14

 世界のどこかにあるかもしれない土地を探すため、二人は旅を続けていた。しばらくの雨が続き、獲物を捕えることが困難な日が連なった。村も集落も見つけられないまま、小雨の降る山を越える頃には、食料もほとんど残っていなかった。

 自分の身体の丈夫さをカイは自覚していたから、少しの不調も大した問題ではないと思っていた。しかしいつの間にか咳が出始め、空気は冷えているのに身体は熱を帯びるようになった。これはまずいと思った頃には足を運ぶのも億劫で、眩暈にバランスを崩していた。

 サクに身体を支えられて体勢を立て直し、カイは葉の茂る木の下にようやく腰を落とした。何度もサクは心配の声を掛けてくれたが、大丈夫を繰り返してろくに休もうとしなかった。そのおかげで、今は目の前が回り、雨に湿った身体はじっとりと汗をかいている。自分の身体に毒づく力もなく、そばに膝をついてザックを下ろしてくれるサクに、なんとか声を掛けた。

「悪い、ちょっと休ませてくれ……。そしたら、なんとかなるから」

 彼が不安をいっぱいに湛えた表情で頷くのを見て、木の幹に身を預け重い瞼を閉じた。音もない小雨の粒がいつの間にか大きくなったのか、葉を叩く音が異様に遠くから聞こえてくる。

 せめて雨さえ止んでくれれば。そう思って眠りについたのに、目を開けると雨は一層強く地面を叩いていた。自分を揺り起こしたサクは、目を覚ました様子を見て微かに安堵を浮かべつつ、「こっち来て」と言った。「屋根、作ったから」

 シートを張ってくれたらしい。ふらつく身体を支えられながら、木々の合間にひっかけられた緑のシートの元に歩く。雨を防ぐシートの真下には、太い木の枝が横一列に並んでいた。

「この上で寝てて。なにか捕まえてくる」

 腰を下ろして驚いた。温かい。かつてサクに教えた寝床の作り方だった。一つの穴を掘って中に焚き火を作り、それを寝床の真下に掘った穴と繋げる。穴の上には枝や丸太を渡してトンネル状にし、熱を帯びた煙がそのトンネルを通って真上の寝床を温め、足の方から抜けていく作りだ。焚き火にも枝や葉で蓋が被せてあり、この蓋もやがて薪になる。

 随分大変だったに違いない。顔まで雨と泥にまみれたサクは、シートの下に置いたザックを探り、乾いたシャツを取り出した。促されるままカイはシャツを着替え、水筒から水を飲む。雨を凌げるだけで生き返った気持ちになる。

「いいよ、俺も行く」

「大丈夫、カイほど上手くできる自信はないけど、きっと何か捕まえてくる」サクは自分の銃を握り、腰のポーチから取り出した弾を込めた。「折角作ったんだから、カイは寝てて。すぐに戻ってくる」

 そう言って立ち上がり、サクは雨の降る木立へ足早に進んでいった。その背は木々に阻まれ、すぐさま見えなくなった。

 彼の行く先にうつろな眼差しを向けていたカイは、ふと軽快な電子音に我に返った。ザックに手を伸ばし、音を発する携帯電話を取り出す。どのボタンを押せばミオと繋がるのかは、試行錯誤のうえ明らかとなっていた。

「おーい、暇だから電話してみた。今何してるの」

「……雨宿り」

「その声はカイ? なんか暗いね」

 彼女の明るい調子は、電話に出たカイが咳をするのを聞いて、たちまち心配そうな声音に変わる。シュラフを毛布のように身体にかけて横たわりながら、大丈夫だとカイは呟いた。

「ちょっと、調子が悪いだけだ」

「サクは」

「食べるもの探しに行ってくれてる」

「ごめん、タイミング悪かったね。切るよ。……ってか、ほんとに大丈夫?」

「ああ……。切らなくていい。ただ、途中で寝ちまうかも」

「なら、カイが寝落ちしたら切るね。疲れたらいつでも言って」

 サクがたった一人で雨の中の狩りに出かけた不安に、居ても立っても居られない。だが、今の自分が追いかけたところで足手まといにしかならない。彼女の声を聞いて、少しでも葛藤を紛らわせたかった。

 頭上で雨粒がシートを叩く音と、彼女の声が入り混じる。横たわる身体が芯からじんわりと温まり、湯に浸かっているように心地よい。頭のそばに置いた携帯電話にぽつりぽつりと返事をする。

「雨、ひどいみたいだね。二人はほんとに旅の途中なんだ」しみじみとミオが言う。「そういえば、カイとサクは、兄弟じゃないんだよね。どうして一緒に旅してるの。幼馴染とか?」

 いや、とカイは否定する。遠い場所にいる彼女になら、話をしても問題はないだろう。

「俺は、ずっと旅をしてきた。爺さん……育ての親が死んでから、一年ぐらい一人でいた」

 あの老人が生き延びる術を叩きこんでくれたのは、この時を見越していたのだと一人になって気が付いた。そのおかげで生き残っていたが、心細さはずっと心の底にこびりついていた。

「サクはシェルターにいて、リーパーに耐性があったから、訓練を受けていたんだ。異形を殺したり、外で活動するための」シェルターでは耐性ランクの高い者は、一人残らず偵察部隊に配属されるのだとサクは言っていた。そのため彼は銃を扱うことができた。

「シェルターの外で異形を退治している時、火事が起こった。火に巻かれて異形に囲まれたサクを、仲間は見捨てた。……気を失って倒れてるあいつを見つけて、異形を殺して、俺が助けたんだ」

 なぜ危険を冒してまで自分が彼を助けたのかわからない。当時はまだ人間らしい同情心があったのか、年の近い彼の姿に親近感を覚えたのか。とにかく、目を覚ました彼が超耐性であり行く当てもないことを知り、一緒に旅に出ることを提案した。

「最初は、警戒心の塊だったよ。無理もない。人に裏切られたばかりだったんだ」

 いつの間にか、自分にとってのサクは、心から信用できる大事な相棒になっていた。

 黙って話を聞いていたミオは、そうだったんだと呟いた。

「よかったね。サクがまた人を信じられるようになって。カイのおかげだ」

「そうなら嬉しいんだけどな」

 カイは苦笑する。

「サクは、俺にとって誰よりも大事な家族だ。一人で旅してるときは、大して怖いものはなかった。……死ぬことすら、死ぬならそれまでだと思ってた」

「今はどうなの」

「サクを失うことが一番怖い。あいつにだけは生き続けてほしい。……出会えてよかった」

 全てを口にすると、張りつめていた気持ちが和らいだのか、急に睡魔が襲ってきた。脳裏に、炎と異形に囲まれていた彼の姿と、目を覚ましても小動物のように怯え、口さえ利かなかった姿がよみがえる。あの時のサクに出会えてよかった。寝床の温もりに身を預け、うとうとと眠気に揺られる。カイはいつしか、眠りに落ちていた。

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