キャシーとケイト
郊外に建つリリーホワイト邸を見上げながら、感心の溜息を零す青年が一人。
彼もまた遺産相続候補者の一人ではあるのだが、親戚一同から嫌がらせで全く違う日時を教えられており、つい先ほど事情を把握して飛んできたところである。
「遺産はともかく、顛末くらいは知ってないと後々面倒だからなぁ……」
多額の金が動くとき、周囲がどうなるかは、彼もリリーホワイトの人間としてよく知っている。やったやらないの大乱闘から裏の人間を雇っての危ない仕事まで、僅か二十二年のあいだに色々と見てきた。
彼自身はリリーホワイト一族の男であること以外、特別地位があるわけでも自由になる大金を持っているわけでもないというのに、だ。
特に彼は、優しそうな見た目と年若さゆえ下に見られることが多く、今回も危うく知らない間に相続放棄をさせられるところだった。
「なんか騒がしい……ような?」
首を傾げつつ、玄関を抜ける。
どうやら親戚たちは裏庭のほうを走り回っているらしく、表には誰もいない。
「あの、すみません」
青年が偶然通りかかった中年のメイドに声をかけると、メイドは「あら」と言って足を止めた。
「アシュリー坊ちゃま、お久しゅう御座います」
「お久しぶりです、アメリアさん。キャシー嬢はいまどちらに?」
「お嬢様でしたらいまはお部屋で寛いでおいでですわ。今日は、その……旦那様方がいらしているので、私どもも手が回らなくて」
なるほどと呟いてから、遠くに視線を送る。
何処だ、あっちだと騒がしく、足音が忙しない。
「ところでこの騒ぎはいったい……?」
「恐らく相続に関することだとは思うのですが、私も詳しくは存じ上げないのです。応接室に弁護士の先生がいらっしゃいますから、そちらでお訊ねくださいな」
「わかった、行ってみるよ」
それでは、とお辞儀をして忙しそうに去って行くメイドを見送ると、アシュリーはまず応接室に入った。メイドが言っていた通り弁護士が居り、アシュリーに気付くと目礼をして立ち上がった。
「こんにちは。遅くなってすみません」
「いえ、お待ちしておりました。これで全員おそろいですね」
弁護士に軽く頭を下げると、アシュリーははす向かいのソファに腰を下ろした。
次いで弁護士も静かに腰掛け、ティーカップを手に取る。
「皆さん裏庭でなにか探しているようですが、なにがあったんです?」
「それはジェラルド様の遺言が原因でして……」
弁護士は改めて遺言状を取り出すと、一族の前で読み上げた内容を繰り返した。
アシュリーは、ふむと頷いてから、遠くを見る目で苦笑する。
「なるほど、それで皆さん猫を……でも、猫は気紛れに見えて繊細だから、あんなに大勢で騒いで追いかけたら気疲れしてしまいそうですね。見かけたら静かなところに匿っておきましょうか」
「……そうですね。そうしてあげてください」
「では、私はキャシー嬢にご挨拶をしてきます」
そう言い添えて立ち上がり、リビングを出て階段を上がる。目指すは三階奥にある子供部屋だ。
部屋の前まで来ると、アシュリーは扉を二回ノックした。
「こんにちは。お久しぶりです、ミス・キャスリーン」
扉越しに声をかけると暫くして薄く開かれた。ドアノブとほぼ同じ高さの身長で、懸命に扉を支えている姿を見て、アシュリーは彼女に一言断りを入れてから代わりに扉を支えた。
「ご機嫌よう、アシュリー。如何なさったの?」
「此方にはお爺様の件で伺ったのだけれど、何だか皆忙しなくしているようだから、挨拶だけでもと思って来たんだ。確かお爺様の葬儀以来かな」
「ええ。……良かったら入って」
「いいのかい? レディのお部屋にお邪魔してしまって」
アシュリーがそう言うと、キャシーは少し考えてから頷き、手招きをした。部屋に入り、後ろ手に扉を閉めてから、アシュリーが呼ばれるままキャシーの背に合わせて腰を屈めると、耳打ちの姿勢になって囁く。
「あなたは特別」
悪戯っぽく言うとキャシーはふわりとスカートを翻して部屋の奥へと駆けていき、ベッドに腰掛けた。先ほどまでキャシーの膝にいた猫は何処かに隠れているらしく、見える範囲にはいない。
「わたしのところへ挨拶に来たの、アシュリーが初めてだもの」
「えっ」
驚いて目を丸くするアシュリーに、キャシーはぽつりぽつりと続ける。
「皆、ケイトを追いかけているみたいなの。いったいどうしたっていうのかしら」
「うーん……何でも、お爺様が遺言状にケイトのことを書いたみたいでね」
「ケイトを?」
アシュリーは肩を竦め、僕もなにが何だかと言ってキャシーの正面にしゃがんだ。
「それにしても、こう騒がしいんじゃケイトが参ってしまっていないか心配だな」
「それは大丈夫だと思うわ。さっきもわたしのベッドで寛いでいたもの」
「そうだったのかい。それじゃあ、突然来て悪いことをしたかな……」
すまなそうに呟きつつ俯くアシュリーの頬に、ぺたりと小さな手のひらが触れた。顔を上げると、キャシーが慰めるように撫でていて、思わず笑みがこぼれた。
「ありがとう、キャシー。ところで、君はどうして部屋に?」
「今日は皆、忙しいでしょう? わたしはまだ一人で外を歩けないし、仕方ないの」
メイドが言っていたのは、ただ単に忙しくて面倒を見る余裕がないという意味ではなく、キャシーのお伴をすることが出来ないという意味でもあったのだ。仕方ないと言うキャシーの表情が寂しそうに見えたアシュリーは、キャシーの小さな手のひらにそっと触れて顔を見上げた。
「それじゃあ、僕で良ければエスコートするよ。裏庭は何だか騒がしいから、西側のテラスかサンルーム辺りでお話でもどうかな」
「いいの?」
顔を上げたキャシーの表情が、期待に輝いている。
アシュリーは、殊の外やわらかい声音で「もちろん」と答えると、キャシーの手の甲を撫でた。
「さあ、お手をどうぞ、お姫様」
「ふふっ、ありがとう」
キャシーは飛び跳ねるように立ち上がり、アシュリーの手を握り返して共に部屋を出た。そんな二人を見送ってから、ベッドの下に隠れていた猫が、窓の隙間から外へ出て行った。
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