9
ようやく泣くことのできたサクは、少しだけ眠った。まだ夢現で微睡む中、自分と位置の変わったニナが椅子に腰かけ、本を読んでいる姿が目に入った。彼女の目もほんのり赤く、泣いた痕跡があった。
慰めてベッドを譲ってくれたニナは、サクが目を覚ましていることに気が付くと、本をテーブルにおいてキッチンに立った。サクは身を起こし、彼女が新しく入れてくれた紅茶を今度はそっと口に運ぶ。身体に収まる紅茶の温みに、ほっと息をついた。
「サクは、ずっと泣きたかったんですね」
「ごめん、ニナ」
「謝らないでください」
彼女の言う通りかもしれない。自分は想いを心に溜めすぎて、それがよからぬ想像を生んでいた。もう、悪い夢に脅かされたりするものか。カップを置いて、サクは軽く目を擦る。
「帰って眠りますか」
「眠いわけじゃないんだ。まだ就寝時間じゃないし」
「それなら、少しだけ外に行きませんか。……あっ、外といっても、もちろんシェルターの外じゃないですよ。でも、あなたには懐かしいものかもしれません」
不思議に思いつつ、サクはベッドから下りた。また今度、ミオとゆっくり話をしよう。そう思い、携帯電話を袋にしまった。
ニナに連れられたのは、居住区のほぼ中央にある吹き抜けだった。地下三十五階と三十四階を貫く円柱型のスペースがあり、床には人工の芝生が敷いてある。住民たちがめいめい腰を下ろし、嬉しそうに天井を見上げている。
ニナの横でサクも同じく天井に目をやり、納得した。彼女が言うには、現在の空と同じ映像が反映されているらしい。シェルター外に広がる夜空を、地下深くから見ることができるのだ。
ぴかぴかと数えきれない星々が輝き、少し欠けた月が一つ浮かんでいる。プラネタリウムを訪れた誰もが、はしゃいだ笑みを見せていた。
まさか地面の下に星空を作るとは。サクはこの施設に感嘆はしたが、感動はしなかった。どうも作り物めいた夜空は、焚き火のそばから眺める光景とは全くの別物だ。本物の星にはとても手は届かないが、ここではフロアを上がれば天上さえ超えられる。
だが、「綺麗ですね」と喜ぶニナに、サクは頷いた。もっと綺麗なものを知っていると水を差すのはあまりにひどい。人工芝の上に座り、しばらく作り物の星空を眺めた。
「サクは、本物の星空を知っているんですよね」
「……うん」
「これより綺麗なんでしょうか」
「そう、思うけど」
歯切れの悪い彼に、ニナは羨望のため息をつく。その瞳はじっと天井の星を見つめ、偽物の夜に浸っていた。これは彼女にとって偽でもなんでもない、本物の空なのだろう。
いつか、シェルターの外に広がる星空を見せたい。並んで膝を抱える彼女の瞳に、煌めく人工の星を見てサクは思った。プラネタリウムで喜ぶニナが、本当に遠くで輝く星の光を見れば、どんな顔をして何を言うだろう。その様子を隣りで見て聞いてみたい。
「いつか、ニナも見られるよ」
サクの言葉に、彼女は戸惑いながら一つ頷く。
「そうなればいいですね」
「ワクチンができて、リーパーに負けないようになれば、防護服がなくても外に出られる」
「けれど、もしも残った異形や獣が現れても、私は銃を撃てません」
「僕が倒すよ。少しは慣れてるんだ」
驚きに見張った目を、ニナがこちらに向ける。何かを言うかと思ったが、彼女は口を少し開けて閉じて、結局頷いた。次第に笑みが広がり、もう一度大きく頷いた。
「その時は、お願いします。私、あなたのように外に出てみたいんです。防護服なんて着ないで、フィルター越しじゃない空気を吸ってみたい」
思わぬところで、やることができた。いつか、ニナを安全に外に連れて行き、満天の星空を見せる。
「それがお返しになるなら」
「お返しとは」
「ずっと協力してくれただろ。あの爆発事件の時から。正直、なんでこんなに協力してくれるのか不思議だったんだ」
彼女にそんな義理はないはずだ。サクの言葉にニナは少しの間を空け、噛み締めるように言葉を選ぶ。
「サクは、希望だからです」天井の星を見上げる。「私たち……少なくとも私にとって、身一つで外に出て生きるというのは、夢のまた夢です。こうして地下に潜っていても、リーパーに耐性のない人たちが感染するのを見てきたし、彼らは今も隔離されています。私の知る人も、何人も亡くなりました。私自身、いつ彼らと同じ道を辿るか、戦々恐々としています」
空の星から、思い詰めた眼差しをサクに移す。
「防護服を着ないまま、リーパーの脅威にも晒されず、太陽や星空の下を自由に歩けるあなたの存在は、私にとっての希望です。いつかサクみたいに生きてみたいと思っていたから、あなたが絶望するのを見ていられなかった」
自分の当然は、彼らの当然ではない。だからこそあらゆる人に妬まれてきたが、超耐性の恩恵はそれだけ大きいことを意味している。
「サクの同居人も、心配していましたよ」
いたずらっぽい表情に最初は合点がいかなかったが、それがムジだと気付くと驚きが湧いた。
「ムジが、僕を?」
「自分の証言でサクが疑われて、重い処罰を受けることになるかもしれない。後味の悪い後悔があったからこそ、私にも話をしてくれたんです」
「全然気付かなかった」
まさかムジがそう思っていただなんて、微塵も想像しなかった。くすくすと笑う彼女は、「それに」と囁いて少し迷うそぶりを見せたが、やがて決意したように口を開く。
「それに、協力したいと思ったのは、あなたが嘗て言ったことにもひどく共感したからです。今あるものの中で、頑張るしかない。その通りだと思いました。持って生まれなかったことを悔やんでも仕方が無い、だからこれからも、自分にできることをしようと思いました」
「あれは、僕の台詞じゃないよ。カイが教えてくれたんだ」
ニナははっとし、表情を緩めた。少しだけ泣きそうな風にもサクには見えた。
「あなたたちは、本当に良い旅をしていたんですね」
彼女の希望は叶えなければならない。サクは強く思い、紛いものの月を見上げた。
「サク、待っていてください。いつか私も、同じ場所に立ちます。その時は……」
「うん。その時は、僕が隣にいる。ニナが空に飽きるまで、近づく敵はすべて倒す」
少し欠けた月を見て、思い出す。あの夜、彼が言ったことを。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます