第9話 姉として

「えっと......これどうやって操作するのでしょうか? 良ければ近くで教えてくださいませんか?」

「あー、そっか、そもそも使い方がわからないのか」


 柚衣は琴美の真横に近づく。拳二個分くらいの距離である。

 何とも言えない甘い香りが柚衣の鼻を貫く。


 チラリと横を見れば天使様の綺麗な横顔が柚衣の目に映る。

 柚衣が心から信用している人以外は壁を作っているので恋愛感情や一目惚れといったものはまず湧き上がらない。

 それに恋愛はもうこりごりだ。しかし、男子からモテている理由がよくわかる。


「ちょっと待ってくれ」


 柚衣は琴美でもやりやすそうなゲームを起動する。

 レースゲームと呼ばれているものだ。


 最初は難しいかもしれないが、使うボタンは少ないのですぐに慣れるだろう。


「このゲームはどういうものなのでしょうか?」

「レースゲーム、車を運転して競うゲーム。それを使って車を動かすんだ」

「なるほど、コントローラーを使って擬似的ですが車を運転できるのですね。人類の発展はすさまじいです」

「そ、そうだな」


 年齢にそぐわないことを言う琴美に柚衣は思わず笑ってしまう。

 レースゲーム自体は前々からあったものだが一切知らないらしい。

 とにかくやればわかる。


「とりあえずそこにあるボタンを押してみてくれ」

「......あ、画面が動きましたね」


 柚衣は琴美に操作方法を次々と教えていく。

 意外にも琴美の飲み込みは早く、コントローラーを見なくても操作できるまでになっていた。


「じゃあ一緒にやってみるか」

「は、はい......頑張ります」


 レースゲームは対戦型のゲーム。

 とはいえ柚衣が本気を出して琴美に教えていない技術を使ってしまえば両者共に面白く無くなってしまう。

 そもそも琴美に息抜きをして楽しんでほしいというのが柚衣の目的。

 多少の手加減をして琴美に教えながらやっていこう。


 そして合図と共にレースが始まる。

 琴美は教えた通りにやっていてゲームが初めてにしてはかなり上手い。


 柚衣はトップを維持しているが琴美との差はそうない。

 気を抜けばすぐに入れ替わってしまうだろう。


 そうしてレースも終盤を迎えた頃だった。

 柚衣の肩に何かが当たった。


「ん......ふぬぬ......」


 横を見てみれば琴美が車の動きに合わせて体を右往左往させている。

 その様子にいつもの上品でお淑やかな印象はない。可愛らしいという表現が適切になっている。


 そこで思わず柚衣は手を少し止めてしまう。

 慌ててそれに気づくも、琴美にすでに抜かされていた。


 そのまま琴美は一位を維持して、ゴールした。


「手加減ありがとうございます......意外にも楽しいですね。こういうものに触れてこなかったので新鮮です」

「あ、ああ......楽しかったなら良かった」


 柚衣は負ける気なんてさらさらなかったのだが、琴美の様子に一瞬気を取られてしまったなんて言えない。

 ただ、何はともあれ琴美は笑みを見せているので結果としては良い。


 ゲームに熱中して気づけばちょうど時刻は午後四時。

 柚衣と琴美が少し話していると華燐が目を開けて起き上がった。


「あ、おはよう、華燐」

「お姉ちゃん......」


 華燐は何回か目を擦った。まだ少々寝ぼけているのだ。

 そして辺りを見渡す。すると段々と記憶が追いついてきたのだろうか。

 ソファから一度降りて柚衣の横に座る。


「華燐、もう帰る?」

「......まだ遊びたい」


 遊び足りないのか華燐は首を振って柚衣の服の裾を引っ張る。

 しかし顔は疲れ気味で消耗していることが一目で分かった。

 無理もない、柚衣も疲れるくらいのハイテンションで遊んでいたのだから。


 今日はもう帰ってゆっくり休んだほうがいいだろう。

 遊ぶ機会はいくらでもある。


「疲れてるみたいだし今日はもう帰ろっか」


 柚衣は優しい口調で華燐に話しかける。

 華燐は首を振ったものの、遊ぶ気力がないと自分で理解したようでしょぼんとした顔で頷く。


「また遊ぼ、お兄ちゃんいつでも空いてるからさ」

「......約束?」

「もちろん」


 そう言うと華燐はいつもの無邪気な笑顔をした。


 ***

 

「私は......ちゃんと姉をやれているでしょうか」


 帰り道、一緒に帰ってほしいという華燐の要望のもと柚衣は二人を送り届けていた。

 そして道端で立ち止まってタンポポの葉を眺めている華燐に聞こえないように小声でボソッと呟く。


 琴美は目を細めてどこか遠くの目で華燐を見ている。


 正直なところその質問には弟妹がいない柚衣にとって心底答えづらいものだが琴美は上手くやれていると思う。

 

「ああ、最初からやれてると思うぞ」

「少し不安なんです......花沢さんのおかげで最近は姉らしい振る舞いができていますけど姉としての責務を果たせてるのかなって」

「姉としての責務か。天瀬の思う責務って何だ?」

「華燐を笑顔にしたり、守ったり、成長を見届けたり......華燐との時間が増えたのもつい最近ですし」

「ならもうできてるんじゃないか?」

「え?」


 琴美は目をパチクリとさせた。

 驚いた顔をしているが琴美の言う姉の責務はもうすでに果たされている。


 柚衣は華燐の方を指差す。

 指の少し先にはニコニコしながらタンポポの葉をいじっている華燐がいる。


「今、華燐は笑顔だ」

「それは......」

「天瀬は今もこうして華燐を見守っているし、成長を見届けている」


 初めて琴美と出会った時は柚衣の横に華燐がいた。

 その日の琴美の訝しげな目つきと妹を庇い警戒している態度は柚衣の記憶にも残っている。

 

 華燐に懐かれたので琴美の疑いと警戒は解けたが、それがなければ学校で少々尋問されていたかもしれない。


「華燐を大切に思ってるだろ?」

「はい、もちろんです......華燐は大切で私が愛している唯一の妹です」

「それキッパリと言い切るだけでも姉をやれていると思うよ。華燐も天瀬が大好きなはずだ」

「......そうですね。ありがとうございます。なんだか元気が出ました」


 少々潤んだ目でこちらを見てニッコリと琴美は笑ってみせた。

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