罠①
「ありがとうございました。目を離すとすぐどこかに行ってしまって……本当いつもお世話になってます」
猫を抱えたおばさんがしきりにお辞儀をしている。ジローはその風景を居心地悪そうに見つめているが、カサネは対照的だ。どん、と胸を叩き、
「これくらい、朝飯前ですよ!」
と豪語するが、けたたましく彼女の腹の虫が吠える。ほのかに紅く、カサネの頬が染まる。
「あら、ホントに朝飯前なのね」
一仕事終えた三人は、軽バンに乗り込み、事務所という名の安アパートへ帰る道中にいた。カサネが運転し、トーコは助手席。ジローは後部席で寝ている。先ほどのおばさんからもらった茶封筒を手にしている、トーコ。遠慮なしに口を破り、紙幣を数えている。
「カサネ、あんたさあ、お人好しやめたら?4千円ぽっちって」
「値段あげたら仕事がこなくなるよ。アタシらの仕事は儲けることじゃなくて、『やること』に意味があるの」
トーコは大きなため息をついた。
「あのね。今貰った4千円だけど。これはうちらの地域の最低賃金4時間分なわけ。それを三人で2時間、猫探しの対価でもらった。これ、どういうことかわかる?」
「お小遣いもらえてラッキー」
「……バカなのか賢いのかよくわかんないのよ、あんたは」
キョトン、としてトーコの方を見る、カサネ。
「脇見すんな初心運転者期間」
「ゴメンナサイ」
緊張して、ハンドルを握る手に力が入っているカサネを尻目に、トーコは手持ち無沙汰そうに、何度も4枚の千円札を繰っている。
「公益の仕事は割に合わなくて当然だろう。MEDUSAも公益目的事業をメインにしていたから、NPOで初めていたぞ」
と、無愛想にジローが答えた。
「あ、起きてたんだ」
「トーコ、お前の言い分は収益がメインの一般企業だからこそ成り立つ考え方だ。このチームを結成した目的とは大きく異なるんじゃないか?」
トーコはふん、と鼻息を漏らした後、黙ってしまった。
「ジロー、時々理詰めするよね」
と真正面の道路を睨みながら、カサネが話しかける。
「すごいしっかり理解できるんだけど、心が足りないって思っちゃうなァ、あたし」
ジローの眉間に皺がよる。バックミラー越しにそれが見えたのか、うぉやべ、と、カサネは声を漏らした。
決して乗り心地のよくない軽バンの後部座席に、深く座り直すジロー。何かしっくりこないのか、モゾモゾと動きを繰り返している。
「今の俺には邪魔なんだよ」
「ジローなんか言った?」
「黙れペーパードライバー」
カサネ、正面を向いたまま、口をへの字に曲げる。
「みんな当たり強くなァい?」
至極当然ではある。
安い給料に雑用ばかりの仕事では、士気が上がるわけもなく。学級委員の当番仕事を適当にやるような感覚に成り下がっていくのは。
すでにカサネ・トーコはそれぞれバイトをしながら資金を工面しているし、ジローに至っては出どころ不明の謎の資金を調達してきているので、この会社にまともな資金源はゼロも同然であった。
そして、三人の現状を歪ませているのが、G3フォースというチームの理念が公益的なものであるにも関わらず、一般的な企業と同じような利潤を目的としたシステムで動いている、という状況にある。
それもこれも、言い出しっぺのカサネのせい、と言いたくなる。
ジローとトーコとしては当然の反応であった。
その夜。事件が起きた。
ギフテッドの暴走というのは、しばしば発生するものである。その原因は長く解明されていなかったが、霧島製薬の研究で徐々に仕組みがわかるようになってきた。
霧島の研究では、人間はギフテッド=超能力者として生まれるポテンシャルを秘めているものであり、ガイア・パーツに反応する因子がDNAに組み込まれている、という見解を示している。
さらに、その研究では、
「人類はすべからく『人類』という姿を与えられているが、その姿はガイア・パーツを分解照射することにより、ギフテッド能力の発現のほか、『ギフテッドとしての本来の姿』に戻ることができる」
という考察・課題を残している。
つまり、ガイア・パーツなどによる外的要因があれば、ギフテッドは本来の姿に戻ろうとするあまり、肉体を不安定にさせ、暴走してしまう、という特性を持っているのだ。
さて、話は事件に戻る。
結論、ギフテッドの暴走事件であった。しかも、殺人である。微弱な超能力を発生させ、不随意に殺人を起こしてしまう事例もしばしば発生しているが、今回の事件においては、非常に悪質なものであった。
体に数十本の針が突き刺された遺体は、大きな太刀のようなもので斬られたような跡もついていた。明らかな殺意を持って殺害を行ったとして、センセーショナルに報道された。
そのニュースを、安アパートの小さいテレビで見ている、G3フォースの面々。三人は神妙な面持ちで内容を聞いていた。
「恨みとか、辛い気持ちとかあったのかな。助けてあげたいな、そのひと」
カサネが眉を顰めながら溢すのを、トーコが見ている。
「カサネじゃ、いや私もだけど、太刀打ちできないよ。あそこまで『凶暴』なら」
「それでも、手を伸ばさなきゃダメでしょ!」
「それは、そうかもしれないけど」
カサネとトーコが落ち込んだ表情を見せている。自分たちにはどうにもできない、だけれども、自分たちが救うべき人がそこにいる。無力感ともどかしさに、シンクロしたため息を出す二人。
一方ジローは、目を見開いてニュースの画面を見ていた。
「……アンナ?」
ふと、口をついて出た言葉に、カサネとトーコが反応した。
「ジローの知り合い?」
ジローはカサネの言葉に反応し、我に返った。しかし、何も言わずに黙り込んだ。
黙り込むことしかできなかった。
瞼を閉じるたびに蘇る光景が、ジローにはあった。
紅葉の後の落ち葉が、其処此処に散らばっている。葉を落とした木がジローの行手を阻んでいる。彼の背後にはコンバットスーツを着込んだ男たち。ジローの先を進むのは、霧島イチロウ、そして、ジローは呻いている少女をおぶりながら走っている。
しかし、破裂音と共にジローの足元が弾け、少女と共に吹き飛ばされる。ジローの足は、銃弾を受け、赤黒い血が染みていた。
吹き飛ばされた少女は突然、ゆらりと立ち上がった。
ジローは血の気が引いていくのを感じていた。頭から足先まで、全身を氷水につけたような激しい冷たさが襲い、しかしそれとは不釣あいな汗と鼓動が彼をパニックに陥らせていた。
「アンナ、やめろ」
か細い声が届くはずもなく、アンナは咆哮をあげた。次の瞬間。
落ち葉が、モミジのような真紅に染まった。
辺りには無数の針。そして、串刺しにされた「人間だったもの」が転がっていた。ズタズタになった体からは体液という体液が流れ出し、肉や骨が見えているものすらあった。
ジローが顔を上げると、アンナは全身を針に覆われた「化け物」へと変化していた。
「ジロー!?大丈夫!?」
大汗をかいているジロー。先ほど黙り込んだあと、ジローを呪う光景がフラッシュバックしていた。
ジローは荒い息を整え、何も言わずにアパートを後にした。残されたカサネとトーコは、怪訝な顔でジローを見つめるしかなかった。
しかし、あの時引き留めていれば、とカサネは下唇を噛んだ。
眼前には針が突き刺さったジローが。水面に浮かんでいた。カサネとトーコはジローを川から引き上げ、安全な体勢に整えた。
鋭い視線が、カサネとトーコを刺す。視線の方を思わず振り向く二人。針に包まれた女が二人を睨みつけている。
しかし、針の女はその場を飛び去った。針も溶けるように消え、ジローの体から無くなった。
「トーコ、救急車」
「わかった、今あるものでできるだけ止血しといて」
カサネとトーコは冷静を装った。しかし、手は震え恐れに冷や汗を流していた。
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