13

 ひとつ実験をしよう。イブキはそう言い、ジャケットのポケットから手に収まる何かを取り出した。武器だと思い身構えたサクは、不審に目をすがめる。彼が握っているのは、一本の注射器だった。

「これは、あの爆発事件の際に盗み出した、超高濃度の抗原だ。狼から抽出したらしい。俺の仲間は、低濃度のものを使って、今異形に変化している」

 彼らはやはり、自らを異形に変えたのだ。最後に激しく燃える命で抗っている。

「これを人間に打てば、どうなるかな」

「……やめろ、イブキ、そんなことをしたら」

「俺の死を、サクは望んでいるんじゃないのか」彼はふっと笑みをこぼした。「優しいな、きみは。だが俺は高耐性だ。耐性があるというのは、リーパーにおいて劇症化による死のリスクが低いということ。つまり、感染すれば高確率で生きたまま異形化する」

「やめろ!」

 サクの目の前で、イブキは右手に握った注射器の針を自らの首に突き立てた。

 殺さなければという思いより、助けようとする気持ちが働いたせいで、彼の元に駆け寄りかけた。

 膝を折ったイブキの身体は、サクの目の前でみるみるうちに異形化する。ものすごい速度で形態が変化し、サクが飛び退った頃には四本足で立つ獣の姿が目の前にあった。それはカイと最後に倒した異形によく似た狼の姿だったが、あの時より一回りは確実に大きく、背の位置はサクの目線よりずっと高い。頭を丸のみできるほどに口は大きく、前足のひと振りで身体は粉々にされるだろう。銀色の毛並みは陽の光を受け、場違いなほど美しく輝いていた。

 部屋を飛び出しながらショットガンの引き金を引く。発砲音と共にイブキの振った前足が壁を粉々に粉砕し、砂埃が辺り一帯を包み込む。脱兎のごとく駆けるサクは、転げるように階段を下る。後方からの轟音のような遠吠えがうなじをぴりぴりと刺激し、呼応するように遠くで異形の遠吠えが重なった。

「ムジ! 外に逃げろ!」

 サクは無線機に向かって怒鳴りながら転げるように階段を駆け下りる。ひと飛びで踊り場に舞い降りるイブキの突進を辛うじて避けつつ、三階のフロアでムジと合流した。ヘルメットの向こうで目を見開く彼を覆いかぶさるように突き飛ばす。すぐ上の踊り場から飛び掛かったイブキが、正面の壁に激突した。

「なんだこいつ、デカすぎるだろ!」

「リーダーだ、こいつを倒せば僕らの勝ちだ!」

 銃を連射しながらそばの部屋に飛び込む。がらんどうの角部屋には右手と真正面に枠だけの窓がある。弾を撃ち尽くしたサクはスラッグ弾を込め直し、ムジが廊下に身を乗り出しアサルトライフルの引き金を引き続ける。だが、平気で壁を破壊する異形には豆鉄砲のようなものだろう。ムジは手りゅう弾のピンを抜いた。

 爆音を背に、サクは右手側の窓枠へ駆け出した。向かいのビルまでの幅は約一メートル。枠にかけた足に力を込め、狙いを定めて蹴り出し、水中へ飛び込むように正面の二階にある窓枠へ頭から飛び込む。身体を丸めて転がりつつ受け身を取って無事に着地。口に入った砂を吐き出しながら振り向くと、ムジは唖然としてこちらを見下ろしていた。

「そんな真似できるかよ!」

「飛べ、ムジ! 早く!」

 ムジはちらりと後ろを振り向き、意を決した様子で窓枠からジャンプした。たちまち壁が破壊され、ばらばらと細かな瓦礫が降り注ぐ。

 こちらの窓枠へ手をかけてぶら下がる彼の腕を握り、サクは全力で引きあげた。フロア内に転がり込むムジと息つく間もなく立ち上がり、部屋から廊下へ飛び出し階段を駆け下りる。一階に辿り着き、ドアの破れた出入り口から外へと飛び出した。

 地鳴りと共に、異形のイブキが目の前に飛び降りた。銀の毛皮には発疹のように赤い血がぽつぽつと滲んでいるが、とても致命傷にはなり得ない。硬い骨と分厚い筋肉に全身を守られているのだ。燃えるような深紅の瞳がギラギラと光っている。

 伏せろ! と大声が降ってきた。走り出したサクとムジは、壊れた車の影に滑り込み地面に頭を押し付ける。

 サクから無線を受けた班が周囲のビルの窓から銃撃を開始し、銃弾を受けた地面がばらばらと弾ける。イブキの背が弾幕に晒される。このまま攻撃を続ければ、いくら巨大な異形でもいつかは地に伏すはずだ。

 ビルの窓から人影が地面に落下した。イブキの咆哮に集まった異形が銃撃班を襲う。リーダーを狙う敵を殺めるべく異形が集まり、ビルの内部でたちまち戦闘が起こる。サクとムジは市街の中心部へ向けて走り出す。

「サク、避けろ!」

 背後からのムジの声に、サクは身をよじりつつ地面に転げた。イブキが前足で弾き飛ばした車がすぐ頭の上をかすめて飛んでいく。共に飛んできた瓦礫がこめかみを引っ掻き、上着の袖を裂いた。たちまち追いついてくるイブキの目を狙い、ショットガンを撃つ。僅かに逸れた弾は異形の目尻を裂き、僅かに血を滲ませた。

 前足が振られると同時に猛烈な力で弾き飛ばされ、背を地面に叩きつけ、ごろごろと何度も転がりようやく止まった。一撃を庇ったショットガンは衝撃で真っ二つに折れた。咳をしながら身を起こすと、もう目の前に真っ赤な瞳が迫っている。

 イブキが身をのけぞらせた。背後からのマシンガンの銃撃に耐えられずたたらを踏む。丈夫な装甲車に取り付けられた銃が異形へと狙いを定めている。一瞬攻撃が止んだ隙にサクはそこから抜け、ムジに腕を引かれて駆け出す。

「第二陣だ!」ムジが隣りで叫ぶ。

 第一陣で敵を中央に寄せ集め、街を囲っていた第二陣がその円を狭めるようにして外から内へ攻撃を仕掛け、相手を挟み撃ちにする。シズの作戦に助けられた。

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