5

 旅路で対峙した異形の話を終えた頃、イブキは陽が暮れるから街で夜を明かすよう提案した。既に夕刻の気配を感じる時分で、これから歩いても雨風をしのげる場所には辿り着かないだろう。廃墟の一画を借りることにした。

 イブキは食料を分けると提案したが、戸惑うサクの前に出てカイは笑って辞退した。

「こっちも実は余ってるんだ。腐る前に食っときたくてさ」

 会ってすぐに敵対した相手から貰う食事など安心できない。カイの真意を汲み取ったに違いないが、イブキは嫌な顔もせずそれ以上食い下がらなかった。

 屋根と壁だけあればいいと主張し、朽ちたビルの隅に二人は腰を据えた。コンクリートの壁は一部が剥がれ落ち、中の鉄骨が剥き出しになっている。だが一応は掃除がされていて、砂埃が床を覆っているということはなかった。燃料となる薪だけ貰い、隅で焚き火を作り食事をする。少量焚いた米とスープを混ぜ、干し肉を噛みながら、腹持ちするようにゆっくりと食べる。

「カイのせいで死にかけた」

 熱い米にふうふうと息を吹きかけて冷ましながら、まだ不機嫌そうにサクが零す。

「ごめんごめん、悪かったってば」カイは干し肉を噛み噛み謝罪する。「もうちょっと慎重になるよ」

「でも、おかげで助かった」

 サクはスプーンですくった米を小さく開けた口に運ぶ。

「きっとあの人たちは、カイの声がなくてもどこかで僕らを見つけたから。カイが銃を向けなければ、僕はきっと撃たれてた」

 僅かな一口を繰り返す彼を見つめ、カイは心底申し訳なく思った。彼の素直さが身に染みて、あの時感じたに違いない死への恐怖を想像すると、二度とそんな恐ろしさを味合わせてはならないと思う。カイにとってサクは、十七年の人生で出会った中で最も素直な優しい人間だった。

「ねえ」

 珍しく黙るカイをサクが見上げる。二人の間で焚き火の炎がパチパチと音を立てている。

「カイがいつも言ってる爺さんって、どんな人だったの」

 黒い瞳の中で火の粉が爆ぜるのを見つめ、カイは食器を床に置き、硬い干し肉を指先で裂く。彼が死んで三年も経ったのかという思いと、三年しか経っていないのかという矛盾した思いが心の中に浮かぶ。

「前も言った通り、モスバーグの前の持ち主だよ。勇敢で物知りな爺さんだった」

 ちらりと視線をやった先に、使い慣れた銃が立てかけてある。生みの親は知らないが、育ての親の記憶ははっきりとしている。物心もつかない赤ん坊の頃、森の中で泣いていた自分を見つけて育ててくれた老人は、シェルターから出てきた人だった。

「変な爺さんだよ。シェルターでのうのうと臨終を迎えるのが嫌で、ずっとやりたかった旅に出たんだと。その途中で俺を拾って、あちこち連れ回してくれた。大変だったな」

 カイはサクと出会う前の旅の道程を静かに語る。あの時に見て感じた多くの美しい景色や空気を、サクにも体感させてやりたいと思う。現に今、スプーンを動かす手も止めて聞き入る彼なら、その場を訪れればきっと感動するだろう。

 育ての親は高耐性ではあったものの、超耐性ではなかった。長引く症状の中で自分が異形化する未来と、近いうちに理性を失いカイの命を奪う危険性を悟った。カイは自分も連れていって欲しいと願ったが、老人はそれを許さなかった。

 モスバーグで胸を撃ち抜いた老人が、息を引き取るまで自分の手を強く握っていた感触を、今でもカイは鮮明に覚えている。俺の見られなかったものを見ろ。力強い最期の言葉に、泣きながら頷いた。どこまでも旅を続けようと誓い、老人の銃を手に取った。

「サクがもう少し早く生まれてたら、シェルターで会えてたかもしれないな」

 その言葉を聞くと、サクは僅かに悔しそうに眉根を寄せた。

「その人は、カイの家族なんだ」

「そうだよ。俺はそう思ってる」

「……僕には、生みの親も育ての親もいないから。よくわからない」

「でも、シェルターではほとんどの人間がそうなんだろ」

「まあ、そうだけど……。多くの子どもが、人工的に機械を使って生まれるんだ。誰が親や兄弟なのかも分からないし、子どもは皆で育てるものだから。この人に育てられたっていうのもないよ」

 シェルターでは慢性的に人が足りないのだとサクは説明した。抑圧的な地下世界で漫然と子どもが生まれるのを待つよりは、作ってしまう方が手っ取り早い。シェルターでは、人間はまるで作物なのだ。

「すごい世界だなあ」

 しみじみと感嘆するカイは干し肉を飲み込み、じっと炎を見つめるサクに笑いかけた。

「でもおまえは、俺の家族だぜ。少なくとも俺はそう思ってるんだ」

 あの血の繋がらない老人が家族なら、サクも立派な家族だ。出会ってからたった二年でそう思えるのだから、もしかしたらこの繋がりの方が強いのかもしれない。

 はっと顔を上げたサクは、何か言おうと口を動かしたが、結局そこに米を載せたスプーンを突っ込んだ。不器用な照れ隠しの様子が可笑しく、カイは笑いを堪えられなかった。

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