第63話 除幕式
今日という晴れの舞台に、私は公爵令嬢レティシアとして、堂々と民衆の前に立つ。もちろん、パン職人らしく白衣を身に纏って。
嬉しい、こんなに来てくれるとは思わなかったわ!
目の前には平民から貴族まで、身分問わずざっと百人近い人が集まっていた。
「皆様、本日は私のプロデュースしたパン屋の除幕式にお集まりいただき、誠にありがとうございます」
パン屋の建物を背に、私は挨拶を始める。
「王家の方々のご支援により、雑木林だった一帯が商業施設のように生まれ変わりました。その一角で、パン屋を開けることに感謝いたします」
私がお辞儀をすると、一斉に拍手が起こる。貧民街の子どもたちに至っては、その場で楽しそうにぴょんぴょんと跳びはねていた。
「そして今日の良き日に、ルバイン殿下が駆けつけてくださいました」
店内からルバインが現れると、「ルバイン殿下、万歳!」と歓声が上がる。
ルバインはその歓声に笑顔で応えたあと、片手を上げて
「皆、よく聞いてくれ。この開拓は、皆の協力なくしては成し遂げられなかった。心から感謝を伝えたい。ありがとう。そして何より、尻込みする俺を鼓舞し背中を押してくれたレティシア嬢には、ささやかだが……」
ノーランが物陰から現れ、何かを背に隠し持ちルバインに歩み寄る。
「グランドオープン、おめでとう」
「まあ、なんてゴージャスな花束でしょう。ありがとうございます、ルバイン殿下。早速お店に飾らせていただきます!」
ユリ、バラ、カスミソウといった白い花を基調に、ところどころアクセントに赤や黄色の花が覗いている。
「レティシア、看板の幕を取る前に、この地の呼び名を発表してもいいか?」
「もちろんです。いい名が思いついたのですね!」
小声で尋ねられ承諾すると、ルバインは一つ咳払いをしたあと民衆に向き直る。
「実は、レティシア嬢の好意で、この地に命名する名誉を得た。今、ここで発表しようと思う。民の幸せと、国の発展を願い考えた名は、『イールドタウン』。これからも、あらゆるものを生み出す町として、国のために貢献していってほしい」
ルバインは堂々と胸を張り、集まっている民を前に、自信に満ちた笑顔を見せていた。
ここ数ヶ月で、随分大人びたじゃない、ルバイン。私も負けてはいられないわね!
「いい名だ!」
「『イールドタウン』、万歳!」
「早急に看板を立てよう」
民衆が沸き立っている。
「よかったですね、ルバイン殿下。私もいい呼び名だと思います」
私の隣に立つルバインに微笑みかけると、頬を赤らめ「レティシアのお陰だ」と言ってくれて。
「では、恩返しのほう、よろしくお願いしますね」
「ああ、任せておけ」
ルバインは子どものような屈託のない笑顔で頷く。
「興奮冷めやらぬ中だろうが、ここからが一大イベントだ。皆、カウントダウンを頼む! 十からいくぞ」
私とルバインは左右に分かれ、看板を覆っている布に手を掛ける。
もちろん私は踏み台に乗っているけど。
「せーの、十、九……三、二、一、オープン!」
看板が姿を現した瞬間、歓声と拍手が湧き起こる。
「さあ、『フロッシュ・スリール』のオープンです! 順番にゆっくり店内にお入りください。帰られる方には、お土産にクッキーをどうぞ」
ルーシーが案内を始めると、小さな子どもたちはルーシーの兄妹、イアンとエイミーが手に持っているクッキーの入った籠に群がっていく。
「レティシア様! どんどん焼かないと、棚が空っぽになりそうですよ」
「今行くわ。ルバイン殿下、落ち着いたころに、ノーランといらしてくださいね」
「ああ、そうさせてもらう。頑張れよ、レティシア」
「ありがとう、頑張るわ!」
オープン初日、私は何回もパンを焼きまくった。けれど焼いても焼いても追いつかず、これほど繁盛するとは思っていなかった私は、驚くばかりだった。
けれど、これには理由があった。お客さんの一人が、「ラデス国王を唸らせたパンをくれ」と言ったのだ。どうやらチラシを配ってくれたイアンが、手渡すときにそう言っていたらしい。
お母様にも感謝だわ。
大盛況を見越していたのかはわからないけど、お母様がカーライル邸の使用人を三人も引き連れて来てくれて。お陰でハーブティーの給仕などはそちらに任せ、ルーシーにはパンの会計のほうに集中してもらうことができた。
「なんだか、一日があっという間だったわ。ねえルーシー、一番人気はなんだった?」
「ピザパンです。棚に出したら即完売でしたから」
「だったら明日は、ピザパンのコーナーを広げましょう」
夕刻を迎え、店内の棚は空っぽで、パンの売れ残りはなかった。けれどやはり、目新しいものに人の目は惹きつけられるようで、最後まで残っていたのは丸パンだった。
「パメラメイド長、今日は手伝ってくれてありがとう。とても助かったわ。これ、少ないけど皆で食べてね」
労働に見合ってないかもしれないけど、お土産用に取っておいたパンを数種類渡す。
「まあ、レティシアお嬢様。ありがたくちょうだいいたします。では私どもはお先に失礼させていただきます」
「ええ、お疲れ様。明日もよろしくね」
パメラは私が生まれる前からカーライル邸に勤め続けている、五十歳間近の使用人だ。機転の利く優秀な人で、店が落ち着くまでの間、手伝いに来てくれることになった。あたふたする私を見かねたお母様の指示だけど。
「レティシア様、クローズにしておきました」
パメラたちを見送ったあと、ルーシーがドアノブにクローズと書かれた木の板を下げてくれる。
「ありがとう、ルーシー。あなたも疲れているでしょう。ちょっと一休みしない?」
そうテーブルに誘ったときだった。
「凄いな、完売したのか?」
閉店したというのに、ドアが開きクリストフがひょっこり顔を出す。
「棚にはもうないんですけど、いくつかは取り置きしてありますよ」
もしかしたらクリストフが来てくれるかもと思い、取っておいたのだ。
「よかった。もっと早く来たかったんだが、私がいると民が遠慮するかと思ってな」
クリストフなりに気を遣ってくれたのね。
「ルーシー、疲れているところ悪いけど、ハーブティーをお願いできる?」
「はい、すぐにご用意します」
私はテーブルにクリストフを案内してからカウンターに入り、パウンドケーキとメロンパン、そしてあんパンをお皿に乗せる。その間にハーブティーも用意され、パンと一緒に私が運んだ。
「はい、どうぞ」
「これは……なんというパンだ?」
「こっちがマードリンパウンドケーキ。そしてこの、縦と横に線があるのがメロンパンで、丸いのがあんパンです」
「これがあの話しに聞いたパンか。実は食べてみたかった」
物珍しそうに眺めたあと、クリストフはメロンパンを先に口にした。
「サクッとした食感と、ふんわりした食感。面白いな。パンに塩味が利いているのは、この上に乗っているサクッとしたのが甘いからか?」
さすがクリストフ。感想まで言ってくれる。
「その通りです。意図をわかってもらえて嬉しいです」
「それにしても凄いな、レティシアは。こんなアイデアが浮かぶとは」
感心してくれるクリストフには申し訳ないけど、私がひらめいたものではない。前世で、先人が伝えたものを習い、その通りに作っているだけ。それでも私にとっては不便な環境のこの世界で、最善を尽くしたパンだ。褒めてもらえるのは素直に嬉しい。
「ふふ……もっと……もっと、レパートリーを……ふや──」
「お、おい! レティシア──」
まだやることが残っているというのに、ハーブティーの香りとクリストフの声を聞いているうちに眠気が襲ってくる。そして慌てたように名前を呼ばれた声を最後に、私の意識はプツンと切れてしまった。
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