OH! My Kitty!

宵宮祀花

キティの後見人

 世界有数の大富豪、ジェラルド・リリーホワイトが亡くなった。

 遺産相続に関する遺言状を開封するため、リリーホワイト邸の応接室に集められた親類縁者たちは、弁護士の一挙手一投足を食い入るように見守っていた。

 九十五歳の大往生。息子四人に娘二人、妻は既に亡く、孫もひ孫もたくさんいて、臨終の際には大勢の人が取り囲んでいた。しかし彼らが揃って集まったのは『臨終の際』だけだったことを、屋敷に長年務めているメイドはしっている。

 相続候補者たる子孫も何人かは既に事故や病気で亡くなっているのだが、それでも相当の人数が残っており、そして待ち侘びた遺産配分のために集まっていた。


「読み上げます」


 その一言で、部屋の空気が刃のように張り詰めた。


「遺産は全て私のキティに相続する。また、後見人はキティが認めた者に限定する」

「はぁ!?」


 静かに読み上げられた遺言の内容に、まず六十五歳の娘ダナエが声を上げた。

 間違いではないかと詰め寄るダナエを制し、弁護士は冷静に続ける。


「遺産相続に関する全ての決定権は、キティにあります」

「意味がわからないわ! 寄越しなさい!」


 喚きながら弁護士に向けて伸ばされたダナエの手を、傍に控えていたSPの一人が撥ね除ける。僅かにたじろいだものの、ダナエも他の相続候補者たちも、納得いっていない様子で弁護士を睨んでいる。


「……尚、決定を待たず遺言状に許可なく触れた者は、永久に相続権を剥奪する。とあります。また、決定後であれば公開しても構わないともありますので、私の言葉が信じられなければどうぞ決定後にご確認を」


 動揺が室内を満たし、不満の声がさざ波のように広がっていく。

 五十代から六十代の子供に、三十代前後の孫たち。いい年をした大人たちが、夏季休暇に課題を出されたティーンたちのように文句を口に乗せ始めた。


「どういうことなの? キティって猫よね? さっき庭にいた……」

「なんで、なんでおじい様が飼ってた猫なんかに! どうかしてるわ!」

「冗談じゃない!! こっちは会社を建て直すのに、ジジイの遺産を当てにしようと思っていたんだぞ!」

「なに考えてんのよ! あたし、此処のお金で新しいドレスがほしかったのにぃ!」


 現金だけではない。遺言状の通りならば、ドレスも絵画も貴金属も屋敷も土地も、なにもかもが猫に与えられる。それらの価値など知りもしない獣などに。


「取り敢えず、その猫とやらをとっ捕まえた人が後見人なんでしょ!?」


 そう叫ぶと孫娘のエリカが部屋を飛び出した。ドレスをほしがっていただけあり、今日の服も猫を追うには些か不便な、よそ行きのドレスである。しかし、それは他の後見人候補者たちも同様で、一着数百万のスーツや靴を当たり前に身につけている。


「お、俺たちも探すぞ!」


 一拍遅れて、他の一族たちもバタバタと外へ駆けていった。


「遺言状は私が所持しておきます。皆さんは仕事に戻ってください」

「はい」


 壁際に控えていたメイドと従者たちにそう言うと弁護士の男はソファに腰掛けた。室内には、警護のために残ったSPが二人と執事の男が一人。

 部屋の外では、はしたなく駆け回る足音が無数に響いている。いつもは疲れるだの足が痛むだのと言ってろくに歩きたがらない生粋のブルジョワたちが、外聞も忘れて駆け回っている。


「ねえ、そっちにはいた!? 隠し立てしたら許さないわよ!」

「いねえよ! お前こそ抜け駆けしてねえだろうな!」

「なによ! 意地汚いマクラーレンの男に言われたくないわね!」

「なんだと!? 底意地の悪いグリーンバリーが!」


 伯父、叔母、従兄弟に父母。家系図を追うだけでも目が回りそうな、複数の家族が乱雑に入り乱れては、一匹の猫を探して走り回る。元は同じリリーホワイト家だった一族が、互いの家を罵りながら。


「あーっ! 猫よ! 見つけたわ!」


 屋敷内を粗方巡った頃、ジェラルドの六番目の孫娘グレタ・ボールドウィンが声を上げた。グレタの視線の先には、真っ白な毛並みに翡翠の瞳が綺麗な、長毛種の猫がいた。首には銀の鈴をつけており、青いリボンが雪のような体に良く映えている。


「いたわ! 中庭よ! 中庭にいるわ、お母さま!」

「良くやった! そのまま追いかけなさい!」


 その声を聞きつけて、次男クリフと四男ニール、そしてその子供たちが、中庭へと駆けつける。


「あっ……アンタたち、なんで来るのよ! 見つけたのはあたしよ!」

「五月蠅い! 捕まえたもん勝ちだろうが!」


 大人たちが大声で言い争うのを後目に、猫はするりと足元を駆け抜けて木に登り、ベランダから屋敷の中へと入ってしまった。

 そのことにだいぶ遅れて気が付いたクリフは、忌々しげに舌打ちをするとグレタを突き飛ばし、再び屋敷へと駆け戻っていった。そのあとをニールも追いかけ、邸内が騒がしくなる。


「なにすんのよ! 無礼者っ! 誰か! 誰かーっ!」


 みっともなく大声で喚き散らすグレタの元には誰も駆けつけてこない。誰も彼もが遺産の源泉である猫を追いかけていた。誰より娘を案じる立場であるはずの、彼女の母親でさえも。


 小一時間ほど騒いで、追いかけて。

 普段からろくな運動どころか歩くことすら滅多にしない上流階級の人々は、早々に疲れ始めていた。

 相手は身軽且つ小柄な猫で、追う側は数こそあるものの大半は中年以上の運動不足階級である。端から勝負になるはずもなく、苛立ちがピークに差し掛かっていた。


「クソッ……あの獣め……遺産を継いだら毛皮にして売り捌いてやる」


 ふらふらで邸内に戻ってきた一族の元に、執事が現れて一礼した。


「皆様。ご昼食の用意が整って御座います。よろしければ休憩も兼ねてお召し上がりください」


 黒い燕尾服に身を包んだ黒髪の男は、背中に定規でも入れているかのような姿勢で一同を見据え、機械じみた声音で案内をする。


「酒はあるのか?」

「はい。ご希望の方にはお出しするよう仰せつかっております」


 アルコールに目が無い長男オズワルドが、真っ先にダイニングへ向かうと、一番の上座へと座った。其処はジェラルドが生前腰掛けていた誕生席で、まるで次の家主は自分だと言わんばかりの態度である。


「なんて図々しい。身の程を弁えたらどうなの?」

「何だとババア! 文句あんのか? 女の分際でこんなところにまでしゃしゃり出て来やがって! 親父の遺産を継ぐのは長男の俺しかいねえだろうが」

「ちょっと兄貴、姉さんも、食事の席でまで言い争わないでくれよ」


 長男と長女アリソンとのあいだで一触即発の空気となったとき、三男のサイラスが割って入った。


「ケッ、昔っからそうやっていい子ぶりやがって。どうせお前も、腹ん中では自分が気に入られてるつもりでいたんだろ? 相続人に選ばれなくて残念だったなあ」

「やめてくれよ!」


 思い切り図星をつかれたサイラスが声を荒げるのを見て、オズワルドは愉快そうに笑ってエールを呷る。

 サイラスは、外面をよくしていた自覚があるだけに、それを見抜かれていた事実が恥ずかしくて仕方がなかった。此処へ来るまでにも他の親族に「お爺様はきっと僕を選んでくださっただろうから、分け前くらいは用意してもいいよ」などと言っていたくらいには、贔屓されている自負があったのだ。

 誰もが渋い表情で席に着き、何とも言えない空気のまま食事が始まる。


「おい、其処のメイド! 此処はワインも出ないのか!?」

「はっ……はい、ただいまお持ちします……!」


 ビクリと肩を跳ねさせ、深くお辞儀をするメイドに使用済の布巾を投げつけると、オズワルドは不満げに鼻を鳴らした。


「ふん、使えない女だ。屋敷を継いだら全員クビにしてやる」

「兄貴が継ぐわけじゃないけど、メイドたちの気が利かないのは同意だな。それに、シェフもお爺様が雇っていたにしては質が悪いんじゃないか?」

「そういえば、此処で一緒に暮らしてたっていうひ孫とやらも全然挨拶に来ないし、どういうつもりかしら」

「ひ孫? まあ、遺産配分に興味がないならそれでいいじゃないか。籠ってる分には都合がいいだろう」


 テーブルマナーだけは完璧ながら、口から飛び出すのは不平不満と死者や身内への悪口という、最悪の食事会が終わると、相続人候補者たちは我先にと屋敷の中や外を走り始めた。

 万が一メイドに捜索を命じて、そのメイドが猫を手にしてしまった場合、遺言状の文言通りならば相続権はメイドに渡ってしまう。ゆえにいつもは誰かに命じて結果を待つ立場の者たちは、必死に自らの足で駆け回る羽目になっているのだが。不慣れなことをしているからだろうか、既に疲れを見せて動きが鈍くなっていたり半ば諦めて屋敷の酒に手を出す者も現れ始めた。

 髪をふり乱し、服の裾を翻し、ズボンの裾を汚して、必死に小さな猫を追い回す、相続候補者たち。


 そんな中、屋敷の三階奥の子供部屋にて。一人の少女が、ベッドに腰掛けて小さな足を退屈そうに揺らしていた。ドタバタと走り回る音を聞きながら、薄く開いている窓のほうへと顔を向ける。

 少女の年齢は十歳前後。緩く癖のついた長い金髪を背に流し、翡翠色の大きな瞳をぼんやりと窓の外へ投げ出している。その足元には皆がいま必死になって探している猫がおり、少女は哀しそうに目を伏せた。


「ねえ、ケイト。おじさまたちはいったいどうしてしまったのかしら」


 猫は軽やかな動きで膝に乗ると丸くなって喉を鳴らし始めた。ふわふわの毛並みを撫で、再び窓の外に意識を向ける。

 少女からは見えないが、庭師が綺麗に整えていた薔薇の生垣も、青々と茂った芝が綺麗な庭園も、すっかり踏み荒らされて無残な姿を晒していた。

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