第52話 伝授

 明くる日から、私は城の料理人たちにパン作りの指導を始めた。


 念のために、酵母菌ちゃんを持って来ておいてよかったわ。

 

 今後の酵母菌に関しては、開発に成功した(苦労したのはヴィクトルだけど)ドライ酵母を、パースティナ国に輸出するという形を取らせてもらうつもりだ。

 

「レティシア様、パン生地の出来を見ていただけますか」


 城の厨房には、五人の料理人がいた。その中で、ジャンという十代の若者がなかなかのセンスの持ち主で。


「いい水分量だと思うわ。あとは発酵させてから、ガス抜きすれば生地の完成よ」

「はい! 待つ間、クッキーの作り方を教えてください」

「いいわよ。やる気があって素晴らしいわ、ジャン」


 さて、他の四人はどうかしら。


 力加減が難しいのか、最初は力任せに捏ねすぎて、生地の滑らかさが失われてしまっていた。


「これは……もう少し水を。あなたのは、水分が多すぎたみたいね」


 ひとり一人の生地に触れ、仕上がりをチェックする。そして皆の生地が出来上がったころ、それぞれ天板に丸めた生地を乗せ、石窯で焼く。もちろん私の作ったものも。


「そろそろ良さそうだと思うのですが」


 料理人たちが石窯からパンを取り出し、私に確認を求めてくる。


「そうね、色もきつね色でいい感じだわ」


 当初は火加減を心配した私だったけど、ここでは魚や芋などを石窯で焼いているそうで、扱い方を熟知していてパンが焦げることはなかった。


「では、一口サイズに切り分けて、食べ比べをしましょう」


 そこからは品評会が始まった。もさもさしているとか、硬いとか、断面に大きな穴があいているとか。


「レティシア様のパンは別格として、俺たちの中ではジャン、お前のが一番うまいな」

「ありがとうございます。料理長!」

「よし、俺たちも負けちゃあいられない。もうひと頑張りするぞ。レティシア様、ご指導のほど、よろしくお願いします」

「ええ、ビシバシ鍛えてあげるわ」


 こうして出来上がった大量のパンは、順番に民に配ってもらった。きっとクレアたちの口にも入ったと思う。


 そして伝授を始めて五日目。


「皆、合格よ! 私ほどではないけどね」

「やったぞ!」

「よっしゃーー」

「っ──‼」

「「ありがとうございます!」」


 声を上げる者、無言で拳を握り締める者、各々喜びかたは違うけど、達成感を味わっているのは伝わってくる。


「今後は、あなたたちがこの国の民に、作り方を広めていってね」

「もちろんです」


 私の願いに、料理長が力強く頷いた。


「では、私は王妃様のところへ行ってくるわね」

 パンがゆを乗せたトレイを手に、私は厨房を出る。


 今日はチーズを入れてみたけど、食べてくれるかしら。


 初日はシンプルに、ミルクでパンがゆを作った。濃い味付けにすると、弱った胃腸に負担がかかると思ったからだ。味気ない……と食べてくれないかと心配したけれど、王妃様は美味しいと完食してくれて。


「こんにちは。王妃様にパンがゆをお持ちしました」

「レティシア様、王妃様がお待ちかねですよ。どうぞ」


 このところ、私が昼食にパンがゆを作るのが通常になっていて、ドアの前には王妃様専属の使用人さんが待ち構えていた。


「失礼します。お加減はいかがですか、王妃様。今日はチーズ入りにしてみました」

「まあ、チーズ? 楽しみだわ」


 私たちが来る前は、顔色は青白くベッドから出られなかったという王妃様。食が進まず、一日二食、口にできたらいいほうだったそうだ。それが昨日は、朝はすり潰したジャガイモの入っているスープで、昼は私のパンがゆ。夕飯は砕いた煮豆といったものを食べられるようになり、血色も随分と良くなっていた。


 今日などは、テーブルに着いて食事できるまでに回復されている。


 よかった、元気になられて。美人度が増してるし。


 長い金髪はウェーブがかかっていて、目は紺碧。物語に出てくるお姫様のような人だ。


「熱いので、冷ましながらどうぞ」

「わかったわ、いただきます」


 ふーふーと湯気を逃がしながら、グラタン風パンがゆを口に運んでいる。


「美味しいわ。チーズの塩味が、ミルクの味に馴染んでいるからかしら」


 にこにことご機嫌で、王妃様はあっという間に平らげてしまう。


「早く元気になって、普通のパンを食べてみたいものだわ」

「もうすぐですよ、きっと」

「ええ、そうね。でもそのころには、あなた方は国へ帰ってしまっているわね。いつここを立つの?」

「実は、明日に決めました」


 パン作りも伝授したし、お兄様に任せていた小麦を栽培するための畑も整った。小麦を粉に精製する際の道具などは、エセルが用立ててくれている。

 その間クリストフは、ロイに魔法の手ほどきをしていた。


「そう……名残惜しいわ」


 寂しそうな口調に、「また訪ねて来ます」と私はあえて明るい声を出す。


「いつでも歓迎するわ。あなた方は、ロイの命の恩人だもの。もちろんクレアたちのことも。そして、この国の恩人でもあるわ」

「大袈裟です。私もロイ殿下に助けられましたから」


 誘拐という形ではあったけど、ロイと出会えたことは幸運だった。

 これからは、国交という形で縁が続いていくことを嬉しく思う。


「お互いに、いい関係を築いていきましょう」


 思いは同じだったようで、親愛の籠もった王妃様の笑顔は、牡丹の花のように風格があり、私を魅了した。

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