第55話 婚約者っ――⁉ え、困るんですけど!

 ああ……なんて心休まる景色なのかしら。


 私は遠く先に見え始めて来た王都の町並みに、感慨を覚える。旅に出て一月も経っていないのに、安らぎが胸に広がったからだろうか。


 きっと、濃い出来事があったせいよね。

 

 だって、気楽な偵察旅行くらいに考えていた私が、まさか誘拐されるだなんて思わないでしょう?


「なんだか……安心するわ」

「ああ、そうだな」


 私の呟きに、クリストフもしみじみと返してくる。


「レティシア、寮に戻る前に、どこか寄るところはあるか」


 雑木林の開拓状況を見たい気持ちはあったけど、夕刻が迫っていることを思えば、日を改めたほうがいいのだけれど……


 少しだけ、少〜しだけ見たい!


「あの、雑木林跡地を遠目からでもいいので見たいんですけど……お願いしても?」

「通り道だし、問題ない。私も見ておきたいしな」


 クリストフの同意に、エセルとお兄様も頷いてくれた。


「お、見えてきたぞ。ちょっとした村になっているじゃないか⁉」

 お兄様が感嘆の声を上げている。

  

 うわ〜、まるでレジャータウンみたい!


 本当に見違える景色だった。牛舎や鶏舎、そして製造棟。ところどころには、販売所のような小屋もあった。もちろん私のパン屋も。


「頑張ったのね、ルバインたち──」

「そうだな。立派な業績として、国王も称えることだろう」


 クリストフも兄として、ルバインが誇らしいようだ。


 そうだ、あの場所に名前を考えてもらわなきゃ!


 いつまでも雑木林跡地では華がない。


「もう満足したので十分です。そろそろ夕刻ですし帰りましょう。あ、ルーシーの家に寄りたいので、私だけそこで降ろしていただけますか」


 ドルフさんに『フロッシュ・スリール』の完成具合を聞きたいから、私はルーシーの家に長居してしまうだろう。


「それなら、迎えの馬車を寄こすよう、ジェイクに頼んでおくといい」

「そうさせていただきます。お兄様、お願いできますか?」


 その間に、ルーシーも私と一緒に寮へ戻る支度が調えられる。


「ああ、手配しておくよ」

「ありがとうございます、お兄様!」


 キャビンを覗きにこりと微笑むと、お兄様も穏やかな笑みを返してくれた。


 あ、石畳の街道に入ったんだわ。


 馬の蹄の音が変わり、王都に帰ってきた実感が湧く。前に向き直ると、馴染のある家屋も見えて来て、もうすぐ四人の旅が終わるのだと告げられているようで、寂しい気持ちにもなった。


「あの、旅の間、足手まといの私でしたけれど、こうして無事に帰って来られたのも、殿下やエセル、お兄様のお陰です。ありがとうございました」


 ルーシーの家に着く前に、私は感謝の気持ちを伝える。


「おお、レティシアがそんな殊勝なことを言うようになるとは。兄は嬉しいぞ」


 お兄様が目を潤ませ、感動を伝えてくる。


 今まで親不孝ならぬ兄不孝でごめんなさい。


「まあ、普通のことなのだが……レティシアにしては感心だ」


 むむ──どうしてそういう言い方するのよ、クリストフ。ここは「どういたしまして、いい旅だったな」とかで良くない?


「私はレティシア様と旅ができて、ハラハラもしましたけど楽しかったです」

「私もあなたの人柄を知ることができて、有意義な旅だったわ。エセルなら、お兄様を

「おいおい、それは兄が妹を託す相手に言う言葉じゃないのか」


 お兄様の反論に、皆が愉快げに笑う。


 楽しい──


 自分が悪役令嬢に転生したことを自覚したときは、こんな日が訪れるなんて想像していなかった。だって皆は、性悪だった私の被害者だったのだから。


 それが、ここまで良好な関係になったのならば──


 これからはパン屋を開いて、平穏な日常を送ることができるのね、私!


 喜びがフツフツと湧いてくる。ドクロステージルートも展開されないに違いない! 


 やった~! 破滅回避よ、バンザ~イ、バンザ~イ!

 あとは、のんびりパン職人ライフを送るだけよ。バンザ~イ! バンザ~イ!


 私の中で、根拠のない確信が満ちていく。


「そうだな。ジェイクにも言わせてやらないとな。レティシア、今日からお前は、私のだ」

「へ──」


 次いでのように言われ、私はポカンと口を開ける。


「聞こえなかったか? レティシアには、私のになってもらう」

「こ、こここ……婚約者っ――⁉ え、困るんですけど!」


 なんでなんで、なんでそうなるのよ! 困る困る困るーーー! だって、私のパン職人ライフはどうなるの? 

 第一王子の婚約者ということは、後に王妃ということでは? そうなると、パンを焼く時間もなくなるじゃないの!


 お兄様に救いの目を向けると、ツツツ……と顔を逸らされる。


 これは……知っていたというリアクションでは──


「言っておくが、レティシアに断る権利はないぞ。私に借りがあったはずだからな」


 借りってまさか、ドルフさんの足を治したときのあれ?


「あ、あの、理由を聞いても?」


 よりにもよって第一王子の婚約者が、評判の悪い私だなんて世間が納得しないはず。これを理由に断れるかもしれない。


「いいだろう、教えてやる。ヴィクトルとルバインが伴侶に男を選んだせいで、国王が私に早く結婚して世継ぎをとうるさいのだ。だが私は、まだ結婚する気はない」


 国王が騒ぐものだから、貴族の令嬢からのアピールが絶えず辟易しているという。


「それはつまり……私に女除けになれということですか?」


 な~んだ、びっくりした。そういうことなら、私のパン職人ライフに支障はなさそうではあるけど……その役が私である必要があるのかしら。


「レティシアなら、令嬢たちからの妬みに負けることはないだろう?」


 な、何よ! それって、性悪な私にケンカを売る令嬢はいないと言っているようなものじゃないの。


「だいたいこの事態は、お前が招いたことだ。知っているぞ、ヴィクトルとルバインをのは、だということを」


 そ、そうだったー! でもね、あのときはドクロステージルートを回避しておきたかったし、なんといってもお似合いのカップリングだったし……


 とはいえ、そんなことはクリストフには関係ないことで。


 責任取って、体のいい隠れみのを演じろってことよね?


 クリストフからすれば、私の腐女子魂のせいでとんだ災難だ。せめてもの償いに、クリストフの要求を受けるべきだろう。


 どうせ、かりそめの婚約者なんだし──


 クリストフに好きな人ができるまでのことだ。愛する人が現れれば、私はお役御免になるのだから、と思ったとき──


 あれ? なんでだろう、胸が苦しいような……


 それはずっと、ずっと、胸の奥深いところから湧くもので。


 まあいいか。今は何よりも、確認しておきたいことがあるし。


「あの、パンを作ることに関しては、自由にさせてもらっても?」

「ああ、好きにして構わない」

「──わかりました。謹んで、期間限定の婚約者にならせていただきます」


 一呼吸して、私がそう宣言したときだった。「ゴーン、ゴーン……」と、夕刻を知らせる鐘が鳴る。

 距離があったからなのか、私にはいつもより低い音に聞こえた。


「始まりの合図のようだったな。ではこれから、婚約者としてよろしく頼む。レティシアも、私を利用するといい。確かラデス国王に、悪態をつくんだったか? 公爵令嬢として対峙するより、次期王妃として対峙するほうが、相手の態度も違うだろうからな」


 あ……婚約って、私のためでもあったのね。


 私が重く受け止めないように、あえてあんな言い方をした。そう思っていいのだろうか。


「ジェイク、言うことがあるんじゃなかったか?」

「ぐぬぬ……ク、クリストフなら、レティシアを

「だそうだ。よかったな、レティシア」


 クリストフ自身も、問題が片付いたと言わんばかりにご機嫌だった。


 どうしてそんなに呑気なのよ。信じられないわ。


 私を婚約者にしたからには、社交界でどんな噂を囁かれることか。私は自業自得だから構わない。だけどクリストフは……


『レティシア嬢を選ぶとは、この国の未来を考えていないのか!』


 なんて、重鎮たちに叱責されるかもしれないというのに。


 はぁー。もう、どうなっても知らないわよ。


 深く考えるのをやめた私は、クリストフ劇場にまんまと乗せられたことにするのだった。


*********

【作者より】

 ここまで読み進めてくださりありがとうございます!

 旅編は【完】となります。


 次回からは新章スタートです(⁠ノ⁠◕⁠ヮ⁠◕⁠)⁠ノ⁠*⁠.⁠✧

 変わらず読んでいただけますと幸いです✨

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る