終章
1
目が覚めると、既に窓から燦々と陽が差し込んでいた。長い夢を見ていた気がする頭を抑え、身体を起こす。学校に行かなきゃとベッドから下りつつ、部屋の光景がいつもと違うことに寝ぼけ眼で気が付いた。枕元に置いたお気に入りのぬいぐるみも、ハンガーラックにかけた学校の制服も見当たらない。小さな病室のような部屋には、これまで寝ていた簡素なベッドと窓が一つあるだけで、あとはモニターやらスイッチやらが張り付いた機械がそばに備えつけてある。
まだ夢の続きを見ているのだろうか。そう思っていると、部屋のドアが音もなくすっとスライドし、一人の男が入ってきた。スーツを着た堅苦しい男の姿に見覚えはないのに、彼は何でもない風に挨拶をした。「おはよう、ミオ」と。
「これから重要な話がある。こちらに来なさい」
ミオはぽかんと男を見上げ、知らない男の侵入に声を上げた。
「なになになに、ちょっと勝手に人の部屋に入んないでよ! お母さんたち呼ぶから!」
「そんな人は最初からいないよ」
「はあ?」
「きみは今まで、長い長い夢を見ていたんだ」
警戒しながらベッドから下り、自分の手足を見てパジャマを着ていないことに気が付いた。昨夜、確かに風呂上がりに着たはずの温かなパジャマではなく、簡素な麻のズボンに白いシャツを着ている。自分の持っていないはずの服だった。ここは明らかに知らない部屋だし、騒いでいるのに両親のどちらもやってくる気配がない。
「ちょっと待ってよ、長い夢って何? 私、そろそろ学校行かないと間に合わないんだけど」
「その学校の記憶も家の記憶も、何もかもが夢なんだ」
「夢って。じゃあ私は何なのよ」
「アンドロイドだよ」
予想外の返答につまり、ミオは気持ちを誤魔化すような乾いた笑いを零す。自分がアンドロイドだなんて、それこそが悪い夢だ。その気持ちを察した男が、自身のこぶしをその胸元に軽く当てた。
「心臓の鼓動は聞こえるかい」
馬鹿にするなと言いかけて、同じように胸元に当てた手が何も感じないことに気が付いた。手に心臓の動く鼓動が伝わらない。首や手首に指を這わせてみてもそれは同じだった。まるで死人か機械のように、全く脈がない。
「なに、アンドロイドって、なに……?」
混乱に泣き出しそうな声を出すミオに、男は諭すような優しい声音で外に出るよう促した。手で扉の方を示し、「説明するから、外に出なさい」と言った。
部屋の外には無機質な廊下が伸び、それはまるでミオの知っている家の様子ではなかった。白衣を着た人間や、彼女のような普通の格好をした人たちが行き交っている。
「かつて、リーパーというウイルスが世界を支配した」
男が語り出した単語には聞き覚えがあったが、今は黙っていた。
「人々の多くはシェルターでの生活を余儀なくされ、防護服なしでは安全に外の空気を吸うことはできなくなった。多くの街が廃墟と化した。だが、リーパーの発現から約八十年後にワクチンが完成し、更に百二十年が経った今、最後の感染者の死亡が確認された」
高く幅の広い扉の前に立ち、男は壁に埋め込まれたディスプレイを指で叩く。大きな音がして、扉が左右に開いていく。
「人類は、リーパーに勝利した」
目の前には、青々とした草原が広がっていた。明るい陽射しが差し、向こうに森や山が見える。男が夢だという、これまで暮らしていた街の光景よりも豊かで美しい世界だ。ミオは頬をつねってみたが、目が覚める兆しはない。
「ワクチンのできる前、シェルターの外での活動を可能にすべくアンドロイドの開発が進められた。そして君が、管理されている最後のアンドロイドだ」
草原を歩く男について歩きながら、一つの記憶についてミオは口を開いた。
「私、電話をかけてた。多分、その夢の中で。そこでリーパーの話を聞いた」
「電話?」
「そう。その世界を旅してる男の子が二人いて、偶然電話が繋がって、時々話をしてたの」
「夢は我々が調整していたがね、そんな記憶は作らなかったな」
男が不思議そうに首をひねる。彼らは、ミオが人として生きている夢を作りだし、頭の中に埋め込んだのだという。だからそんなものは存在しないというが、現実にミオはリーパーという単語も知っているのだ。
「二人の名前だって覚えてるよ、確か……」
言いかけたミオは、先ほど出た建物を回り込んで現れた瓦礫の建築物に、足を止めて息を呑んだ。巨大なドーム型の建物は長い間風雨に晒されたおかげで朽ち果て、崩れかけている。その中で異様に真新しい扉を開いて男が中に入ったので、ミオも恐る恐るついて入る。ひんやりした空気が頬を撫で、存外に綺麗な廊下の電気が点いた。人の気配はなく、鼠一匹姿を現さない。
エレベーターの行き先案内が地下五十階を示すのにはぞっとしたが、今更逃げることはできない。稼働音がごうごうと響き、足元から微かな振動が伝わる。表示される階数がものすごい速さで下がっていく。
「ねえ、どこに向かってるの」
「きみに存在理由を教えるための場所だよ」
「存在理由って」男の台詞に腹が立ち、ミオは口を尖らせた。「わけのわかんないことばっか言って! 私は私。存在理由なんか自分で決めるから!」
ぷいと顔をそむけたミオに男が苦笑する。エレベーターは地下の奥深くに到着し、扉を左右に開いた。まっすぐに伸びる廊下を歩くと、突き当りには一枚の扉がある。
「きみは、ある人に強く望まれて生まれたんだ」
男の言葉とともに、扉が開いた。
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