第61話 黒魔術
前日宣言したように、私はラデス国王とアドレー殿下を小麦畑に案内していた。
馬車での道中、見下すような暴言を浴びせられるかもと覚悟していたのだけど、ラデス国王は難しい顔をしているだけで終始無言だった。
その分、小麦畑を前にして、どんなえげつない言葉で攻撃されるのかと思うと、私の胸は重くなる一方で。
「どうです、本当でしたでしょう?」
「うむ、見事なものだ。品種改良とは、誠だったのだな」
これほどの成果を上げるとは、優秀な研究員がいるようだと、ラデス国王は感心している。
「ええ。ですから、ラーミス国から小麦粉を仕入れる必要はなくなったのですよ。ご理解いただけましたか?」
「ああ、納得している。アドレー、メフィラーナ国に輸出する予定だった小麦粉を、国内で流通させろ」
あれれ……何、この反応。肩透かしをくらったみたいだわ。
腰に手を当て、鼻高々に自慢する私のほうが嫌なやつに思えてくる。おまけに高笑いまでしちゃってるし。
アドレー殿下も、「え……いいのですか?」と目が点になっていた。
「いいも何も、民が飢えては困るだろう」
「は、はい! 父上」
感極まって、アドレー殿下は涙目になっている。
変よ、変! キャラ変なの? 一夜のうちに、ラデス国王の身に何が起きたっていうのよ⁉
昨日までの暴君が、打って変わって厳格な先導者に見える。
「あの、アドレー殿下。ラデス国王はいったいどうされたのです?」
魔法にでもかかっているのかと、そばに寄り耳打ちする。
「いいえ、逆です……効力が切れたんです! よかった──まさかこんなに早く兆しが現れるとは。クリストフ殿下の言っていたことは本当だった」
効力? 兆し? なんのこと。
私にはまったくわからない。城に戻ったら、クリストフを問い詰めなければ。それに昨夜、アドレー殿下と何を話したのかをまだ聞いていない。
「何をこそこそと話している。しかし……なぜ我は、執拗に輸出に拘っていたのだ?」
ラデス国王が首を傾げている。
なぜって、こっちが聞きたいわよ。
憑き物が落ちたとは、こういうことをいうのかと実感した瞬間だった。
「アドレー、予定変更だ。国へ帰ろう。ターナミル国には書面を送る」
無性にラーミス国に帰りたくなったと、ラデス国王は晴れ渡る青い空を遠く見やる。
「そうしましょう。きっと、今の父上を見たら、母上は泣いて喜ぶはずです」
親子の絆が戻って何よりだけど、
悪役令嬢でいることが、バカバカしくなってきた。
「いつこちらを出発なさいますか? お土産に、昨日召し上がったパンをご用意いいたしましょう」
「ほう、あのパンを。考案者にぜひ会ってみたいものだ」
あんな美味しいパンを食べたのは初めてだと、ラデス国王は言う。
まさか……私のパンを食べて改心したとか?
あり得ないだろうけど、ついそんなことを考えてしまった。
「あのパンは、私が作りましたの。近々、パン屋を開く予定です。よろしければ、今度は王妃様もご一緒に、私のパンを召し上がりにいらしてください」
「そなたが? 先ほどまでは、えらく高慢ちきな令嬢だったが──」
「暴君国王には、高慢ちきでないと対抗できませんでしたから」
「ぐ、ぐははは……。暴君国王か、我にそうはっきり言うとは、度胸があることよ」
愉快げに笑うラデス国王は、本当に昨日とは別人のようだった。
∞∞∞
クリストフを待つこと数時間。
日は暮れ、窓の外はすっかり闇色だ。
「もー、いつまで待てばいいのよ」
昨夜、アドレー殿下との密談? のあと、明らかに変貌したラデス国王。その秘密を、クリストフは知っているに違いない。
早く知りたいんですけど!
実は小麦畑から戻ると早々に、クリストフの執務室を訪ねたのだけど、仕事の手が空かないから待ってくれと言われて。
クリストフも私に確認したいことがあるようだったから、来ると思うのだけど。
「あー、落ち着かないわ」
じっとしていられず、部屋の中をグルグルと歩き回っていると──
「レティシア、遅くなってすまない」
ノックのあと、クリストフの声がする。
「待っていたんですよ! どうぞ。あ、お仕事お疲れ様です」
「好奇心が先で、労いは後回しか」
急いでドアを開けるも、やれやれと肩を竦めるクリストフに、ごもっともだけど私は頬を膨らませる。
「すみませんね。でも、ずーーーっと、待ち続けている私の気持ちもわかってほしいものですわ」
「はいはい、わかったよ。で、私に何を聞きたいのだ」
さっさとソファーに座り、クリストフは足を組んだ。私も急いで向かいに座る。
「もうご存じかと思いますが、ラデス国王が暴君ではなくなっていて。何かあったのでしょう? 昨夜、アドレー殿下とどんな話しをしたんですか?」
クリストフも今日、ラデス国王と顔を合わせているはずだから、異変には気づいているはずだ。
「アドレー殿下が、効力がどうとか言っていましたけど……きちんと教えてくださいね」
矢継ぎ早に問うと、クリストフの表情が強張った気がした。
「レティシア、賊の
「ええ……忘れようにも忘れられません」
唐突な問いに戸惑う。なんの関係があるのだろう。
「あの頭が魔法を使えたのは、魔術師の術によるものだったのだ。そしてラデス国王も、同じ魔術師と関わっていた」
「では、その術のせいで、あんな暴君になっていたと?」
「私はそう考えている。だが、頭はもう魔法は使えないらしい。となると、術は永遠ではなく期間が限られているのだろう」
「ということは、ラデス国王の態度が急に軟化したのは、術が解けたから──」
アドレー殿下の言っていた効力とは、そういう意味だったのかと合点がいく。
今日のあの姿が、本来のラデス国王だったのね。
「とはいえ、不可解だわ。ラデス国王は、どうして術をかけてもらってまで、暴君になりたかったのかしら」
本来の性格のほうが、よほど国王らしいのに。
「暴君になりたかったのかは定かではないが、切っかけはあったそうだ」
私の疑問に、昨夜アドレー殿下が話してくれたと、クリストフは毒殺事件があったことを教えてくれた。
そんなことが……悲しい背景があったのね。
「でも……人間性を変えてしまうほどの、恐ろしい術があるなんて――」
「ああ、信じたくはないが、恐らく黒魔術ではないかと思う」
「え、黒魔術って──もう、滅びたはずでは?」
黒魔術については、学園の授業で習った。
五十年前、聖女によって魔王が封印され、魔界の扉が閉ざされたことで黒魔術の源である邪悪な気が途絶えたからだと。
「私もそう思っていた。黒魔術など、もう存在しないのだと」
クリストフは何かを悔いるように、膝の上に置いていた拳を握りしめていた。それは爪が食い込むほどの力のように見えて。
もしかして、封印が綻び始めているのだとしたら──
私はあの言葉を思い出す。
聖女が現れるとき、それは国に災いが起こることを意味しているという。
「レティシア、最近……変わったことはなかったか?」
それは脈略のない質問に思えた。
「え、変わったことですか? 特に何もないですけど……」
「身体的、精神的にも?」
クリストフの言いたいことが、よくわからない。でも、精神的にと問われ、はっとする。
もしかして、性悪ぶりが落ち着いていることを言っているの?
「精神的にと言われると……そうですね、あまりイライラしなくなったかもしれません」
さすがに、中身が
「そうか。体調はどうだ? 熱が出たり、苦しいところはないか」
クリストフは何を心配しているのだろう。私を見つめる目は真剣で、ただ質問したのではないことがわかる。
「見ての通り元気ですよ。でもそう言われると……昨日から少し胸が重苦しいように思います」
「何⁉ どうして早く言わなかった。今も苦しいのか?」
急に立ち上がったクリストフが、テーブルに手をつき前のめりになって私に迫ってくる。
「ちょ、ちょっと、どうされたんですか? 変ですよ、クリストフ殿下……今は落ち着いていますから、大丈夫です」
「あ、あぁ……すまない。私はこれで失礼する。──レティシア、些細なことでも普段と違和感を感じたら、必ず私に教えてくれ。いいな?」
戸惑う私に我に返ったのか、クリストフは気まずそうにドアに向う。けれどドアの前で振り返ったクリストフに、強めの口調で念を押されて。
「ええ……わかりました」
どうしたのかしら、私に何か起こるとでも言いたげな口ぶりだったけど……
私はしばらくの間、クリストフが出て行ったドアを漠然と見つめていた。
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