18
「……やった」
腰を落としたまま異形を見下ろすサクが、疲れ果てた声を零す。その手を掴んで引き起こしてやりながら、カイは安堵がこみ上げるのを感じて笑みを浮かべる。
「やったぜ、倒したんだ。俺たちが」
あれを倒せたのなら、多少血の流れる傷なんて大したことはない。カイは腕で頭の傷を拭った。とにかく、二人で力を合わせて生き延びた。銃を身体にかけ、サクの肩を軽く叩こうと手を伸ばす。
伸ばした手で掴んだ肩を、カイは思い切り下方に引き倒した。位置を入れ替わるようにぐるりと身を反転させる。
その身体が一度大きく波打った。真っ赤な血が迸り、瓦礫の上に倒れ伏す。
サクは咄嗟に構えた銃を撃った。向こうで発砲した誰かは銃弾を受けてきりきり舞いをする。もう一発撃つとバランスを失い、雑木林に埋もれた。
「カイ!」
絶叫し、サクは瓦礫の上に横たわるカイに取りつく。カイは苦しげに顔を歪め、その目は眩しそうに天を仰いでいた。薄く開いた口の端から血が零れ落ち、その右の脇腹はごっそり抉れていた。灰色の瓦礫の上に大量の血がどろりとした海を作り、控えめな小雨が降り注ぐ。
呆然とするサクは、咄嗟にカイの傷口に手を当てて抑えた。少しでも血が止まることを願ったが、熊や鹿や異形を殺すための弾丸は、カイの身体には強力すぎた。あの誰かは確実に自分を狙っていた。カイは自分を庇って撃たれたのだ。
「カイ、待ってて、傷を塞ぐから」
手遅れなのは百も承知なのに、そんな台詞を口にして、サクは包帯を取り出そうとベルトのポーチを探る。なかなかジッパーを開けられないのは自身の手が震えているせいだとは気付かなかった。もどかしくなり、再び彼の傷を手のひらで塞いで、傷の大きさに絶望する。
「大丈夫だよ、大丈夫、絶対に」自分に言い聞かせながら、サクは必死にカイに話しかける。「きっと山を下りたら村があるから、そこまで僕が背負って行くから、大丈夫だよ」
口早に話しかけるサクの名を、カイの掠れた声が呼んだ。
カイにはわかっていた。自分がもう助からないことは。大きな傷を受けているのに、不思議とそれに見合った痛みがない。自分の身体が死に向かっているのは明白で、これまで幾人もを殺してきたカイは、この傷が十分な致命傷であることをよく理解していた。
死にたくないと思った。ここまで生き延びてきて、ただの一発でやられてしまうなんて。泣きそうなサクの顔が目の前にある。サクをたった一人残して、死にたくない。相棒を一人ぼっちにしたくない。いつまでも共に旅をして、まだ見ぬ景色を一緒に見たい。
思いとは裏腹に、カイは感覚を失いつつある手で傍らの銃を握り、サクに差し出した。モスバーグを受け取る意味を理解し、サクは子どものように首を横に振って嫌がる。その瞳から大粒の涙が零れ落ちた。
「やだ……いやだよ、カイ。僕は、まだまだ、教えてもらいたい。一人じゃできないことが、たくさんあるんだよ。一人ぼっちにしないでよ」
けれど、受け取ってくれと、カイは微かに唇を動かした。もう自分が引き金を引くことは二度とない。カイの手の震えに居たたまれなくなったサクは、泣きながらようやく銃を受け取った。
サクはあまり感情を表に出さないが、カイはその心の豊かさを知っていた。誰よりも優しい彼が、自分のために初めて涙を見せてくれるのを嬉しいとさえ思った。同時に、申し訳なさでいっぱいになる。彼を一人ぼっちにする罪悪感ではち切れそうになる。敵だらけの世界で、ようやく信じあえる相手に出会えたのに。
「おまえは、一番の相棒だよ」
俺の見られなかったものを見ろ。サクに出会えたことで、老人との約束は果たせた。こんなに美しい涙は、彼も決して見なかったに違いない。
ごめんを言いたいのに、呼吸が辛くて上手く声が出てこない。仕方なく唇の動きで伝えると、サクはいっそう顔を歪ませてぼろぼろと涙を零した。震える手は感触を失っているはずなのに、覆い被さる彼の頬に触れてその涙をすくうと、熱を感じた。サクが重ねる手の温もりに安堵した。力を振り絞り、生涯最後の呼吸をする。
「俺は、ずっと、一緒にいる」
世界で一番大事な人。どうかこの先、幸せが訪れますように。
「ありがとう、サク……」
その言葉を口にし、カイは最期に微笑んだ。
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