?」


「東洋人の女の子に護衛をつける理由は私にも分からん。それで話が丸く収まるならそれでいいじゃないか。君の仕事にも支障をきたすようなことはないだろう」


「はぁ・・・・・・」


 いけすかない野郎の要求をすんなりのむというのも些か複雑な思いが残っているが、疲労と早く帰宅したいという欲求が勝ってしまった。実際私も面倒ごとは早く終わらせるたちだ。ベルの頭にあったそのモヤモヤと同様、帰宅してしばらく経つと何も無かったかのように澄み切っていた。



 その翌日、面倒ごとはすぐそこに迫っていた。いつものように騒がしい教室に入ろうとしていたベルはその異変にすぐに気づいた。


 教室が静まり返っていたのだ。教壇に上がるベルと一番最初に目があったのは見慣れない男だった。昨日会話した私とは違っていて、屈強な身体をしていれば軍人だとすぐに分かったが、スラッとした細長い体躯をしている。動きにくそうな黒々としたスーツは私服の子供たちしかいないこの空間でかなり異彩を放っていた。今朝着せたそれを見て、私ももしかすれば着痩せするタイプなのかもしれないと思った。


 黒スーツの男はベルを睨みつけるような冷徹な目を向けていた。しかし礼節は弁えているようでベルに軽く頭を下げた。


「すみません、先ほど職員室にお伺いしたのですが、ウィリス先生のお姿が見えなかったので」


「あなたが手配されたボディーガードでしょうか」


「そうです。XB(クロスビー)と申します。迷惑にならないよう十分配慮させていただきます」


 しかしその後、授業での支障はあからさまであった。異様な雰囲気に児童は飲み込まれ、いつもは元気いっぱいな彼らが何か物々しい雰囲気で授業を受けていた。地面に座っていた子供達の多くはXBと名乗る得体の知れない男のそばに行きたくないのか普段よりぎゅうぎゅう詰めで座っていた。


 放課後、悠はベルに「先生」と声をかけた。思っていることを表に出すまいと気にしないそぶりで「何でしょうか」と聞き返す。悠は口を開いた。


「この人はとても強い人。きっと私以外にも、このクラスのことみんな守ってくれる。だから悪く思わないでほしい」


「そう・・・・・・それは心強いわね」


 ベルはため息をついた。誰にでも等しく接してきたつもりだった彼女だったが、ついに堪忍袋の尾が切れたらしい。この学校の児童はみんな程度はあれど貧しい家庭で育っている。しかしこの子だけは別だ。毎日違う服を着て登校し、昼食もそれなりに良いものを食べている。必要があればボディーガードを雇うこともできる。こんなに恵まれた子供が一人いれば周囲の目が悪くなるのは当たり前だ。


 ベルはXBの方を見た。彼は表情を崩さずやはりただ頭を下げるだけだった。

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