10
その晩も、シェルターの外で警備をすることになっていた。カメラの監視の届かない場所に異変がないか、危険な異形の姿はないかを交代で見回る役割だ。エレベーターで一階まで上がり、防護服を被りショットガンを握る。防護服の着用履歴を記録するための装置に、自身のIDと指紋で認証させる。頑丈な扉を何枚も抜け、シェルターの外に出た。
月は痩せているが、星の明るく輝く夜だった。当番の隊員と交代し、明け方までの勤務に入る。決められたルートを歩き、無線から異常の連絡があればそこに出向き、異形が確認されれば射殺する。防護服越しでは外の空気の爽やかさを感じることはできないが、壁や天井のない草原を歩くだけで少しは心が晴れる。他の人間の気配がない場所は、考えにゆっくり浸るには最適だった。
開けた草原の向こうには、森や山がそびえている。足元の青い草が風にさらさらと揺れ、頭の上には煌めく星々が瞬いている。今すぐ防護服を脱ぎ捨てて局から逃げ出したい衝動に狩られるのを、ぐっと堪えねばならなかった。ひんやりした空気を吸って、焚き火の灯りを眺めながら眠りたい。冷たい川で手足を洗って、森の草いきれに包まれたい。シェルターの壁の見えない遠くに行って、また二人で旅をしたい。
二度と叶わぬ夢を歩くような気持ちの中、忘れもしないカイのことを思い出す。
サクにとって、カイは獅子のような存在だった。黒に赤銅色の混じった髪を持ち、大きく口を開けて笑う彼の姿に、いつだったか本の挿絵で見た獅子を重ねた。勇敢さと優しさを兼ね備えた明るい彼は、常に自分より二歩も三歩も先を行く眩い存在だった。普段はふざけているのに、銃を構えた瞬間に毅然とした姿へ変わるのが格好良かった。仲間に見捨てられ、絶望の中で意識を失った自分を根気強く介抱し、どれだけ心を閉ざしていても決して見捨てなかった。
絶対に許さない。サクは銃を握る手に力を込める。彼の命を奪った相手を捜し当て、必ず自分がこの手で殺す。既に何度も固めた意思を再確認し、ふと遠くに目をやった。
人影が、そこにあった。
ごつごつした岩が地面の上にそそり立っている。その手前の影と一体化するように、誰かがこちらを向いて立っていた。
シェルター付近に村や集落は存在せず、外に住む人間が近づくことすら滅多にない。偵察部隊の者であれば、自分と同じ防護服を着ているはずだ。だが、その誰かは簡素なシャツと長ズボンにジャケットを羽織っただけの格好をしている。
サクは足を止めてショットガンを構えた。異形化の始まった村人か旅人が迷い込んだのだと思い、銃口を向けたまま首元のスイッチに触れようとした。スイッチを押すと管理部と無線通信が繋がり、状況を知らせることができる。もし相手が既に異形と化しており、それが強力であるならば、応援も呼ぶ必要がある。
その誰かが待ったというように手のひらをこちらに示したので、サクはボタンに触れかけた手を止めた。もしかすると、話の通じる人間の可能性もある。
「俺は人間だ。異形じゃない」
落ち着いた男の声が、はっきりとそう言った。異形と化せばまず会話をすることは不可能だ。
だがサクは眉根を寄せた。その声には聞き覚えがあった。
「きみは、サクだな」
驚くサクの前を移動し、男が岩の前に立った。逆光で見えなかった顔を確認し、サクもヘルメットの中で呟く。
「イブキ……」
それはカイと訪れた廃墟の街で出会った、男の姿だった。
淡い緑のバンダナにも見覚えがある。異形に囲まれながらも廃墟の街で暮らすことを望んでいたイブキは、今すぐそこに立っている。
「なんで、こんなところに……」
フィルターを通したサクの声は小さかったが、しんとした夜の草原の空気を震わせ、相手の元に届いた。一年前と変わらない様子の彼は、少しだけ肩をすくめてみせた。
「大したことじゃない、用事があってね」
「用事って、なんの」
「ちょっとしたことだよ。何もしないから、その銃を下ろしてくれないかな」
はっとして僅かに躊躇しつつも、サクは銃口を地面に向けた。ありがとうとイブキは軽く笑った。
「サクは今、シェルターに住んでるんだよな」一人で納得した風に、イブキは頷く。「シェルター生まれの超耐性なら、戻ることも可能なんだな」
「……どうして、知ってるんだ」
シェルターを自ら出た者は、二度と戻ることはできない。そして外で生まれた人間が望んでも、シェルターに入ることは不可能だ。中で培養された人間だけがシェルターで暮らすことを許されるのだ。任務中の事故という特殊事例扱いでサクがシェルター内に戻れたのは、超耐性という性質が大きなメリットとして働いたためだった。
サクについて何も知らないはずのイブキが、なぜ超耐性という情報まで得ているのだろう。
「聞いたんだよ。シェルターには超耐性の人間がいるんだって。写真を見せてもらって、それがきみだったから、心底驚いた」
サクには、自分が唾を飲み込む音が、やけに大きく響いた気がした。
「聞いたって、誰に」
「偵察部隊の隊員だよ」
「どうして、シェルターの外にいるイブキが」
目の前の若い男は、ただの住民ではない。それを証するように、彼は両手を軽く広げて笑ってみせた。
「俺が、反対派のリーダーだからさ」
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