第60話 対価

 眠れない──寝返りを打つこと、十数回。


「無駄な足掻きはよそう」


 目が冴えて、一向に眠気が訪れないクリストフ・ルフェーブルは、諦めてベッドから身を起こした。


「夜風にでも当たるとするか」


 夜着よぎの上に、椅子の背にかけていた薄手のガウンを羽織り、テラスに出る。


「あ──」


 不意に聞こえた声に、隣のテラスへ視線を向けと、レティシアが柵の上に腕を置きこちらを見ていた。


「どうした、レティシア。枕が変わると眠れないか?」


 ラデス国王が滞在中は、彼女も王城に泊まることになっていた。その部屋を二階にあるクリストフの隣室にしたのは、レティシアに反感を持ったラデス国王が、何かしてこないとも限らないからだ。


 まあ、ないとは思うが、用心に越したことはない。


「それもありますけど、晩餐のときのアドレー殿下の様子がちょっと気になって」


 考え始めたら眠れなくなり、気分転換に外へ出ると、月の光が気持ちよくて浴びていたという。


「月か──確かに綺麗だな」


 夜空を見上げると、青白い月が浮かんでいた。満月ではなかったけれど、明日にはまん丸になりそうだ。


「でしょう! 優しい光に、癒やされますわ」


 言葉とは裏腹に、月を見上げるレティシアの横顔は、どこか愁いを帯びているように見えた。


「アドレー殿下の何が気になっているのだ?」

「気のせいかもしれませんが、私の作ったパンを食べたとき、ラデス国王に何か訴えようとしているように見えて……」


 それはクリストフも感じていたことだった。何度も口を開きかけては、ラデス国王に睨まれ口ごもっていたからだ。


(あのパンを食べれば、美味しさの秘密を知りたくなって当然だがな)


 今日の晩餐の席でレティシアがお披露目したパンは、定番の丸パンとピザパンの二種類。これに決まった経緯は、ルバインとノーラン、それからルークとマーカス、おまけでライナスにも試食してもらった結果、トマトソースとチーズの組み合わせが抜群だと言ってくれたからだとレティシアから聞いている。クリストフ自身も、事前に試食させてもらい、申し分ない美味しさだと思った。


 丸パンに関しては、ラーミス国から伝えられたものだから、比較しやすいという理由で選んだという。


 自分は食べていないから知らないが、メロンパンとあんパンも、試食をした彼らからすと画期的なパンだったようで、美味しいと言っていたそうだ。しかし甘さのあるパンということで、晩餐の席には向かないと判断され、お披露目は見送られた。


「ピザパンを食べたときのラデス国王は、衝撃を受けていたからな。おそらくその表情を見て、アドレー殿下はパン作りの指導を受けようと提案したかったのだと思う」


 しかし「美味しい」と認めたくないのか、ラデス国王はパンについて触れなかった。それでも知りたいという欲求はあるようで、レティシアに視線で訴えていたが。


「クリストフ殿下もそう思われましたか? ふふ、素直に聞いてくれば、酵母菌ちゃんのことを教えてあげなくもなかったんですけどね」


 知りたければ、自分から聞いて来い。そんな思いを込めて、レティシアはにやりと口角を上げ意地の悪い笑みをラデス国王に送っていた。


「でも、アドレー殿下は……お気の毒に思います」


 丸パンを口にしたとき、「母上にも、食べさせてあげたいな……」と零していたのを、クリストフも耳にした。消え入りそうな声で、「貧しい民たちにも……」とも言っていたが。


 アドレーのような優しさがラデス国王にもあれば、ラーミス国の民たちの表情も明るくなるだろうに。


「うん? あれは……アドレー殿下か?」


 ふと視線を落とすと、人影を見つける。ランプの光で、ぼんやりとだが顔が見えた。


「そうみたいですね。こんな時間に中庭を散歩って……おかしくないですか? まさか、ラデス国王と何かあったんじゃ──」

 

 レティシアが心配そうに、肩を落として歩くアドレーを目で追っている。クリストフにも、見るからに元気がなさそうに思えた。


「あ、四阿あずまやに入って行きましたよ。アドレー殿下もいろいろと思うところがあって、寝付けないのかもしれませんね」

「そうかもしれないな」

「ちょっと話しをしに行ってみませんか?」


 レティシアの提案にクリストフは、ラデス国王の暴君ぶりについて、アドレーの本心を聞けるチャンスだと考える。


「私が行ってこよう、レティシアはもう休め。疲れが出ているぞ、顔色が悪いように思う」

「え、疲れてなんて……狡いですよ、私も行きたいのに」


 何が狡いのか、レティシアは自分も話しを聞きたいと言って引かない。


「はぁー、よく考えてみろ。レティシアは性悪令嬢だと思われているだろう。そんなお前に、弱みになるかもしれない悩みを打ち明けてくれると思うか?」


 あの悪役ぶりは、たいしたものだったと褒めてみる。


「う……そう言われると、返す言葉が──」

「だろう? 詳細はちゃんと教えてやるから、今日のところは部屋で大人しくしていてくれ」


 そうお願いすると納得したようで、「わかりました。お休みなさい」と部屋の中に入っていった。


 ∞∞∞


 四阿へ行くと、アドレーは足を投げ出しぼんやりと座っていた。思ったとおり元気がなく、クリストフが近づいてくる気配にも気づいていない様子だった。


「こんばんは、アドレー殿下」

「っ──⁉ あ……クリストフ殿下。こんばんは」


 声をかけると、アドレーは慌てて姿勢を正した。ばつが悪いのか、首の後ろを手で擦りながら、挨拶を返してくる。


「お隣に座っても?」 

「構わないよ、どうぞ」


 横にずれてくれ、スペースを空けてくれた。


「失礼します。もう夜も遅いですよ。眠れないのですか?」

「まあ、そんなところだ。君は?」

「私も同じです。寝ようとすればするほど、目が冴えてしまって。きっとラデス国王との今後を考えてしまったからかもしれません。外交とは、悩みが尽きないものですね」


 クリストフは躊躇うことなく、ラデスの名前を出す。アドレーの悩みは、父親絡みだと察しがついていたからだ。


「あ……すみません。父上が無謀な要求をしてしまって」

「立ち入ったことと承知でお尋ねしますが、ラーミス国の民は国王の暴挙に苦しんでいるのではないですか?」


 クリストフが問うと、アドレーの表情が曇る。


「国王に進言する者はいないのですか?」


 重ねて問うと、アドレーは自分が意気地無しなのだと首を左右に振る。


「父上の蛮行を正せるのは、私しかいないのに──足が竦んでしまうんだ。あの冷徹な目で睨まれてしまうとね。だけど、信じてもらえないかもしれないが、昔はあんな人ではなかったんだ」


 眉尻を下げ、アドレーは悲しそうな顔で俯く。


 (そういえば、ロイもそんなことを言っていたな)


 一方的に権力を見せつけるようになったと。

 何か秘密がありそうだと、クリストフはもう少し踏み込んでみることにする。


「それは……引き金になるようなことがあったということでしょうか。力になる、とは断言できませんが、聞かせてもらえませんか?」

「──国の恥になってしまいますが……あれは十年ほど前のことです」


 遠い目をするアドレーは、当時を思い浮かべているようだった。そして心が決まったのか、訥々とつとつと語り出す。


 当時、アドレーは十三歳。そのころ父親のラデスは、まだ王位を継いでおらず第一王子として政務をこなしていたという。真面目で頑固な面もあったが、親族を信頼していて、王家として恥じない行いを心がけていたそうだ。


「そんな人が、どうしてあのような……」

「王位争いです。急な病で国王が天に召され、第二王子派が父上を毒殺しようとしたのです」


 それも、第二王子の指示で。


 信じていた肉親の裏切りで、生死をさまよったラデス。たまたま旅をしていたという魔術師によってなんとか一命は取り留めたものの、意識の戻ったラデスは人が変わっていたという。自分以外の者は信じない。信じられるのはお金だけだと。


「そういえばあの魔術師……奇妙なことを言っていたな」

「奇妙なこととは?」

「父上の命を救ってもらった礼に、望むものを与えると母上が。しかし魔術師は、もう対価はもらったと」

──!」


 クリストフの心臓がドクンと大きく脈打つ。


「アドレー殿下、その魔術師の顔は見ましたか?」

「いや、頭から黒いマントを被っていましたから。ですが……赤黒い目だったことは覚えています。子どもながらに、不気味さを感じましたから」


 黒いマント、そして赤黒い目。 

 同じだ、賊のかしらが言っていたことと。


 クリストフはパースティナ国から帰るとすぐに、城の地下牢に赴いていた。頭が魔法の力を手に入れた経緯を聞き出すためだ。


(もう、魔法は使えなくなったと言っていたが……)


 頭は効力が切れたとなげいていた。片目ではなく、もっと効力が保てる対価を差し出すんだったと後悔していたが、何が相応の対価だというのか。


「そのマントの男、実は半月ほど前に捕らえた賊の頭にも、術をかけていたことがわかったのです」

「え、賊の頭にですか?」

「はい。片目を対価として、魔法の力を得たと。しかし数日前、効力が消えたようです」


 だからラデス国王も、いつとは言えないが正気に戻る日が来るかもしれない。そう伝えてみる。


「それが本当なら、私はこれ以上、父上が民に無体な真似をしないよう、踏ん張ってみます。しかし……父上は何を対価として払ったのでしょう」


 見たところ、五体満足に見える。となると、考えられるのは目に見えない何か。寿命か、それとも精神的な何かか──


「それは私にはなんとも。ですが、ラデス国王の小さな変化の兆しを見逃さないようにということと、これ以上の悪名は避けること。私に言えるのは、それだけです」


 以前のラデスに戻ったとき、民に与えてしまった負の感情を払拭するには、それ相応の努力が必要になるだろう。


「わかりました。息子として、最善を尽くします。今夜、クリストフ殿下と話せたことは幸運でした。希望を持てたのですから」


 あいがとうと差し出された手を、クリストフは力強く握った。


(私こそ、あなたの話しを聞けたことに感謝します)


 今日知り得たことを、ジェイクにも伝えなければ。


 自分たちの犯した過ちの真相が明らかになるときが、刻一刻と迫ってきている。


 クリストフには、そう思えてならなかった。

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