3

 翌朝には雨は上がっていたが、濃い霧が立ち込めていた。雨水や朝露を集めて沸かした湯を飲んで、身体を温めた。昨晩の食事の残りを口にし、燻製にしていた狼の干し肉を噛んだ。

 シートとシュラフを片付け、コンパス片手に出発する。濃霧のおかげでほんの数メートル先しか目視できず、ぬかるんだ土で足を滑らせないよう慎重に進まねばならない。湿った服がじっとりと肌に張り付き、心地が悪い。赤が混じったカイの髪も濡れている。

「もう、弾があんまりないよね」

 不安そうな声で、サクがカイの後ろを歩きながら言った。

「スラッグは減ってきたな。ま、無駄撃ちしなきゃ問題ないだろ」

「昨日仕留め損ねたのは、無駄撃ちだと思うけど」

「訓練って言ったろ、訓練。心配すんなよ、なんとかなるって」

 あくまで能天気に返事をして振り向くと、サクはまだ言いたそうな顔でこっちを見上げた。二人の身長差は頭一つ分ほどある。

「いっつもなんとかなってるだろ。今度も大丈夫だよ。きっといいとこで村が見つかる」

「なんとかなってなかったら、今頃生きてないと思う」

「おまえはほんとに心配性だなあ」

「そっちが適当過ぎるんだよ」

 カイの明るい笑い声が霧の中に吸い込まれ、二人は森の中にわけ入った。

 それからもう一つ夜を明かした頃、ようやく木々を抜けることができた。朝焼けの太陽が草の絡んだコンクリート張りの道を照らし、道を辿った向こうには廃墟の群れが黒々とそびえ立っている。まるで街という生き物の死骸が朽ち果て、灰色の骨だけを晒しているようだった。

 共に旅をしてきた二年間、更にカイが旅をしてきた歳月を加えても、人の住む街は滅多に見ることがなかった。自然の中で生きることを望む少数の人々にとって、街というものは大きすぎた。扱いきれない廃墟の群れの中を歩くのは、巨大な動物の死骸の中にいるような不気味ささえ感じさせる。もう住むことのない者たちが、まだそこかしこに隠れている気にもなる。彼らは廃れた街を離れ、自分たちだけの小さな集落を作ることを望んだ。

 だからこの街にも、人の気配はない。

「やっぱ誰もいないな」

 街に入り辺りを見渡しながら、カイがひとりごつ。

「おーい!」

 突然彼が出した大声に、サクは後ろで肩を震わせた。

「びっくりさせるなよ」

「いやあ、誰かがいたら出てくるかと思って」

「悪意があるやつかもしれないだろ。それに異形が出てきたらどうするんだよ」

「そんならさっさと倒そうぜ。どっかで鉢合わせるより、ここで不安要素取り除いた方が気楽だろ」四車線の広い道路の真ん中でカイは大きく両手を広げる。「ま、生きてる人間はいないだろうし、そんな心配すんなよ」

 サクは全く腑に落ちない表情だったが、結局何ごともなく二人は一軒のスーパーマーケットに辿り着いた。二階建てのだだっ広い空間は荒れ果て、崩れかけている。幾列も連なる商品棚から、当の商品はすっかり姿を消していた。リーパーが流行した混乱に乗じて略奪されたのか、旅をする誰かに盗まれたのか。燦々と太陽の照る出入口はともかく、薄闇に包まれた店奥でさえも空っぽだ。どちらにせよ長い年月放置された店内は、すっかり土埃を被っている。

「なにか使えるもん残ってないかな」

 毛布や紙切れの一枚でもあれば、火をおこすのに使える。

「銃の弾ないかな」

「いや、流石に落ちてないだろ」

 サクはまだ弾の枯渇が気になるようで、慎重派だなとカイは苦笑いした。

 両脇には錆に覆われたアルミ製の棚が並び、一部は崩れている。足元には中身のない空き缶が転がり、靴の下では割れたガラス瓶の破片がパリパリと音を立てた。埃の上に二人の足跡が残り、舞い上がったそれを吸ってカイはくしゃみを一つした。

「これ、使えるかも」

 サクの声が聞こえ、顔を上げる。床に落ちた布切れを拾い上げた彼を見て、カイは肩にかけていた銃を構えた。向こうでは拳銃の銃口がこちらを向いている。厳密には、カイの方ではなく、少し先に立つサクの頭へ。サク自身は銃を構えかけた体勢で止まっていた。

 自分たちに銃口を向ける者に躊躇をするつもりはないが、この位置取りではサクの僅かな動きで彼に被弾してしまう。銃に入っているのは熊や異形を殺すためのスラッグ弾だ。脆い彼の身体に当たれば、命の保証はない。

 カイは目だけを動かしてあたりの様子を覗った。陳列棚の隙間から右に一つ、左に二つ、銃口が自分たちに狙いを定めている。廃墟に住み着いた者たちが、旅人に強盗を働いているのか。殺して装備を奪い取るつもりだろうとカイは踏んだ。

 油断したと後悔する間もなく頭を働かせる。間違いなく、動きを見せた途端に蜂の巣だ。そしてサクが目の前にいる限り、自分は反撃の引き金を引けない。そしてサクには銃を構える暇もない。

 どうにかできるはずだ、どうにかしなければならない。手にじんわりと汗が滲み、うっかり指が滑ってしまう気がして、いっそ銃を投げ捨ててしまおうかとも思う。降伏して命だけでも助けてもらうよう交渉するか。背を向けているサクの表情はわからないが、何としても彼だけは守りたい。荷物を全てひっくり返しても、彼より大事な物は存在しない。

 台詞を発するため埃っぽい空気を吸った途端、広い店内に男の声が反響した。

「ちょっと待った」

 声と共に足音が近づいてくる。奥に二階への階段があり、そこから足早に下りてきた男が姿を現した。サクに銃口を向ける一人のそばに寄り何ごとかを話しかけ、すぐにこちらを向いて軽く上げた手を下げる。

「銃を下ろして床に置いてくれ。俺たちは無闇に危害を加えるつもりはない」

 果たして信用なるものか。カイは相手を睨みつけるが、暗がりのせいでその表情ははっきりとしない。

「きみたちが銃を下ろさなければ、俺たちも撃つしかない」

 舌打ちしたくなったが、相手が優勢なことに変わりはない。カイは小声でサクを呼んだ。ゆっくりと振り向く彼に、自分のショットガンを下ろしてみせる。埃だらけの床に置くと、サクも一つ頷いて同じ動きを取った。

 男は二人の知らない単語を並べたが、それは周りの者の名前だったようだ。彼らは戸惑う様子も見せず、手にしたハンドガンの照準を二人から下方に移した。

「ありがとう」

 瓦礫の破片を踏む音と共に、男がこちらへ数歩近づいた。カイは身構えたが、彼は数メートル手前で足を止め、微笑んだ。

「手荒な真似をして悪かった。俺たちはこの街に住んでるんだ、他所の人間を襲う強盗なんかじゃない」

 二十代中頃の若い男だった。引き締まった体躯に、淡い緑を基調としたバンダナを頭に巻いている。

「取りあえず、ここは暗い。外に出て話をしよう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る