第三幕
「いつになく疲れてるね、それに不機嫌だ」
チョリソーをつつきながら、友人の片山が呟くように言った。すらりとした長身で戦前の文学青年のような理智的で穏やかな口調の彼は、わたしと同じW大学文藝会に所属している。わたしは偶に彼と一緒に全体的に錆びた外観の喫茶店にいったり、思いついたようにファミレスに入ったりして、執筆活動を行っていた。
「ちょっとね。執筆に対する倦怠期って感じなんだよ。舞台は馬場で、私小説の体を取っているんだけど、形式は重層型の回想モデルを考えてるの。主人公の回想と現実が入れ替わったり、元に戻ったりする。基本的にはわたしとわたしの元カレの対話をベースにしてる。物語はようやく終盤に差し掛かるところなんだけど、その先の展開も実話で進めるべきかどうか迷ってるんだよね。自分で書くのもしんどいくらいキツい内容なんだ」
「怖気づいてるのかい?つまり君は、この小説が世に出ることで君とその、元カレさん?との真実が明るみになり、彼の報復を恐れている。だが君としては全部書きたいわけだ。この小説が、一つの作品として結実するために」
「まあ、そういうことだと思う」
片山はチョリソーから手を離し、徐にわたしが執筆しているノートパソコン(わたしはその前でうんうん懊悩していたわけだが)をするりと奪い取って、問題の作品を一から読み始めるのだった。わたしは彼の動作があまりにも手際よかったので、現在進行形のそれを見られていることに気づかなかったくらいだ。彼は眼差しはまるでこれから死因を突き止める解剖医師のように厳格だった。
わたしたちの座った席の向かい側で家族連れが仲睦まじくチョリソーとアロスティチーニを突っついている。両親の間で足をぶらぶらさせている子供が濁流の色をした得体の知れぬ飲み物をまずいまずいと朗らかに笑いながら飲んでいた。
「なあY。俺のこと好きかい?」
上田は懇願するようにわたしに言った。その瞳はやや充血して潤んでいた。歪んでいるようにさえ見えた。停滞に唯々諾々と沈みこむ憐憫を彼に感じて、わたしは目を背けずにはいられなかった。
「うん。大好きだよ」
わたしは彼をどうして嫌いなのか、彼はどうしてそこまでわたしを信頼しきっているのかがわからなかった。それが帰宅途上の夕闇にぽっかり開けた藪のような不安を誘うのだ。
「俺は今はJ大学だ。政経の人間は俺という才能を三度も見逃し、隴西の俺は人間を崩してしまいそうになる。俺にはお前が必要なんだ。お前も俺が必要なんだ、そうだろう(わたしは黙って水を飲み、口の中で氷が融けるまで転がした)?なあ、なあ?お前は俺を必要とし、俺はお前を、お前が必要で俺はお前なんだ、、俺、俺は酒に強いんだ。もう水はいらない。くれるのか、お前の口がついたやつ、、。俺、俺はお前がす、好きで仕方がないな、、お前、お前ももう俺にぞっこんだ、お前の股、馬鹿なお前の毛の生えそろうたお股にお、俺はいきた、いきたいんだなあ。お前は俺に恋をし、俺はお前を好いている、俺、俺がこんなことを言うのは、おま、お前だけなんだぜ」
彼はそう言った後、机に突っ伏して沈黙した。満身創痍の戦車が暗い森の奥地で動かなくなったきり錆びついて朽ち果てていく姿をわたしは想像した。彼はわたしを愛しているという。好きだという。けれど、わたし達の関係はまだ出会ってから一年も経っていない。彼はわたしが好きな理由を具体的には言ってくれない。当たり前だ。わたしに良いところなんて一つもないのだから。彼は自分を認めてくれる人間が好きなのであって、わたしには興味がない。それは彼自身もよく理解しているのではないかと思う。彼はそれを酒で誤魔化そうとしている、彼は「大人」だから。それは卑怯ではないか?彼はわたしを手駒に「恋愛ごっこ」に興じて平気か知らないが、わたしは遊戯をやる年齢ではないし、「大人」でもないから誤魔化すことも出来ない。
わたしはふと周囲を見渡す。皆が大人の世界だった。高田馬場は午後九時を過ぎると喧騒の津波が街を覆い、わたしはまるで別の銀河系の惑星に降り立ったような心細さを感じる。浅い眠りに落ちる彼の山のような身体の隣には仲良くペペロンチーノ(税込300円)が並んでいて、うっすらと湯気がたちこめていた。旺盛な小麦色に翠のパセリが良く映え、ニンニクのチップは萎びているがこれが実に美味しい。そして侵してはならぬ芸術作品であるかのように鎮座する唐辛子は彼のほうがやや大きかった。わたしは唐辛子の痺れる辛さが苦手で、コップを2杯用意して挑むか、母親がいる時は食べて貰ったりしていた。わたしは例の如く唐辛子を器の端に避けると、丁寧に(彼の安眠を妨害しないように)フォークでパスタを巻き取って口に運んだ。熱い芳醇な香りが口の中に広がり、わたしの味蕾が今晩は格別であると評価を下した。わたしは彼の硬く黒い頭頂部を眺めながら、もう一度彼を好きになれないかと考えた。それは不体裁に墜落していく彼があまりにも憐れだったからである。
わたしが彼と出会ったのは、去年の晩夏のことである。大学生の夏休みというのは基本的に8月初旬から9月末まである。世間一般からすれば遅い夏休みであるに違いない。だから、晩夏であってもわたしたちの夏休みは終わらなかった。それは夏の暑さが引かないのと同じことだった。わたしは他の大学生が照りつける太陽を眩しそうに目を細め、やがて海や山に駆け出していくのをよそにひたすら勉強に励んでいた。わたしは大学生というものを嫌っておきながら、大学という概念を好きだったので、毎日W大学の赤本を片手にR大学Kキャンパスまでのなだらかな坂道を登っていた。京都は盆地であるから夏は暑いというのは、数多の人が知っていることだろうが、Kキャンパスのあたりに来ると寧ろ涼しい風が頬を撫でる瞬間に何度も出くわすことになる。そして冬は寒いのだった。わたしは新造されて間もない記念図書館の地下一階で、生協で売られているサンガリアの自己主張の激しい緑茶(美味しくもなければ不味くもない)を片手に時を遡り、わたしが生まれた年の大学過去問を、殊勝に図書館カウンターまで持っていって印刷してもらうのだった。無料でコピーできる回数は4年で800枚だったが、わたしは732枚まで過去問の印刷に使った。残りは散々に破かれたレジュメに使ったのだった。
わたしはその時金がなかった。実家暮らしとはいえ、試験費、(入試時)宿泊費、入学費、移住のための費用などをすべて稼ぐことがW大学受験の条件だった。それは両親から強制されたわけではなく、わたしの狭い胸中にわたし自身だけで合格を勝ち取りたいという思いがあったからである。わたしは胸が小さいのもコンプレックスだった。牛乳は沢山飲んだけれど、学力と同じで向上しているとは思えなかったけれども。わたしは人見知りだった。バイトの面接ではそこが指摘され、不採用を繰り返したのち、ようやく採用されたのも集団塾の塾講師という荷が重い割に安月給なバイトだった。暇さえあれば日雇いで日銭を稼ぎ、スーツを着て夏季講習に東奔西走した。たまの贅沢がサイゼリヤであった。入学式以来虜になったのと、尊敬するW大学の佐々座という妙な名前の人が足しげく通っていたから、端的に言ってその模倣をしていたのだ。わたしは高校時代から今まで、金に不自由ない生活はあり得なかった。常に金策と勉強に明け暮れ、一兎もえず切り株の上で喘いでいた。
わたしは勉強記録を投稿サイト(StudyPolaris略してスタポラ)に挙げるのを日課としていた。スタポラにはW大学受験生が集い、互いに励ましあいながら切磋琢磨している生真面目さがあって、関西在住で心細かったわたしはそこの常連になった。上田に出会ったのはそこでのことだった。彼はJ大学という名門私立に通っていながら、政経のみにしか興味がないことを何度も呟いていて、界隈では有名人らしかった。わたしは彼に共感するようになった、勿論彼みたく政経以外は、なんて思ったりはしなかったが。よほど彼は政治家か政治学者になりたいのだ、とわたしは思った。わたし自身も日本史研究学域(R大学ではどうでも良い場所の名前を凝ったりする)に所属していたが、主専攻は近現代文学をやりたかったのだ。そして小説家になりたいという夢があった。だからわたしはW大学文学部を第一志望に刻苦勉励していたわけである。わたしも自分の夢は譲れなかった、だからこそ、自分の夢を諦めることなく何度も挑戦し続ける彼を美しいと思った。尊敬できる先輩だと思ったのだ。未練の塊とは毫も思わなかった。
「や、初めまして。上田穂一郎と言います」
両親が寝静まったあと、誰も居ないリヴィングを通り過ぎ、風呂場の中に入って電話を繋ぐ。わたしの家は寝室からリヴィングまでに一つ、リヴィングと脱衣所の間に一つ、風呂場に一つ扉があった。大学生になったんだから、と父が書斎をあけ渡してくれたことで誕生したわたしの新しい部屋は、扉こそついていたが寝室と隣り合わせで声が漏れ聞こえる可能性があった。わたしは風呂場で初めて上田の声を聴いたのだった。穏やかでなめらかな低い声だった。鞍馬の木々たちが風に誘われて会話するような清澄さが彼にはあった。わたしは彼の声に虜になった。
「は、初めまして、竹中優子と言います」
わたしは久しぶりに大学生と喋ったから、緊張もいくらか含んでうわずった吃り声だった。そのことをまた吃りながら謝ると、彼は鷹揚に許してくれた。気にしなくても良い、僕もそんなだから、彼は言った。余裕のある年上の男の人。それに常にわたしを気遣ってくれる人。わたしは彼に魅了されたのだった。
浪人生というのは大抵心に余裕が生まれない。常に第一志望のことを考え、隣りの席の人が競争相手。大人の社会ではまず考えられぬほど如実に成績が現われ、一点の違いで合否が決まる。嫌でも敗北した時のことが脳裏によぎる。常に不安が襲い、ゆったり眠ることも出来ない。そして時代は現代である。平野啓一郎の小説にもあるけれど、わたし達人間は、自分で歩ける程度の場所までしか適応できないのにも関わらず、技術は進歩し、世界は否応なしにわたしと繋げられる。世界、というのは大げさではあるけれど、わたしの世界は則ち大学受験界であり、東京一工と括られるような日本の頂点に君臨する大学の、しかも首席で入学できそうな人たちが、幾分諧謔を交えながら公表する成績に、胸が締め付けられる毎日である。勿論わたしは太刀打ちできるような成績でない。受ける大学も違う。はなから刃を交える人たちではないことも承知している。けれど、日本のどこかでわたしより遥かに高成績を修める人間が少なくとも千人はいるという現実は、わたしを途方もなく陰鬱な気分にさせるのだ。そんな器量の狭い人間に他者を慮ることが出来ようか。答えはNoである。そして普通の受験生ならば多かれ少なかれ同じトリックに懊悩していたのではないか?
すると目の前の彼は不思議と特別な光を放つ存在に見えるのは了解されるだろう。わたしは何故彼が穏やかにわたしを気遣うことが出来るのかと、彼の器の大きさに感嘆した。彼には自信があるようだった。今年こそ合格できる気がする。彼はそう豪語していた。実際に彼は優秀だった。一浪はしたがW大学と遜色ない名門J大学に楽々と入学し、昨年度(つまりわたしがR大学以外全落ちした頃だ)は僅差落ちだと聞いた。わたしは彼の弟子になることにした。弟子、というのは大げさだが、「後輩」と言うのには軽薄な関係を彼と結んだ。わたしは彼のアドバイスに従って苦手な英語に取り組み、彼の受験メソッドを金科玉条にし、彼の言う通り教育学部を受験し、彼の言う通り合格を勝ち取ったのだ。
わたしたちは9月に初めて会話してからかれこれ20回は通話しただろう、時にはわたしは大学での愚痴を呟き、孤独を訴え、彼は親身になってわたしに助言してくれた。わたしは孤独だった。前期課程で教授やその他生徒から受けた傷は化膿し、そのせいもあってか両親とも不仲になりつつあった。両親、わたしは彼らがすべてだった。わたしは思えばずっと孤独だったのかもしれない。孤独を埋めるようにして両親に甘え、両親の溺愛によってここまで生きてきたのだ。それは子供っぽいだろうし、「マザコン」「ファザコン」と言われればそれを認めざるをえないんだろうが、わたしは世間一般の子供は両親に精一杯甘えることが仕事であり、わたしの抱えている孤独への特効薬に違いないと信じて疑わなかったのだ。それに、両親がなぜ不機嫌だったのか、今こうして回顧すれば視えてくるものもあった。わたしは自分の意思で仮面浪人を決意し、すべてを自分の力で成し遂げようとしていたからではないか。わたしが子供でなくなることを親は複雑な面持ちで眺めることしかできなかった、そしてわたしは両親の介入をやんわりとだが拒絶した。そして独りぼっちの雛は、自分たちにではなく利口な大人の鴉に飛翔のための教えを乞うたのだ。要するに裏切りをわたしが行ったわけだ。両親は大人を相手にするときは厳しい。わたしは未熟だけど確かに大人になりつつある。彼らはわたしを一個の大人として接してくれようとしていたのだ、ぎこちなかったけれど。一方でわたしは関係の傷跡を、深く抉られた傷跡をみては、すべてに怯え、すべてに疑いをかけた。両親はわたしに塩を塗り込むつもりなんだ。わたしはそう邪推して唯一の「師匠=先輩」である上田にますます接近した。彼もまんざらでもない顔をしていた。彼にとって自らを慕う後輩が出来たことは、彼の自身に対する揺ぎなき信頼を一層強硬にさせたに違いない。わたしは彼の途方もなき自惚れの材料に過ぎないと暗にわかっていながら、それを利用し、わたし自身が大人へ飛翔するための踏み台として彼に師事し、彼を愛していたのだった。
それは今だからこそわかるわたし達の関係の結論だった。わたしはあの時彼のことを尊敬し愛していたし、恐らく彼もわたしを愛し、援けようとしてくれたのだ。けれど互いにどす黒い策謀をめぐらせていたのだ。無意識か意識あってのことか。けれど、それはもうどうでも良いような気がした。今の関係のあまりの不完全さ、不気味さはここに帰結する。わたしは大人になり、彼を必要としなくなった。彼は大人の翼を生やしたわたしが飛んでいくのを恐れている。自分自身の強さの証明を喪失してしまうのだから。
そうか、わたしは初めから彼を愛してはいなかったんだ。それは随分残酷な響きを持っていたけれど、わたしは安堵もしていたのだった。躊躇いもなくわたしは彼と縁を切れる。だって、彼は最初からわたしの恋人ではなく、彼はわたしを利用しようとして失敗した飛べない鴉だったのだから。わたしが罪悪感に駆られること自体がお門違いなのだ。わたしは皿の端に避けていた唐辛子を思い切って一口で食べた。舌に痺れるような辛さが拡がり、無数の種が瞬く間に口内を占領した。わたしは水を飲みたいと思ったけれど、我慢した。それはわたしが大人だからである。わたしはパスタをかっこんだ。涙が零れそうだったが、我慢した。それはわたしが大人だからである。彼の側にあったペペロンチーノはもう湯気を立てておらず、彼は二度と起きないような気がした。それも良いと思った。まるでわたしが夢幻のように消失していることを朧気ながら彼は気づく。すでに料金は支払われ、領収書の裏側にメモが置かれている。「手切れ金 あなたの成功を祈っている」と殊勝にも書き込まれた字をみて上田は呟くように言う、「ああ、あいつはなんて良い奴なんだろう」と。わたしを騙すような罪深いマネをしたならば、それ相応に「お返し」しなければならない。彼はそのメモが託宣になり、金科玉条になり、後々の人生において「Yが居なければ俺は政経に合格していないのだ」と想いを馳せずにはいられない。その生涯の最期まで彼は騙されていることを知らない――。そんな回想がわたしを愉快にさせた。すべては茶番だった。
「随分疲れる小説だね、君の疲労が僕にも伝染したようだよ」
そんなことを言いながら片山は遅ればせながらやっと来たディアボラ風ハンバーグステーキをてきぱきと快活に口に運んでいく。彼の好物らしく、ファミレスのハンバーグは邪道だというわたしの評価を一笑に付す説得力がある食べかたには好感さえ持てた。わたしは俯いてその誉め言葉とも悪口ともとれる小説評を咀嚼していた。
「ひとつだけ君に言おう、君は『救いようがない子供』だ」
彼はあっさりそう言うと、目玉焼きを美味しそうに丸のみにする勢いで平らげた。文学青年らしからぬ粗雑な食べ方にわたしは些か彼の嫌悪感のようなものを感じ取った。彼はわたしの小説を読んで不愉快になり、その気分を拭い去ろうとして躍起になって食べ物にぶつけているような感じだった。責めるわけではない、わたしの考えていることを見透かすように彼は言った。不愉快になったわけじゃない、疲れるんだ。
「そ、そりゃあわたしが疲れました、って小説だもん。主題だよ主題」
「違うな、僕は君のつらつら叙述してある疲労を感じ取ったんじゃなくて、君自身の正当化に疲れているんだ。まあ、文学の体にはなっていると思う。君は持久力に欠ける子だからね、途中から語彙力が著しく減退する峠みたいなものがある。読んでて愛らしさすら感じる稚拙さではあるんだが、今作はそれがない。成長したね。けれど、その分読みづらくなったし、疲れるよ。これを読みたいって思う読者はいると思うかい?」
わたしはうぐ、とたじろいで空になったエスカルゴの容器のべたついた残滓に目を逸らした。御尤もな意見で抗弁する余地もない。彼は穏やかに溜息をついて首を振った。準備運動みたいな軽快さだった。
「自分は汚い人間です、酷い人間ですと言っておきながら随所に散りばめられた、他責的な出来事の記述。君がこんな人間になったのは環境のせいです、わたしは悪くありません、そう言っているようにみえるんだ。それに元カレさんとの対話にしても、、彼が君の恩人であることは間違いないんじゃないか?どうして残酷に彼を見棄てることができたんだ、この話が事実として」
「わたしは対等な関係を築きたかったの。ちょうど、わたしと片山君とか、わたしと佐々座先輩みたいな。でも、上田先輩、、上田さんとの関係はどう見積もっても歪だった、どうかしてたんだよ。彼は確かに優しい人間だった、けれど、酒を飲んだら手がつけられなくなるし、現に彼はわたしのことをどこか見下してた。蔑んでいた、どうとでもなる後輩だって。わたしはその関係に疲れたの。理屈なんてほんとはないんだよ。わたしは、、彼を尊敬していた、、出来るならあの日みたいな別れ方したくなかった、、」
「僕は上田先輩というのを知らない。だから、随分ふしだらで不躾な先輩であることも信じよう。でも彼は君にとって恩人だ、何度も言うけどさ。君にしたって上田先輩との関係の断絶を後悔して、未練があるからこそこの小説を書くんだろう?ならば誠意をもって完結させるべきだ。詭弁を弄してだらだらと自己弁護に走るんじゃなくて、もっと赤裸々に素っ裸の君をさらけ出すんだよ(彼は流石にこの言葉が恥ずかしくなったのか、隣のお爺さんのわざとらしい咳払いに配慮したのか、声は小さくなった)!、、僕はこの小説の健全な批判者足り得る存在になりたい。君は私小説が抱える構造的な問題を僕たち読者の批判を通して、乗り越えて欲しいんだ。確かな才能はあるんだから、君は」
つい熱くなったことを恥じるように片山は二度咳払いして、均衡を取り戻すかのように押し黙ってしまった。わたしは彼の瑞々しい小説の人々の背中をそっと押すような、激励を聞いた気がした。わたしは自分の小説の方向性を悩んでいる。漠然とした小説家になりたいという希望は、数多の小説家を輩出したW大学に入学したことで現実味を帯びてきた。時間は有限だが、この大学のなかでは緩慢に流れている気もする。時間はある。けれど、どのように小説を書くか、それが決められない限りは永遠に賞もとれない。平泳ぎが得意なのにクロールで県大会優勝を目指すようなものだ。そしてわたしは彼のような小説を書きたいと願っている。純粋に、おおらかに、苦悩する人々を救済するような小説を書く、それがわたしの夢である。けれど、わたしは私小説のほうが得意な気がする。職業小説家からすれば、下手ともっと下手で揺れ動く滑稽さに笑いたくなるような考えではあるけれど。
「わたし、私小説のなかに救いを描いてみるよ。勿論わたしがメシアになるのではなくて、人間と人間の交感を繊細に叙述する。誰かもが抱えている悩み、誰かだけが抱えている悩み、そういうのを焙り出して昇華する。そして賞をとる」
「応援してるよ。僕も、負けられないね」
わたしは彼と柔らかい微笑を交わした。その分だけ影は濃くなり、疲れは東京湾のヘドロのように凝り固まっていく。わたしは今作に救いは見いだせないような気がした。そして現実とは、世界とはそのようであるのではないか?
「疲れた、何か飲み物が欲しいね」
「わたしがブレンドしたジュースいる?」
「いいね、是非とも飲んでみたいよ。助言するけど、ウーロン茶とその他を混ぜないほうがいい。それだけで、きっと味はよくなる」
わたしは立ち上がり、彼は伸びをした。彼は早くも三作目の小説を書き始めている。わたしは未だ一作目を停滞させて身動きが取れてない状況だ。彼の𠮟咤激励で少しは、改善の兆しは見当たりそうだが。
上田ともう一度対峙しなければならない。あの日の、高田馬場にもう一度遡らねばならない。できるだけ細部まで書き漏らすことなく。わたしの小説を最後まで読んでくれる人はいないだろう、それでも構わないと思った。この小説に救いがないことは確かだからだ。未熟なわたしの責任である。けれど、諦めることはしない。わたしはすべて書き終えたあと、ひたすら批判的に考察を繰り返し、書き直すことにしよう。亡き最も尊敬する小説家の手法、Rewriteはこのためにあったのだと、わたしは改めて彼の極致に思い致すのだった。
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