第54話 旅の記念に
パースティナ国を出発して七日。
私たちはメフィラーナ国の王都まで、あと数時間というところまで来ていた。この調子なら、夕刻前には到着できそうだ。
私、頑張ったと思うの!
馬車の揺れに慣れたとはいえ、長時間ともなるとやっぱりお尻は痛くて。でも弱音は吐かなかったし、クリストフにも悟らせなかったはず。だから宿に連泊することもなく、予定通りに帰って来られた。
やっぱり気を紛らわせるには、パンのことを考えるに限るわよね。
オープンを間近に控えた、私のパン屋である『フロッシュ・スリール』。どんなパンを店頭に並べるかを考えていたのだ。これは今後の客足を左右する重要なことだけに集中できた。
種類を絞るのに、随分と悩んだのよね。
一人で作ることを思えば、あまり多くの種類は作れないからだ。そしてこの国で揃う材料と、石窯で焼くことを考慮して厳選したパンは五種類。後々は、作り手を育ててもっと種類を増やしたいと思っている。
で、その五種類はというと。
まずは、定番の丸パンは外せない。次は、チーズをのせたピザパン。それから丸パンにクッキー生地をのせて焼けばメロンパン。もう一つは、パンにソーセージを挟んだホットドッグ。
あとはなんといっても、あんぱんよね!
私の視線は、自然と
帰ったら、早速あんこを作らなきゃ。でも、上手く煮ることができるかしら。
小豆を煮るうえで、火加減は重要で。
失敗は避けたいから……ここはルバインに協力してもらおう。焦がしでもしたら、勿体ないものね。
「レ、レティシア様、どうかなさったのですか。やはりお身体が辛いのでは?」
エセルが心配顔のような困惑顔のような……微妙な表情をしている。
は、もしかして、小豆のことを考えていたから──
にたにたと笑っていたかと思えば、眉間に皺を寄せ難しい顔をしたりと、コロコロ表情を変えていたのかもしれない。
「どうもしないわよ。はは……ははは。それよりエセル、商談のほうはうまく纏まったのよね?」
「はい、実際に小麦粉の仕入れが始まるのは、半年後になると思います」
これから種を
そこで私が考えついたのが、メフィラーナ国に小麦畑を作ることだった。しかしマーカスの能力なくして、この策略は成功しない。
マーカスには、頼りっぱなしで申し訳ないけど……
キャビンには、小豆の他にパースティナ国でかき集めた小麦が乗っている。これを元に、マーカスには開拓した農地区を、一面小麦畑にしてもらわなければならない。しかも一週間足らずで。
小麦の成長を促進させるって、どれくらい魔力を消耗するのかしら。
魔法の使えない私には、想像がつかない。無理を強いてしまうだろうけど、今後のメフィラーナ国のために頑張ってもらうしかないのだが。
なぜ、そこまでしなくてはならないのか。それにはちゃんと理由がある。
自国で小麦栽培に成功した。だからラーミス国から仕入れる必要がなくなった。そうラデス国王に知らしめるため。そうすれば、パースティナ国に迷惑をかけずに済むからだ。
しかしこれは今回限り。マーカスの能力は稀なため、いつの時代でも頼れるわけではない。だから貿易は大事で、パースティナ国とは持ちつ持たれつの関係を築いていくのが理想だと思う。
あとは……どうラデス国王が出てくるか。すんなり引いてくれるとは思えない。
自国の小麦のほうが、質がいい。そう主張してくれば、私のパンを食べさせて黙らせてやるけどね。
とはいっても、心配事がまったくないわけではない。ラデス国王が、「今までの恩義をなかったことにするつもりか」と、難癖をつけてくることも十分あるからだ。
もしそうなったら、私の大切な酵母菌ちゃんを切り札として出す?
今までさんざん高値で小麦粉を買わされてきたのだ。そのお返しに、酵母菌ちゃんを高値で売ってやるのはどうだろう。
そう思うものの、その分ラーミス国の民にしわ寄せがいきそうで気が引けた。
他国に高値で売りつけたりせずに、自国の民にもっと小麦粉を流通させたらいいのに。
もちろんこれまで、ラーミス国のお陰で小麦粉を使った料理が食べられた。そのことには感謝している。けれど、輸出を優先するあまり、ラーミス国の民の口に入らないとなると複雑で。
というのも、ラーミス国の中心街を通ったとき、パン屋が見当たらなかったことに、私は違和感を覚えた。小麦の名産地だというのに、おかしいと。
まさか許された職人しか、パンを焼いてはいけないなんて……
昼食に立ち寄った食堂で、パンが食べたいと言うと、ウェイトレスの女の子がそう教えてくれたのだ。
ラデス国王──いったい何を考えているのか。
とても国民の幸せを願っているようには思えない。お金を得ることに、重きを置いているのではないだろうか。
これは……一筋縄ではいかないかも──
私もしっかり悪役令嬢を演じて、対抗するわよ!
そう拳を握ったときだった。
あれ、馬車が止まったわ。どうしたのかしら。
外を見ると、野原を走る一本道の途中だった。
「悪い、ちょっと待っていてくれ」
不思議に思っていると、お兄様が御者台から飛び降り、一本の大木に向かって走っていく。
「クリストフ様、彼はどちらに?」
エセルが問うと、「もよおしたそうだ」と悪戯っぽい笑みを浮かべた。
ここで言うもよおしたって……尿意ってことよね。
そんなことを考えていると、「レティシア、旅もそろそろ終わりだ。気分を変えて御者台に座ってみないか」とクリストフに誘われる。
そういえば、私だけ一度も御者台に乗っていないわね。
「そうですね、旅の記念に──っ!」
「危ないぞ」
キャビンから御者台に移ろうと身を乗り出すと、バランスを崩してしまった。するとクリストフの手が伸びてきて、腰を支えるように台に座らせてくれた。
「あ、ありがとうございます」
なぜか顔が熱くなり、少しお尻を横にずらしてクリストフとの間に隙間を作る。
「え……と、殿下が馬を走らせるんですか?」
「ああ、これまでもジェイクと交互にやっていたが……違いがわからなかったか? 身体に負担が少なかったほうが私だ」
何自慢なのか、聞いてもいないのにクリストフがそんなことを言う。
「すまない、待たせたな。おや、レティシア。なぜそんなところに座っているんだ?乗り心地が悪いから、キャビンのほうに戻ったほうがいいぞ」
用を足してスッキリ顔のお兄様が、タイミングがいいのか悪いのか、にやりと人の悪い笑みを浮かべてそう言った。
「旅の記念に、御者台に座るそうだ。ジェイクはエセルと仲良くキャビンだ」
「はいはい、そういうことにしておいてやる」
え、もしかしてクリストフは、二人に気を利かせたってこと? なんだか私が、お邪魔虫みたいじゃないの。
「では出すぞ」
お兄様が乗り込んだところで、馬車が動き出す。
うわ~、やっぱりキャビンとは景色が違うわ。
頬を撫でる風と、目の前に広がる緑の大地。その遙か先には、林があった。確かそこを抜ければ、王都の外れが見えてくる。
この道、元雑木林のそばも通るのよね。
どんな変容を遂げているのか。
私は期待に胸が躍るのだった。
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