第31話 放蕩王、ガリアスの視点3

「リア様」

「──っ!?」


 そう呼ばれた瞬間、ドクン、と大きく胸の鼓動が響いた。恋というものを、まだよく分かっていないけれど、ユティアの笑顔が見たい。

 声が聞きたい。

 会話がしたい。

 触れたい。

 ああ、自分にこんなにも多彩な感情があったのかと、驚きながらも胸が躍った。そして魔女の宴で、今の人格は呪いの産物で形成されたものだと知らされ、愕然とした。


 この感情も、ユティアへの想いも、何もかも全てが作られたもの?

 偽物?

 偽物の心。

 偽物でも良い。私にはそもそも心が欠落していたのだから、それを埋められる心が形成されたのなら嬉しいことだ。


 ユティアを好きでいられる今が良い。王で居続けることも、ガリアスの生き方よりもずっと、ずっと魅力的だ。「そんなのは王ではない」と言うかもしれないが、王でなくていい。


 黄金郷に王は不要だし、王がいなくても彼らは困らない。封印された国民は、過去も未来もなく、ずっと生き続けるだけで変化も進化もない。今を気楽に楽しみ、生き続けるだけ。

 私は王冠を捨てて、リアという者になる。


 呪いによって構築された成果物であっても、心を形成したのは、「リア」という名だ。ユティアが何度も私の名を呼び、偽りの心が本物そのものになった。ユティアが望み、私が受け入れた段階で、私はガリアスからリアへと生まれ変わった。


 呪いの上書き。

 呪いよりも強い感情と、私の術式とユティアの魔力、精霊の調整があれば書き換えリライトはできる。儀式を行うなら、満月の夜が魔力を強めるのに最高なので、それはいい。

 だが面倒なのは、邪竜だ。

 やはり、あの黒蛇を灰にしておけばよかった。いやだがそうすると、私はユティアと会えなかったかもしれない?

 ならばこれ以上手を出せないように、今のうちに灰にすれば良いか。


 今日は夜の早いうちから、時間魔法を使って人間の姿を保っていた。リーという商人と、ロウィンに警戒していたのもある。あれはユティアの心を傷つける敵だ。

 案の定帝国の犬だと自供して、ユティアに警告したつもりだったのだろう。だけれど、それはユティアの心を抉る刃に思えた。家族の在り方について私も明るくないが、ユティアが悲しむのは嫌だ。


 泣きそうなのを我慢していた顔を見た瞬間、あの場にいたリーとロウィンを灰にしそうになった。帝国が邪魔をするなら、帝国ごと滅ぼしてしまってもいい。一国を天秤にかけても、ユティアの笑顔のほうが断然重い。


「……ユティアに、また触れたくなってきた」


 すやすや眠るユティアの頬に手を当てた。暖かい。抱きしめたくなる気持ちをグッと堪えた。

 シルクニフパラディーンが、かつて私に空中都市や国を秤にかけて問いた気持ちが、分かった気がした。


 最初に答えた時よりも深く、強く思う。

 ユティアと一緒にいたい。それを邪魔するなら、誰であろうと許しはしない。

 ベッドの傍で幸せそうに眠るユティアを見ると、胸に込み上げてくるものがある。形容しがたい思いは、息苦しくはあるけれど、辛くはない。


「君が怖がるものは、排除してしまうね」


 唇にキスをしてから、名残惜しいがベッドから出る。私の袖をちょんと掴んでいたユティアの愛くるしさに身悶えしながら、たくさん抱きしめてキスをして、それを三回ほど繰り返していたらディーネに『ユティアが起きちゃうでしょう!』と苦言を呈しながら姿を見せた。


 起きてしまったら? 

 寝ぼけているユティアはより甘えてくれるので、すごく可愛いのだ。キスだってたくさんしてくれるし、抱擁だって笑顔でしてくれる。

 普段は恥ずかしいと、なかなか許可を出してくれないキス痕を残すにだって、照れながら許すのだから可愛くてたまらない。

 日に日にユティアを思う気持ちが、募るばかりだ。リアとして、今にここにいる私は幸福で胸がいっぱいだった。



 ***



 ユティアと一緒にいたい気持ちを断腸の思いで振り切って、私は別のテントに入った。

 すでに帝国の犬のリーとロウィン、シルフ──シシンも同席していて、ユティアの傍には、ディーネとアドリアが付いている。


「リア様、ご足労頂きありがとうございます」


 リーとロウィンは私が入るなり、立ち上がって深々と一礼する。どうやら私が普通の人間ではないと、理解しているようだ。


「それで私に話というのは、『邪竜を完全消滅させるために手を貸せ』というのであっているか?」

「ええ、話が早くて助かります。精霊王と伝説の王がいれば、邪竜との因縁にも終止符が打てるでしょう」


 ユティアに邪竜の話をしたのも、全ては私たちの力を借りるためなのだろう。だからこそ、王国の状況を滔々と語ったのだ。

 ユティアが王国に未練がないことを確認できたのはよかったけれど、傷つけたことも事実。それを私と、この過保護かつ本来苛烈な風の精霊王が許すはずもない。


「シシン。君の依頼報酬は、何にしたんだい?」

『んー、ユティアへの支援と商談の斡旋だよ。これは精霊のボクたちでは、賄いきれないからねぇ』

「なるほど。では私の報酬は……ロウィンが今後二度とユティアの前に現れないでいいかな」

「!?」


 予想外だったのか、リーとロウィンは絶句していた。そこまで驚くことでもないけれど、それとも私を甘くみていたのだろうか?

 別にどうでもいいか。


「そこのリーは徹頭徹尾、商人であり知人として弁えて接していた──が、君は違うだろう。ユティアを都合のいい駒として、使ってきたんだ。最後まで君は駒として扱い、手放してもらわないとフェアじゃないだろう」

「何を……」


 上擦った声で反論しようとするが、まだ認める気はないようだ。どこまでも中途半端な態度に、呆れてしまう。


「君がユティアの父親なのだろう。駒として扱いぞんざいにしたくせに、別人として新しい関係を築ことしているのが度し難いと言っているんだ」

「──っ!」

「わあ、君がそれを指摘するとは思わなかったな」


 シシンが心底驚いた顔をしていたので、溜息交じりに答える。


「私としてはシシンたち精霊が、まだなんの制裁も与えていないことのほうが、驚きだけれど」

「まあ、ボクたちはクローディアと付き合っている時からの付き合いだから、少しは情があるのかも? それに……」


 ダン、っと両拳でテーブルを叩き、ロウィンはこれでもかというほど、ボロボロと泣きし出した。

 なんだ、コイツ……。


「うるさいっっ、わ、私だってユティアちゃんと一緒の時間を過ごしたかったんだぁあああああああああああああああああ! それなのに……兄上がああああああ!」


 ダンダン、と何度もテーブルを叩いて喚く。その変貌ぶりに固まってしまった。

 本性を出すという思惑は成功したが──何かが違う。いい大人が感情的になって、大泣きしながら叫んでいるのだ。

 正直言って嫌悪感しかない。こんなのがユティアの父親かと思うと、怒りが沸々と湧き上がる。

 しかし憤慨しているのは私だけのようで、リーとシシンは慣れ親しんだ光景のようだった。


「あんなに泣きわめいて、シシンは何とも思わないのかい?」

「うん、それも君が言うとは思わなかった。君だって、アレと大差変わらないじゃないか」

「は?」


 あんな男と私が同列?

 いやいやそれは、それだけは絶対にない!


「シシン、私はユティアを悲しませないし、一人ぼっちになんかしない。嘘もつかないし、愛している」

「うん、でも君のせいで、魔女の宴に呼ばれるとか迷惑はかけているよね?」

「うっ」

「なに!? 貴様、私の可愛いユティアちゃんを危険にあわせただと!?」

「あ。今度はこっちが、それに反応するのか。君たち案外似たもの同士なのかもねぇ。クローディアもユティアもこれは大変だ」

「私は彼とは違う!」

「自分はこの男とは違う!」

「うん。息ぴったりだ」

「兄……ロウィン様は普段はああじゃないんのですが、どうにも恋愛と家族関係のことになると、いかんせんポンコツでして……身内とはいえ、なんともお恥ずかしい」

「ああ、リアも普段は賢王と呼ばれていたし、恋愛が絡まないと、割とまともなんだけれどね」


 なぜかシシンとリーが意気投合をして、ロウィンと一緒くたにしようとしてくる。とにもかくにも、邪竜の殲滅に話を戻そうとした矢先──。


「なあに? 仕事一筋で家庭を顧みない公爵クズと、ようやくできた大事な彼女を過去の異性トラブルに巻き込む王様クズ

「客観視しているけれど、いざ自分が恋愛すると極端かつ異常な執着と外堀を埋めて、絶対に逃さない外野鬼畜──まあ、関わったら駄目なワーストスリーが揃っていますね」


 その場にいるはずのない声に、全員がテントの入り口を見た。

 宵闇に紛れ込んだのは、三角帽子がよく似合う美女二人。露出の高そうなドレス服の魔女と、首筋までしっかり着込んだ軍服風の魔女だ。それと同時に紫色の煙が周囲に充満する。


「ふふっ、やっぱり、あの子には幸せになって貰いたいわ」

「そういうことですので、ユティア嬢は私たちが保護します。そして夢物語のような世界で、幸せにさせますのでご安心を」

「させるか」


 自分でも驚くほど低い声が出ていた。魔女二人も少しだけ驚いていたが、艶然と微笑んだ。


「まあ、自業自得じゃない。精々苦しんで欲しいわ」

「それではごきげんよう」

「──っ」


 術式を展開したが、魔女たちのほうが速かった。おそらくこの場所に到着した段階で、転移魔法をすぐに発動できるようにしていたのだろう。用意周到なことだ。

 だがそんなことはどうでもいい。

 問題はユティアだ。


 すぐさま彼女が眠っているテントへ転移する。

 水の精霊女王ディーネと植物精霊アドリアがいるのだ、いくら魔女とはいえ簡単に奪われるなんてことはない。

 そう思っていたのに──。


「ユティア!」


 テントの中にユティアの姿はなかった。争った形跡はなく、ただユティアがいない──という事実だけを理解するのに、数十秒かかった。


「ユティアっ……」


 ある日突然、大切な人を失う恐怖。

 足場が崩れ去り、絶望が心を蝕む。


「──っ」


 もう会えないかもしれない、そんな未来を想像しかけて──頭を振った。


 落ち着け。

 ユティアは生きている。連れ去られただけだ……!

 こんなことも考えて、ユティアの指輪を渡していた。位置は……ああ、やはりトワイランド王国。

 先ほどの。明確な意志はあったところを見ると、軽い洗脳状態なのかもしれない。


「どちらにしても、私からユティアを奪ったのだから──魔女はもちろん、邪竜、そしてその眷族も許しはしない」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る