罠②

「ジロー、僕はね。君たちギフテッドが羨ましい……なんて思うことがあるんだ。我らよりニュートより力を持つ……だからこそ分断が生まれたわけなんだけどさ。力への渇望は、動物として当然なんだろうね。……愚かだよね」

モヤがかかったような、グレーの空間にジローは居た。そして、その隣には、竹馬の友、そして兄とも慕っていた、霧島イチロウが居た。

「おかしいことじゃないよ兄さん……俺も、アンナを守るための力が欲しい」


「人を殺せる力が」


サイレンの音が、ジローの体に響いていく。振動と音と、人の話し声。さまざまな情報が、ジローの体を起こしていく。

ゆっくりと目を開くと、救急隊員がジローを囲み、彼を見下ろしていた。その顔は稀有怪訝を見、眼球が飛び出んばかりだった。

ジローの体に突き刺さった針は消え失せ、穴の空いた箇所から血液が溢れんばかりに流れ出ていた、はずだった。しかし、その穴は、トーコが要請した救急車が到着した時に、急激に塞がり始めた。そして、受け入れ先の病院が確定し、救急車が駆けている最中には、すでに塞がり切ってしまった。

目の開いたジローは、辺りを見回した。見覚えのある、赤みのあるイエロージャケット。

「トーコ」

トーコは青ざめた顔を、ジローの方へ向けた。ほう、と大きなため息が出た後、今度はトーコが付添人の席でふらり、と崩れ落ちた。ジローはストレッチャーから、先ほどの重傷とは思えない勢いで起き上がり、トーコを受け止めた。

「すいません、急病人、俺じゃなくてこの子にしてあげられますか」

ジローは上半身裸のまま、救急隊員に投げかけた。


「……知らない天井だ」

「本当に言う奴がいるんだな」

トーコはぼやけた視界のまま、声の主の方へ目線を動かした。そこには、黒い服を纏ったジローが座っていた。トーコはその姿が目に入るや否や、目を見開き、ベッドから立とうとした。しかし、腕についている点滴の管が、彼女を引き留めた。

「ジローくん、大丈夫なの!?傷は!?」

「病院は静かにしろよ……全部塞がったよ。むしろ、お前の貧血の方が心配だ。大丈夫か」

「……心配したんだから」

 トーコは憔悴し切った顔で、ジローを睨んでいた。ジローは伏し目がちに、しかし感情はなく、

「すまない」

とだけ、聞こえるか聞こえないか判らない声量でこぼした。

 二人を、診察が待ち構えていた。一方は気絶した女性、一方は身体をズタズタにされたにも関わらず、ものの数分で回復しピンピンしている男性。もちろん、後者が念入りに検査された。

「さっきの付き添いの女の子の方を心配する人間の方が多いのはわかるが、私は、君のようなギフテッドの方が気がかりだよ。あまりにも治りが早すぎる。この瞬間、命に別状がなくても、何がトリガーになって命を落とすかの予想がつかない。大学病院で研究したい人はいるだろうね」

ジローは呆れていた。確かに肉体的損傷の回復は、凄まじく早い。しかし治療よりも研究を優先する、医師の絶妙な倫理観のなさが、彼には不快だった。

「C級1等、先天性身体能力過剰症患者手帳を持ってるんですが」

 医師は黙り、一言だけ、

「全国に10人程度のバケモンが来たのか。どうせ霧島の飼い犬だ」

と、小声でこぼした。ジローは白い目で医師を見つめた。


 二人は夕方ごろに解放された。赤い日があたりの建物を照らしており、長い影が深い夜の訪れを物語っている。

「わたしの方がベッドで寝るとはねー。よく寝れたし、点滴で楽になったし、良いことづくめだけど」

 すっかり血色の良くなったトーコが、ジローの隣で伸びをした。さぞ疲れが溜まっていたのか、肩や首、背骨もポキポキ鳴らしている。

「あんまり骨を鳴らすな。体に悪いぞ」

「人の心配する前に自分の心配しなさいよ、全く」

 呆れた様子で言葉を放ったジローだったが、呆れ返されたような口調で言われたジローは、心の中、そして口の中で舌打ちした。

 

 先天性身体能力過剰症。それが、ギフテッドの医学的な名称である。ギフテッドであるかどうかは生後数ヶ月の検査によって、傾向の有無がわかる。しかし、あくまで「傾向」がわかる検査であり、診断が下されるのは、実際に能力が発現したのちに決定する。未だ能力発現の時期や原因は深く解明されていないが、ほぼ確実にわかっていることは、両親ともどもギフテッドであるのは勿論、どちらかが一方であっても、能力発現の傾向がある、と言うことである。

「すごいね。テレビでしか聞いたことなかった」

「何がだ」

「C級」

 ジローは、トーコの一言で固く、口を閉じた。何を聞かれても、何も言うまい、と宣言するかのようだった。トーコはその様子を見て、

「ごめん、デリカシーなかった」

と、つぶやいた。

 ギフテッド同士でも、「等級」を知るのは御法度、といった暗黙のマナーがある。ギフテッドとニュートとの争いが絶えなかった時代から、超能力の強弱は大きな判断基準であった。中世時代には、その等級によって被差別地区へ追いやられる、と言う管理体制が確立していたこともあり、差別につながること、と言う認識は大きかった。

「当事者が何やってんだよね……本当ごめん」

しかし、逆にいえば。等級を知ることによって、ギフテッド側の団結に繋がることもあり、親密な関係になれば、その等級を明かし友情・団結を確認する、と言う文化もあった。

「……俺はまだ、君たちとそんなに仲良くなったつもりはない。俺も迂闊だったし、トーコが自分を責める必要はない」

「あのバカには絶対黙っとくから」

「カサネか。勝手に大親友ができるのは気色の悪い話だな」

ジローが珍しく笑った。しかしそれは呆れと怒りと悲しみが混ざったような、ひどく面白くないものを見た時の乾いたものだった。

「……怒ってんじゃん」

 二人が病院から出てくると、赤いジャケットの女が手を振りながら駆けてくる。

「噂をすればなんとやら……ね」

 手にはフルーツが盛られたカゴがある。少しお高そうな雰囲気を醸し出している。

「何買ってんのよ、いらない」

「お見舞い行くぞって張り切ってたら、すーぐ退院なんだもん。五千円の損害だよ全く。ジローとトーコで食べなかったら殺すよ」

「わーったよ、貰っとく。あんがとね」

呆れたように微笑むトーコに、カサネは満面の笑みを返す。ジローは、その様子を見つめていた。ジローは深いため息が出た。それは呆れによるものではなかった。よく見た光景を再び見たような、懐かしさを感じた。


 遠くから、ジローを見つめる男がいた。カマキリの面をつけ、不敵な笑みを口元に湛えている。

「お前も隅に置けねえなァ、ジロー……」

 男の手には、アクセスドライバーがある。

「その娘たち守りたきゃ、逃げるんじゃねえぞ」

男は、そばに置いていた黒のセダンに乗り込み、後部座席に横たえられている少女をひと撫でしてから、車を走らせた。


「じゃなきゃ、てめえを殺せねえからよ」

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