第62話 オープン準備

 何事もなくラデス国王が帰路に着き、私は寮に戻った。けれど息つく暇もなく、今度は『フロッシュ・スリール』のオープン準備に追われていた。


「ルーシー、ティーカップは二段目の棚に収めてくれる」


 彼女が取り揃えてくれたのは、白地にピンクの小花と赤い実が描かれた可愛らしいカップだった。他にも男性用にと、白地に青色の縁取りがされていて、そこに金色で蔦模様が施されている品のあるカップを用意してくれていた。


「いよいよ三日後ですね。なんだかどきどきしてきました」


「そうね、お客様が来てくれるか心配だけど……確実に、十人は来てくれるはずだから、閑古鳥かんこどりが鳴くことはないと思うわ」


 オープン初日、私の両親とお兄様が来てくれることになっている。それからルバインやヴィクトルといった、開発に協力してくれた面々も。


「私の家族も来るはずですし、エセルさんたちだって来られるでしょうから、おお賑わいかもしれませんよ!」


「そうだといいわね。でもそうなると、ルーシーも大忙しよ」


 私のパン屋を手伝ってくれる唯一の人だ。しかし、もしものときのために、カーライル邸の使用人に助っ人に入ってもらえないか、お母様に頼んでおいたほうがいいかもしれない。


 実は学園は昨日から夏休みに入り、私は『フロッシュ・スリール』に少しでも近いところがいいかと、実家のカーライル邸に帰省していた。その間、ルーシーも自宅に帰省してもらっている。幼い兄妹との時間を、できるだけたくさん一緒に過ごしてほしいから。


「お任せください! 私、頑張りますから。今から楽しみですね。あのパンを食べたら、きっと皆さん笑顔になりますよ」


 ルーシーには、ある程度試食をしてもらい、感想を聞かせてもらっている。あんパンも気に入ってくれていて、新たに揚げあんパンをメニューに加えた。

 そしてなにより、貧民街の婦人が素晴らしいものを作ってくれて。


「こんにちは、煮詰めた果肉をお持ちしましたよ」


 ベルのついたドアが開き、エプロン姿の少しぽっちゃりした婦人がやって来た。


「まあ、マドリンさん。今、ちょうどあなたの作ってくれたもののことを考えていたのよ」


 婦人が作ってくれたのは、マーマレードジャム。まだこの国には存在していない食べ物だった。


「まさか思いつきで作ったものが役に立つなんて、嬉しい限りです」


「素晴らしい発想だったもの。私のほうこそ、使わせてもらえて幸運よ。これからも、どんどん生み出してね!」


 思いつき──婦人はそう言うけど、凄いと思った。私はジャムのことを知っている。でも、マドリンさんはなんの知識もない中で、ジャムを作ったのだから。


 そもそもの発端は、マドリンさんの十歳になる娘さんが、山で見たことのない果実を見つけ持ち帰ったことから始まった。食べてみたところ、オレンジほど甘くなく、夏みかんのような酸味とほろ苦さのあるもので。


 砂糖をかければ、美味しく食べられるかも。


 そんな発想から砂糖をかけるも、ジャリジャリと食感がイマイチ。ならば溶かせばいいのでは? となり火にかけたところ、思いのほか煮詰めてしまったそうだ。するとどうだろう、とろみのついた甘いソースのようなものができ上がった。


 私に知らせに来てくれたのよね。何かに使えないかって。


「それもこれも、ルバイン様とヴィクトル様のお陰ですよ。砂糖や塩といった調味料を、無償で配ってくださったのですから」


 平民にとって貴重で高価な砂糖を、本来なら賭けのようなことには使わなかっただろう。


「お二人とも喜ばれるはずですよ。好意が活かされているんだから」


 私が旅に出ている間に、ヴィクトルは『水浄化魔法ウォーター・プリケーション』で、海水から大量の塩を抽出したそうだ。砂糖はどうしたのかというと、ルバインがターナミル国からサトウキビを仕入れ、そのサトウキビをマーカスが巨大化。それを絞ってジュースにしたものから、これまたヴィクトルの『水浄化魔法ウォーター・プリケーション』で砂糖を抽出。素晴らしい連携プレイだ。


 これって、私の手柄でもあるのでは? 


 もともとは、酵母菌ちゃんを抽出するために私が発案した『水浄化魔法ウォーター・プリケーション』だ。


 とはいえ、私自身は魔法を使えるわけではないから、やっぱり努力したヴィクトルを賞賛するべきよね。


「それでレティシア様、で何をお作りになるのです?」


を生地に混ぜ込んで、パウンドケーキを作ろうと思っているのよ」


 ──呼び名がないのは不便だ。だからといって、マーマレードは前世で広まっていた呼び名だし……


「ねえ、マドリンさん。、とずっと呼ぶわけにもいかないし、あなたに呼び名をつけてほしいんだけど、どうかしら」


「いいえ、私などがとんでもない。レティシア様が命名してくださいな」


 マドリンさんの申し出に、私はなんのアドバイスもしていないからと辞退する。けれどマドリンさんは、このパン屋で初お披露目するのだからと再度乞われて。


「だったら……マドリンさんの娘さんの名前はなんていうの?」


 唐突な質問にマドリンさんは首を傾げながらも、「ジャネットですが……」と答えてくれる。


「ひらめいたわ! あなたと娘さんの名前を織り交ぜて、マードリンジャム。どう?」


「マードリンジャム──光栄ですが、いいのでしょうか」


「いいに決まってるわ。マードリンパウンドケーキは二人にご馳走したいから、オープンしたら絶対に来てね!」


「もちろんですとも。喜んでお伺いします」


 帰ったらさっそくジャネットにも伝えると、嬉しそうにマドリンさんは帰っていった。


 さてと、あとは何を準備すればよかったかしら。


 私は店内を見渡す。


 テーブルの配置もいいし、パンを乗せるプレートも完璧。パンの値段と名前を書いた表示も問題なし。店の外には、ちょっとしたテラス席も用意しておいた。

 宣伝にと作ったチラシは、イアンと貧民街の子どもたちが明日、配ってくれることになっている。


 オープン記念に配るクッキーは、明日焼いて袋詰めすればいいし……


 ここまでくれば、あとはオープン当日を迎えるだけだ。

 念願だった私の夢。ついに、叶うときがやって来る!

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