13

 教室の一画に焚き火を拵え、階下の熊の肉を使って夕食を済ませる。異形が集まってくる気配はなく、校舎の中は至極静かで穏やかな空気が流れていた。腹がくちて人心地がつき、火の灯りだけが頼りになる頃、サクが携帯電話を手にカイの横に座った。窓の外は暗く小雨が降り出し、屋根と壁があることに二人はほっとしていた。

 サクがあちこちボタンに触れるのをカイはぼんやりと眺める。何十年も前から放置されている機械が動くはずがない。

 そう信じていたから、機械の小さな画面が灯りを発したことに目を見張って仰天した。サクも驚いた様子で口をぽかんと開けている。

「点いた……」

「嘘だろ、壊れてないのかよ、これ」

 カイも顔を寄せて機械を覗き込んだ。淡く光る画面には見たことのない記号が羅列され、一体何が書かれているのか読み取ることができない。

「読める文字だと思うけど、画面の機能が壊れてるみたい」

 サクが珍しく興奮した声で呟き、左手の指先でぽちぽちとボタンを押していく。その度に画面の記号が変化するが、浮かび上がる内容はどれも理解できなかった。

「いや、でもすげえよ。ほんとに点いた」まさかこの機械が再び光を放つなんて、予想だにしなかった。「絶対に点かねえと思ってたぜ」

「僕も無理だと思ってた。本当に電源が入るなんて……」

 額を突き合わせ、二人は白い光を仄かに発する携帯電話を見つめる。サクがボタンを押すたびに、ピッピッと高い音まで鳴る。焚き火が崩れかけているのに気が付き、カイは慌てて小枝を加えた。

 サクの手の中で、携帯電話がプルルルと新たな音を発した。思わず彼は床に放り投げてしまったが、機械は構わず電子音を鳴らし、画面を光らせている。

「おい、なにやったんだよ」

「わからない。急に……」サクは急いで拾い直し、あちこちボタンを押し始めた。彼にもなぜ突然音が変わったのかわからないのだ。

 すぐさまぴたりと音は止んだ。原因は不明だが、二人はとりあえず安堵する。だが更に驚くことに、機械からは声が流れてきた。

「……もしもし?」

 聞き覚えのない若い女の声のように思え、カイとサクは顔を見合わせる。再び、もしもしと同じフレーズを繰り返し、「どなた?」とその声は続けた。

「なんだよ、俺全然わかんねえぞ」

「僕にも分からないよ。……もしかしたら、どこかに繋がったのかもしれない」

「どこかって、どういうことだ」

「だから、つまり、電話が繋がったってこと。今誰かが、この携帯電話に向けて話をしてるんだ」

「そんなわけあるかよ、何十年前の機械だと思ってんだ」

「そう言われたって」

 言い合う二人の声を、女の声が遮った。

「ちょっと誰、いたずら? いたずらなら切るよ」

「あ、えっと」咄嗟にサクは携帯電話に向けて声を発していた。「いたずらじゃなくて」

「番号が表示されてないんだけど、なにこれ、非通知?」

 非通知の意味が分からず戸惑うサクの横で、「そっちこそ誰だ」とカイが口を挟む。

「そっちこそって、知らないでかけてるの。やっぱりいたずら?」

「だからいたずらじゃないっての」

「僕はサクで、こっちはカイ。……一体何が起こってるんだ」

 自問しつつサクが返事をすると、相手も口を閉ざしてしばらく考えている風だった。

「何がって、そっちが私に電話をかけてきたんでしょ」

「拾ったんだ、これ。えっと、携帯電話。それで触ってたら、音が鳴って、声が聞こえて」

「拾った? 私の番号を知ってる誰かの電話ってことなのかな……。どこで拾ったの」

「学校。……廃墟だけど」

「廃墟?」相手は一段と困惑した声を発した。

 戸惑いつつも、それは互いのことだと理解したのか、相手は通話を切らずに会話を続けてくれた。興味を刺激されたのかもしれない。少しずつ説明し合う中で、彼女はミオと名乗った。カイとサクの間の年齢で、学校に通う普通の学生だと言った。驚いたことに、彼女はシェルターもリーパーという単語も知らないという。

「防護服? そんなのなくても生活できるよ。てか、どこから電話してるの」

「どこから……」サクはカイに視線を向けるが、カイも自分たちの現在地をうまく説明することなどできない。反対にミオの住む街の名も聞いたことがなかった。

「ウイルスが流行ってない土地があるってことか」

 カイの台詞に、サクも無理に納得するしかなかった。シェルターではリーパーは世界的に流行し人口を激減させたと聞いていたが、ウイルスの脅威を免れた場所が実はあったのかもしれない。そこでサクはふと思い立った。

「それか、カイが言ってた別の世界っていう所かも。ちょっと違うって言ってた世界」

 サクに語って聞かせたのはカイ自身だが、それでも存在も確認できない世界の人間と会話ができるだなんて信じ難い。推測を伝えるとミオは可笑しそうに吹き出した。

「聞いたことある、並行世界っていうの。正直、本当にあるとは思えないけど。あったとしても、電話が通じる?」

「それは、そうだけど……」

「でも、会話ができてるのは本当だしね。ウイルスで人がシェルターに追いやられたって聞いたことないけど、私にそんな嘘つく必要なんてないし」

 深夜まで話をする中で、二人はミオの住む場所が随分と平和な所であると知った。もし世界のどこかに彼女の暮らす場所があるなら、ウイルスのない景色とやらを見てみたい。

「よし、行ってみようぜ、ミオの住んでるところ。時間はあるんだ。世界中探せば何とかなるだろ」

 いつもの豪快なカイの台詞を聞き、サクはその非現実さに呆れ顔をしたが、それでも良い考えだと思ったのか一つ頷いた。

「面白いじゃん。是非きてよ。案内してあげる」

 電話越しにミオが明るく笑い、旅の次の目標が決まった。

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