10
男の死体と荷物は雑木林に捨てた。肉は獣の糧となり、骨は土に還るだろう。
すっかり黙ってしまったサクと交代し、カイは焚き火のそばに腰を下ろす。火の向こうでシートの下のシュラフに潜る彼は、目を閉じて何とか眠ろうとしている風だった。夜はまだまだ明けない。
彼を呼んだのは小さな声だったが、サクは耳ざとく聞き取り、瞼を開いた。先ほどの光景が頭にこびりつき、眠れないに違いない。
「サクは、間違ってないよ」
「……じゃあ、カイは」
「俺も間違ってない」
空を仰ぐと、満天の星空が広がっていた。まるでさっきの事件などお構いなしに、きらきらと思う存分輝いている。
「こういうこともあるんだ」
自分が大した罪悪感を覚えていないことに、カイは気付いていた。武器を向ける人間に情けを掛ける必要はない。他人の命を奪おうとする者は、自らの命を奪われる覚悟をしているはずだ。最後は強い者が勝つという、当然の成り行きなのだ。
だが倫理や道徳や感情があるからこそ人は人であり、その点サクは自分よりずっと人間らしい。自然という名の非情に徹しきれない脆さと優しさがある。それをいつまでも守っていてほしいとカイは願う。手を汚す役ならいくらでも務めるから、どうか彼にはこのまま生きていてほしい。
それでも、いつしか彼が、その優しさ故に傷つき命を落とす結果にならないか。それがカイの大きな不安と心配だった。自分が守り切れない時がくるのではないか、優しさが命取りとなる日を迎えるのでは。サクには変わって欲しくないのに、変わらなければ命を脅かされてしまう。その葛藤と共に、彼の分も強くなりたいといつも願うのだった。
「ねえ、カイ」
自分を呼ぶ声に、カイは夜空から視線を下ろした。
「……僕、次はやるから」
サクの細い声に、胸が苦しくなる。彼にこんなことを言わせてしまう状況が、悲しくてやり切れない。
「無理するなよ」
細い枝を拾い、焚き火にくべる。パチパチと細かな火の粉が弾ける。
「おまえは、おまえのままでいい」
自分が彼にどうしてほしいのか、カイにはわからなかった。ただ一つ確かなのは、彼が今後どんな決断をしようとも、彼がサクである以上、自分は必ず味方でいるということだった。
「サクに出会えてよかったよ。俺はそう思ってる」
思い詰めた表情で炎を見つめる彼に、カイは続けた。
「もしかしたら、会えない世界があったかもしれないな」
「……会えない世界って?」
赤々と燃える炎を宿す瞳が自分を捉えるのを見て、昔に聞いた話を記憶から手繰り寄せる。眠れない夜に、老人は様々な話を聞かせてくれた。寝物語を紡ぐ声を聞きながら眠りに落ちる心地よさは、今も身体の奥底に残っている。
「世界ってのはな、いくつもあるんだって、爺さんが言ってた。ちょっとずつ違う世界が存在するんだ」
「なにそれ。ちょっとずつ違うって、どういうこと」
「例えば、俺が生まれなかった世界。ウイルスが流行らなかった世界。爺さんがまだ生きてる世界。……そんな限りない数の世界が、実はあるんだって」
「どこに」
「どこかに」
なにそれ、とサクはまた小さな声で呟いた。だが、その目は不思議な話に興味を抱いて輝いている。
「じゃあ、僕たちが出会わなかった世界もあるってこと」
「そうだな。俺がまだ一人で旅を続けてて、サクがシェルターに残ってる世界が、きっとどこかにあるんだろう」
「嫌だな、それ」
言葉通り、嫌そうに顔をしかめてみせる仕草にカイは笑う。
「俺だって嫌だよ。一人で旅をするのはつまんねえしな。その世界の俺は可哀想だと思うよ」
「僕だって、あそこに残ってるのなんか嫌だ」
「丁度いいんだ、俺たちには、ここが」
「その世界の僕ら、なんとか助けられないかな」
思案する彼の眼差しを受け、カイは思わぬ台詞に驚いたのち、再び笑ってしまう。本当に優しいやつだと思う。
「無理だよ。だけど、きっとそいつらには、そこが丁度いいんだ。どこかで誰かが俺たちを助けたいと思ってても、大きなお世話だろ」
「うん」
「それと同じだ。今あるものの中で、何とかするしかないんだ。神様がそうしてるんだ」
「信じてないよ、神様なんて」
「俺もだよ」
そうは言ったが、やはり一人きりで旅をする世界の自分は可哀想だ。気晴らしができたのか、やがて眠ってしまったサクを見ながらカイは思った。狂暴な獣や人間に脅かされ、自然に左右される生活であれど、二人で旅ができる自分はどの世界の自分より幸せ者だろう。そう信じている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます