8
いつでも発砲できるよう銃を構え、二人はゆっくりと森の中を進む。前方から聞こえる声は既に掠れていたが、それでも確かに、助けてくれと言っていた。身長よりも大きな岩がずっしりと立ち塞がる手前で、岩の裏にいる者に、カイは低い声を発した。
「誰だ」
助けを呼ぶ声はぴたりと止み、恐々といった雰囲気で「……たすけてくれ」と繰り返した。
「頼む、足をひねって動けないんだ」
岩の裏には中年の男が地面にうずくまっていて、二人を見ると弱々しい笑みを浮かべた。媚びるようなそれを顔に張り付けたまま、男は敵意がないことを示すため両手を顔の高さに上げる。
「おっさん、どこから来たんだ」
「西にある村だ。山菜や茸を採りに山に入ったんだが、道がわからなくなって、迷っている内に崖から転げ落ちたんだ。その時足をくじいて、なんとかここまで来たんだが……もう限界だ」
銃を構えたまま尋ねるカイに、男は抱えていた右の足首を服の上からさすってみせる。
「頼むから、その銃を下ろしてくれ……俺はもう、腹も減って動けないんだ」
しばらく考えた後、カイはサクに合図し、銃口を地面に向けた。男は荷物を持っているが、中から武器を取り出す間に、自分たちは発砲することができる。照準から外れた男は、泣きそうな顔で二人を見上げた。
「二日間、何も食べてないんだ。すまないが、何か食べ物をわけてくれないか……」
カイはため息を吐き、どうすると背後のサクに意見を求める。彼は仏頂面に困惑の影を宿しながら、助けようと呟いた。やっぱりなと苦笑し、カイは仕方なく男をキャンプ地に連れて行くことにした。
「全く歩けないのか」
「左足は大丈夫だが、もう力が残ってないんだ」
情けなく消え入りそうな声に、再度ため息をつきながら肩を貸して歩き出す。身長は大差なく、男は痩せていてそれほど苦ではなかった。サクが左手に男の荷物を下げてついてくる。なんとか拠点に辿り着いて男を地面に座らせ、コップに注いだ清水を飲ませた。男は泣き出さんばかりに礼を繰り返し、二杯、三杯と立て続けに飲んだ。
「西の村っていうのは遠いのか」
「ああ」ようやく人心地ついた風の男は、吐息と共に頷く。「片道だけで、まる一日はかかる。野営するつもりだったんだ」
荷物は野営ができるほど多かったが、足を引きずって移動する際に少しずつ捨ててきたという。食料も食べ尽くし、今は寝袋ぐらいしか残っていないのだと、男は自分のザックを抱える。
「流石に、おっさんを村まで運ぶのは無理だ。仕方ねえな、俺たちが朝出てきた村で人を呼ぶから、そこに助けてもらおう」
そばの石の上に腰を下ろしたカイが提案する。「これから?」とサクが疑問を呈するのに首を振った。
「いや。もう遅い。明日の朝になったら出発しよう」
「恩に着るよ。申し訳ない……」
項垂れる男に、カイは呆れ顔ながら笑ってみせた。
「仕方ねえよ。それに、感謝するならこっちにしてくれ。俺だけだったら、見捨ててたかわからない」
顎をしゃくって示すと、男はサクに礼を言って頭を下げた。彼はそばに突っ立ったまま、居心地悪そうに頷いた。
サクが改めて見回った罠には、小柄な狐が一匹かかっていた。とどめを刺して持ち帰り、皮を剥いで捌く。カイは魚の処理を済ませ、四匹を焚き火で焼いていく。思わず三人での食事となったので、一匹を鍋に入れて出汁を取るのに使った。残りは干物にするため網に入れ、近くの木の枝にぶら下げる。明日の朝には保存食として出来上がるだろう。
陽が傾き茜色の空に群青が染み込む頃、焚き火を囲み、焼き魚とスープで食事にした。男は温かなスープにありつき、その美味さに感動すら覚えているようだった。
「こんなに美味い食事は初めてだ」
「大袈裟だなあ」
口の中から魚の骨を摘まみ出すカイに、男は尚も繰り返す。
「本当だ。これまで食ったものの中で一番美味い」
「そういえば、足は折れてたりしないの」
椀を両手で包み、焚き火の炎に目を細めるサクが、男の足首に視線を移した。
「折れてはいないと思う。そこまで腫れてないからな」
「村の人たちが心配して探しに来たりとか」
「それは考えられない」
男は眉尻を下げつつ笑った。
「異形か獣にでも喰われたと思われているだろう。俺一人のために、危険を冒して探しに来るようなやつはいないよ。村の連中は淡白だからな」
「まあ、しゃあないよな。二の舞、三の舞いになるのがオチだ。そうなりゃ俺たちにも助けきれない」
こんな男が二人も三人も現れたら堪まったもんじゃない。笑いながら、カイはスープに口をつけた。
「そういえば、ここから南に廃墟があるって聞いたんだけど」
サクが思いついたように言うと、男は「廃墟?」と呟いて考えていたが、すぐに思い至ったようだ。
「噂は聞いたことがある。大きな街があったそうだが、人が絶えて以来、異形が住み着くようになったらしい。だから誰も近づいたりしないんだが……まさか、そこに行くのか」
サクが頷くと、男は手を振ってやめとけと言った。
「どうせ大したもんなんかありゃしない。自分から近づくなんて、それこそ馬鹿の所業だぞ」
「心配ありがとな。けど、俺たちは馬鹿なんだ」
「なんでわざわざ」
「面白そうだからだよ」
カイの言葉に、男はぽかんとしていたが、やがて眉根を寄せ、奇妙なものを見るような目つきをした。それを見て、カイは声をあげて笑う。
「大丈夫だって、足くじいたりなんかしねえし」
それを聞いて男は表情を歪めたが、彼に釣られて笑い出した。いつの間にか、頭上の空には三日月と星々が輝いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます