第58話 あんこ作り

 あぁ……なんて綺麗なの、この紫味を帯びた赤褐色の粒たち。今から美味しく煮てあげるからね!


 私は今、女子寮の台所ではなく、ノーランの手引きによって、男子寮の台所に裏口からこっそりお邪魔していた。なぜかというと、ここなら王子の一声で、人払いができるからだ。


 オープン前に、妙な噂が立っては困るもの。令嬢のお遊びで作ったパンらしい、とかね。


「レティシア様、私にも何かできることはありませんか」


 夜も遅い時間だったため、ルーシーには先に休むよう言ったのだけど、女性が一人で男子寮に行くなんて危ないからとついて来てくれた。


「そうね……じゃあ、この小豆を洗ってくれる? 優しくよ」

「はい、お任せください」


 ルーシーが水を用意する間、私は鍋を物色する。


 うーん、小豆の量を考えると、このくらいの大きさかな。


 今日は試しということで、ニ百グラム程度にしたから、直径二十センチくらいの鍋を選んだ。


「俺には何をさせる気だ」

 壁によりかかり、様子を見ていたルバインが声をかけてくる。


「もちろん火を出してほしいのよ」


 料理人のいない時間帯に、竈に火をおこすわけにはいかない。それに火の後始末のことを考えると、ルバインの力を是非とも借りたいところで。


「レティシア様、洗いました」

「ありがとう。この鍋に入れてちょうだい」


 小豆をざるから鍋に移し、水をたっぷり入れる。それを、十センチほどの高さのある五徳ごとくの上に置き、ルバインに火であぶってもらう。


「沸騰するまでは、火は強くて大丈夫よ」


 煮立ったところで火を小さくしてもらい、水の色がワインの色に近くなるまで火にかけておく。


「もうその辺りでいいわ。一旦、火を消して」


 私は小豆をざるに上げ、渋抜き作業をする。その間に、ルーシーには使った鍋を綺麗に洗ってもらった。


「次の段階に移るわね」


 小豆を再び鍋に戻し、たっぷり新しい水を入れて、アクを取りながら煮詰めること三十分。


「なんだかなぁ、俺は本当に火を出すしか用がないんだな」

「そんなことはないわよ。実は他にもお願いしたいことがあるの」


 私は雑木林跡地に呼び名を付けてほしいと頼んだ。私的には、ルバインにからめた名前がいいのではないかと思っている。


「呼び名か……レティシアのパン屋は、『フロッシュ・スリール』だったよな。何か意味があるのか?」

「私のパンを食べて、笑顔になってほしいっていう願いを込めてあるのよ」


 そう説明すると、「なるほどな」と思案するように頷く。何か思いついたのかもしれない。


「ちょっと火を止めて!」

「まったく、人使いが荒いな」

「そう言わないで。これは、あなたに出来ない、な役目なんだから」

「そ、そうなのか。だったら仕方ないな」


 尊敬の眼差しで見つめると、照れたように頭に手を当てうんうんと頷いている。


 扱いやすくていいわ~。

 ルバインとは、開拓を進める同志ということもあって気安い間柄なのよね〜、なんて呑気に思っていたら……


「レティシア様──」


 ひぃー、こ、怖いわよ、ノーラン。ずっと物静かに見守っていたのに、急にそんなドスの利いた声出さないで。


 仁王立ちで腕を組み、その背後からはメラメラと炎が上がっているかのようだった。

 おまけに──


 あなたのルバインを取ったりしないから、目からビームを出すのは止めて。本当に出てはいないけど、ちくちくと刺さる視線がね、凄く痛いのよ。あれよね、あれ。自分以外がルバインを手なずけるなんて許せない的な独占欲!

 はっ! ダメダメ。腐女子モードを発動している場合じゃなかったわ。私の小豆ちゃ〜ん、うん、芯は残ってないわね。


 小豆を指先で摘まみ、潰してやわらかさを確認した私は、ざるで湯を切る。そして再び鍋に戻し、今度は砂糖を加えた。


 さあ、ここからが、最終仕上げよ。


 水分を飛ばしながら、さらに煮詰めていく。しかしその際、ぐるぐるとヘラでかき混ぜてはならない。


「もっと火を小さく!」

「そ、そんなに大きな声を出すことはないだろう」


 ルバインがびくりと肩を震わせる。


「あ、今度は小さすぎよ」


 あーーーもう! 弱火加減が伝わらなくて、もどかしいったらないわ。


「手伝ってもらっておいて文句を言うのは申し訳ないんだけど、ここは大事なところなのよ。だから頑張って!」

「だいたいなんなんだ、この赤黒っぽい物体は。食べ物には見えないんだが」

「なんですって! この照り具合を見なさいよ、私には宝石に見えるわ」


 鼻息荒く捲し立てると、ルバインは顔を引きつらせ後退る。


「はあ? 宝石……そもそも、なんでお前はこんなもの知ってるんだよ」

「そ、それは……パースチナ国で習ったのよ」

 

 嘘だけど。


 はぁー、あんこを知らない人にとっては、異様な食べ物に見えるのね。


 あんこの美味しさは、国によっては伝わらなかったりする。


 前世、アジア諸国では馴染みのある食べ物だったけど、所変われば品変わるで、ヨーロッパのほうでは苦手な人が多いとか。


 メフィラーナ国ではどうだろう。あんパンをはやらせたいなんて、独りよがりだったのかもしれない。自分の好きなものだからといって、皆も好きになるとは限らないのだから。けれど、一人でも気に入ってくれる人がいれば嬉しいと思う。


「おい、何かジリジリ音がするが、大丈夫なのか?」

「ええ、ここで慌ててはダメなの」


 鍋を覗くと、小豆から出て来た水分が、フツフツと小豆を揺らしている。


 そろそろ仕上げに、塩を入れてと──


「火を消していいわよ。できた! これがあんこよ」


 熱が冷めるころには、味が落ち着いていると思う。


「明日の夜はパンを作りたいのだけど、また殿下の力とここの台所を借りていいかしら」

「構わないぞ。料理人にも話しは通しておく」

「ありがとうございます。試食もしてほしいので、夕食は腹八分目でお願いしますね」


 考えていた五種類のパンを食べてもらい、率直な感想を聞かせてほしい。それによっては、メニューの変更も視野に入れる。


「ああ、俺の他にも、数人呼んでおこうか?」

「そうね、お願いするわ」


 好評だったパンを、ラデス国王に食べてもらわないと。


 いよいよ二日後に、腹黒の業突く張り国王がやって来る──

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