第23話 名前呼び
「くじ行くか?」
クリスマスということで様々なイベントがやっている。
セールもしていて店側は客を呼び込んでいる。くじもその一つだ。
合計で決まった額以上の商品を買うことでくじがもらえる。
柚衣と琴美はお揃いでマグカップを買ったりしていたのでくじをそれぞれ一枚ずつ持っていた。
「私は別に大丈夫です。多分当たらないでしょうし。ただ、花沢くんが行くなら行きますよ」
当たった場合、景品が豪華なものになっているがそもそもくじで当たる確率は少ない。
もし当たったとしても遊園地の券が一枚もらえるだけなのでまずいらない。
二枚以上であれば挑戦する価値が出てくるが一枚だけなので無料で遊園地を楽しむために一人で行く羽目になる。
「俺も別にいいや」
「そうですか、それではあそこのクリスマスツリーで一緒に写真を撮りませんか?」
そう言って琴美はくじが置かれているすぐ近くのクリスマスツリーを指差す。
写真スポットになっているようで、カップルらしき男女二人が通行人に写真を撮ってもらっている。
「そうだな、そうするか」
思い出に残すにはぴったりだ。
柚衣はここに来てからずっと楽しさを感じている。
琴美と一緒にいられること自体が柚衣にとって嬉しいのだ。
それを記録しないでいるのは勿体無い。
表現しようにも表現できない、一体何かわからない感情が柚衣の中には確かにあった。
恋ではないことは確実に言える。
ただ、この時がいつまでも続いてほしいと思っていることも確実に言える。
琴美と友達になってから柚衣は琴美の温かみにずっと包まれている。
「あの、すみません、写真撮っていただけますか?」
「写真ですか? 良いですよ」
柚衣は携帯を取り出して男性の方に声をかける。
心優しい人で二つ返事で承諾してくれる。
「良いですね、青春ですか」
その男性は独り言のようにそう呟く。
たしかに今は青春を送っているのかもしれない。
来年もまた、同じような関係で琴美と接しているのだろうか。
それともトラウマを克服し切ってもっと距離が縮まっているだろうか。
柚衣と琴美はクリスマスツリーの前に立つ。
「さっきの人たちみたいに腕を組んでみますか?」
「......無難にピースで行こう」
「私は別にいいんですよ?」
時々、琴美はからかってくるので返答に困る。
そういう時はからかい返しているのだが今回ばかりは負け越しで終わりそうだ。
琴美はそう言っているものの、腕を組むことなくカメラ目線でピースをする。
同じポーズをとった方が良いだろうと柚衣もピースをして笑う。
「行きますよ、はいチーズ......どうですか?」
「ありがとうございます、大丈夫です」
「良いですよ、メリークリスマス」
男性はそう言って立ち去っていった。
柚衣は次に行く場所を決めておらず、ただデパート内を歩いていただけなのでどこに行こうかと辺りを見渡す。
しかしクリスマスイブに合わさってお昼時だからか先ほどよりも人が増えているので先まであまり見えない。
「次ゲーセンとかいってみる?」
「いいですね。あまり行ったことはないです」
「天瀬はあんまりゲームしないもんな。意外に楽しいぞ」
ゲームといっても種類がある。
クレーンゲームやメダルゲーム、音ゲーやレースゲームなど。
琴美でもクレーンゲームはある程度楽しめるだろう。
それに以前、レースゲームをやった際に楽しそうだったので一緒にやるのも良いかもしれない。
琴美と会話をしながら歩いているとやはり人が多くなっている。
「天瀬、手繋ぐか?」
「......た、たしかに人が多くなりましたもんね」
柚衣は琴美にそう提案し、手を差し出す。
若干の気恥ずかしさはあるが逸れるよりいいだろう。
「えっと、嫌ならいいんだ」
「いえ、で、では......」
琴美は柚衣の手を取る。
そしてお互いがお互いの手を握る。
琴美の手は華奢で意外にも冷たくなっている。
「手、暖かいですね」
「天瀬は逆に冷たいな」
提案したのは柚衣だが後になって意識してしまっているのは言うまでもない。
琴美を意識することは以前の柚衣なら間違いなくない。
精神的な距離をとっているから。
しかしこうして意識してしまっているということは琴美を受け入れようとしているということ。
このままでいるとお互いにそのまま沈黙してしまうので柚衣は別の話題を琴美に振った。
***
「今日はありがとうございました。楽しかったです」
午後五時を過ぎたあたりで琴美の家の前につく。
辺りはもう暗くなっており、家まで送っていくのはせめてもの配慮だ。
楽しかったという感情と同時にもう終わってしまったという虚しさがある。
時間はあっという間に過ぎていき、特に楽しい時間は一瞬だ。
「こちらこそ楽しかった.......またさ、もし良いならこうやって遊ばないか?」
「はい、もちろんです。花沢くんといると楽しいですし......あ、あと話は変わりますが忘年会には参加しますか?」
柚衣が立ち去ろうと思ったところで琴美はそれを止める。
忘年会の存在を柚衣は知らないし誘いも受けていない。
「忘年会?」
「はい......もしかして誘われていませんか?」
「誘われてない」
「そうですか、大園さんから誘われていると思ったのですが......」
男女問わず人気者であり王子様だからこそできる所業。
遼はたびたび友達と話したりしているうちにその場のノリで何かパーティーのようなものを提案する。
最初は仲の良い友達同士だけでやる予定をしているのだが遼曰くいつのまにか人が集まっているのだそうだ。
以前はカラオケ大会のようなものがあったようだが柚衣は誘われていない。
遼は柚衣の事情を理解しているからだ。
「そういうのに遼は俺を誘わないな。元々俺が騒がしいのが苦手っていうのをわかってるから」
「なるほど」
「天瀬は参加するのか?」
「参加してみても良いかなと思ってます。球技大会の時も楽しかったですし......花沢くんもよければ来てください」
「遼に聞いてみる」
おそらく遼は歓迎してくれるだろう。
本人は女子が苦手だが男女問わずたくさん来てくれるならみんなが楽しいだろうという考えの持ち主だ。
柚衣は琴美に別れの挨拶を告げようとする。
しかしその前に琴美に聞いておきたいことがあったことを思い出し、踏みとどまる。
「あと俺からもちょっと聞いていいか?」
「はい、どうぞ」
「その......名前呼び、してもいいか?」
天瀬と呼ぶのはどこか距離を感じてしまう。
いざ名前呼びするとなれば柚衣の中の琴美に対する壁をさらに取っ払うことになる。
ただ、柚衣が発言を撤回しようとしないのは心が柚衣を追い越したからだ。
「いいですよ、学校では流石にしませんけど.......私も柚衣くんと呼んでもいいですか?」
琴美は取り乱した様子はなく、平然と柚衣のことを下の名前で呼ぶ。
少々頬が赤くなっているが口元は笑っている。
それだけ距離が近くなったのだと柚衣は認識する。
途端に、柚衣の中が芯から温まってくる。
「ああ、どうぞ......じゃあ、ばいばい、そしてメリークリスマス、琴美」
「メリークリスマス、柚衣くん」
柚衣はそう言って帰路につく。
外は寒いはずなのに柚衣が寒さを感じることはなかった。
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