第16話 素の天使様

「お邪魔しますなの!」


 午前、聞き覚えのある元気な声が柚衣の部屋を包む。

 二回目の来訪だ。華燐はなぜか前回のように机の周りを一周してソファにダイブする。


「お邪魔します。テスト勉強、大丈夫でしたか?」

「全然全然、課題終わってるし、今のままでも前回よりはいい点数取れそう」


 テストは来週に迫っていて、本当はこの日のために課題を昨日の夜と今日の朝で全て終わらしていた。

 おかげで若干寝不足気味だがゲームの徹夜には慣れているので意識ははっきりしている。

 琴美の方こそ大丈夫なのだろうか。

 日頃の勉強があるので問題はないのだろうがそれよりも顔に疲れが見えている。


「そうですか、よかったです」


 声もいつもの元気さがない。

 勉強で疲れているのか昨日のことを引きずっているのか。おそらく両方だろう。

 柚衣としては気にしないで欲しいところだがどう声をかけていいかわからない。


「とりあえず座ってくれ。何か飲むか?」

「いえ、私は大丈夫です」


 柚衣はひとまず琴美を座らせる。

 くつろいでゆっくりしてもらおう。


 飲み物を琴美は断り、華燐は麦茶を所望した。


「さて、華燐遊ぶか、何して遊ぶ?」

「ケーキ屋さんごっこして欲しいの〜」


 そうして華燐といつも通りに遊ぶ。

 時折、柚衣は琴美の様子を気にかけるのだがボーッとしていて疲れている様子。

 昨日のことで柚衣にもモヤがかかっている。


『なるべく学校では関わらないようにしますから』


 そのセリフに柚衣は胸を締め付けられた。

 まず配慮をする方がおかしい。


 柚衣は華燐としばらく遊び、一人の世界に入ったタイミングで琴美の横に座る。

 ずっと一点を琴美は眺めている。


「天瀬、疲れてるのか?」

「あ、いえ、ぼーっとしていただけです」

「嘘つけ、顔に出てるぞ」

「......はい、実はあまり昨日寝付けなくて」


 柚衣の方を向いて琴美は力無く笑う。

 何かしてあげられることはないのだろうか。

 そう思うも出来そうにない。


「話は変わりますが昨日はごめんなさい」

「待て待て、なんで天瀬が謝る」

「......昨日事の詳細をあの人たちに問い詰めたんですよ。私のせいでもあります。やっぱり私が関わっちゃうと迷惑になってしまいますよね。学校ではあまり話しかけないようにしますから......」


 琴美はそう言って俯く。

 してあげられることはないかと柚衣は考え、ふと子供の頃のことを思い出す。


「天瀬、手出して」

「手、ですか?」


 困惑しながらも琴美は両手を柚衣に出す。

 そのうちの右手を柚衣は自分の両手で覆う。


 琴美の手は思ったよりも華奢で冷たい手だった。

 

「さっき遊んでたし暖かいだろ?」

「......はい、暖かくて心地良いです」

「昔、母親によくやってもらってたんだ。友達と喧嘩した時とか落ち込んでる時とかな。何を意味してるのかは知らないけど昔の俺はそれでよく元気もらってた」


 左手も同じように両手で覆う。

 もちろんこちらも右手と同じように冷たい。


「俺のことは別に気にしなくて良い。友達なのに学校で関われないなんて俺は嫌だな」

「でも......」

「ならその代わり、二人きりの時は素でいてくれ。友達なんだから天使様を演じなくてもいい。わがまま言ってもいい。俺は天使様は知ってても琴美をあまり知らないからもっと知りたいんだ」


 柚衣ができることは素でいられる居場所を作ってあげること。

 学校という場で関われなくても素で接する事のできる人がいれば孤独はマシになる。


「不思議な人ですね。花沢くんといると仮面が自然に剥がされます......甘えてもいいんですか?」

「もちろん、俺が天瀬に普段甘やかされてるからな」


 ***


「そろそろ時間ですし、昼食を作りますね」


 十一時半ごろ、琴美はそう言って立ち上がる。

 柚衣としては休んでもらいたいのでそれを止める。


「いいよ、俺が作る」

「料理は好きですし大丈夫です」

「えっと......なら手伝ってもいいか?」

「そうですね、いいですよ。そちらの方が早いですし、ついでに花沢くんにも料理を教えたいですし」


 ここで思わぬ料理教室の開催。柚衣は胸が激しく踊る。

 柚衣はいつか琴美から料理を教わりたいと思っていたので嬉しく感じる。


 そして昼食の準備が始まる。

 華燐は足を宙にぶらぶらとさせながら座ってテレビを見ている。


「今日はスタミナ炒めにしましょうか。玉ねぎをくし形切りにしていただけますか?」

「ん、わかった」


 柚衣は言われたままに玉ねぎを取り出して、皮を剥いていく。

 一方、琴美はスタミナ炒めのタレを作っている。


 ようやく玉ねぎも皮を剥き終えた柚衣はひとまず半分に切ってヘタを落とす。

 そして切り口を下に向けて斜めに入れていく。


 柚衣が切っていると少ししたところで琴美が声をかける。


「その持ち方だと少し安定しないので......こう持つといいですよ」


 食材の匂いを突き抜けて甘い香りが漂う。

 琴美は食材に手を添えている柚衣の左手の位置と持ち方を変える。


「なるほど、ありがとう」

「どういたしまして」


 琴美は満面の笑みで微笑んでみせる。

 しかし、天使様スマイルなどでは決して無い。


 不意な素の笑みに柚衣の胸は激しく動く。

 流石に直視できなくなったので柚衣は目を逸らす。


「全然関係ないですが、こうしてみると大きいですね」

「そうだな、すごく高い訳でもないが男子の中では比較的上の方だとは思う。父親が身長高いからな」


 今、柚衣と琴美の距離はかなり近い。

 だから柚衣が琴美を見下ろす形になっている。


 体格は運動もあまりしていないのでガッチリしていない。

 その上、たまに夕食を軽いもので済ませているので痩せている方だ。


 ただ、男子ということももちろんあって柚衣の方が体格は大きい。


「それに器も大きいですし」

「褒めても何も出んぞ」


 ただのからかいのようで琴美はそう言うと自分の作業に戻った。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る