第38話 落ち度
早く──早くレティシアを探し出さねば。
クリストフ・ルフェーブルは、焦りからか馬の背に
(くそ、私としたことが)
レティシアを攫われるなど、普段のクリストフでは考えられない失態だ。
気が緩んでいた──
今日のレティシアの仕草に、幼いころの記憶が思い出されたからだ。遠い過去、クリストフとジェイク、レティシアの三人で会話を楽しんでいた日々。
叶わぬ願いとわかってはいたが、あの時間を取り戻せたようで浮かれてしまった。
しかしそれは、言い訳に過ぎない。自分は奴らに、まんまとはめられたのだ。
自分たちが仲裁に入ることまで、犯人が見越していたのかはわからない。ただはっきりしているのは、手口が巧妙だということ。突発的な犯行ではないだろう。
だが、気づけた要素はあった。なのに……
(すべては私の落ち度──)
クリストフは悔しさから、ギリッと奥歯を軋ませる。
──レティシアの誘拐劇、それは一時間ほど前に遡る。
「止めないと怪我人が出るかもしれないわ」
レティシアの言葉に同感したクリストフとジェイクは、喧嘩の仲裁に入ろうと、野次馬たちを掻き分け前に進み出る。
輪の中心では、商人の格好をした男が丸腰の男に短剣を向けていた。
「おい、やめておけ。こんな繁華街で騒動を起こすな」
「うるさい! 口を挟むなら、お前からやってやろうか!」
クリストフが至って平静な声音で呼びかけるも、興奮しているのか短剣を持つ男は聞く耳を持たない。それどころか、苛立ちの矛先をクリストフに変え、その切っ先が空を切る。
「落ち着け。──ジェイク、野次馬を下がらせてくれ」
やられるようなクリストフではないが、男は剣を振り回している。見物人が巻き込まれては大変だ。
「もういいだろう。剣をおさめろ」
魔法を使うと騒ぎになるかと、男が諦めるまで剣を躱し続けるクリストフだったのだが──
(なんだ、この違和感は……)
男は斬りかかってくるものの、剣の扱いは素人並で的外れもいいところだった。
粋がってはみたが、人を傷つける度胸はない。引っ込みがつかなくなったのではないかと、クリストフは考えた。
(どうしたものか──)
思案するクリストフだったが、「喧嘩相手が逃げたようだ」というジェイクの呼びかけで、この騒動に終止符が打たれる。
剣を振り回していた男がこれ幸いというように、急に薄ら笑いを浮かべそそくさと立ち去っていったからだ。
(人騒がせなことだ。私たちも宿に帰るとしよう)
レティシアの元に戻ろうとしたときだった。役人が駆けつけて来たのは。
(今ごろ出張って来ても遅いだろう)
呆れるクリストフだったが、あれこれ事情を聞かれるはめに。
一応は説明したが、当の本人たちがいないのだ。クリストフも適当に開放された。
そんなときだった、エセルの悲痛な叫び声を聞いたのは。そして同時に、クリストフは自分の失態に気づいたのだった。
(まさか、あの役人もグルだったのか──?)
今思えば、タイミングを見計ったように現れた気がする。
(すべてはレティシアを攫うための時間稼ぎだったというわけか)
クリストフの中で、さらに悔しさが増す。
「よし、準備ができた。レティシアのあとを追う」
馬の背に飛び乗ると、ひっそりと佇んでいたエセルが歩み寄って来る。
「クリストフ様……申し訳ありません。私がそばにいながら……こんなことに──」
一度は収まった涙が、再びエセルの頬を濡らす。
はじめは散り始めた野次馬に、レティシアが流されてしまったと思ったエセルは、辺りを探し回ったという。しかしレティシアの姿はどこにもなく……
いつの間にか消えていたレティシア。いったいどの段階で攫われたのか。しかもあのレティシアを、騒ぐ間も与えず連れ去ったとなると、相当知恵の回る悪党集団なのかもしれない。
「いや、すべては私の責任だ。不穏な視線は感じていた。だからエセルが気に病む必要はない」
ラーナイル領の中心街で感じた粘ついた視線。平民の格好をしていても、レティシアの美しさは目を引いていた。
「そうだよ、エセル。君のせいではないんだ。悪いのは攫った奴らだ。俺たちが必ず連れて戻るから、信じて待っていてくれ」
「ジェイク様……どうかレティシア様を──」
「ああ、任せろ。だからエセル、気が引けるだろうが少しは休め。いいな」
エセルの目は、泣きはらしたため赤くなっていた。そんなエセルを、ジェイクは優しく抱きしめ落ち着かせている。
「悪いがもう行かねば。魔力の痕跡を追えなくなる」
クリストフは自身の魔力の気配を探る。
(あっちか──)
クリストフの視線の先にあるのは、町の後方に広がる荒野だった。
「すまない、行こう。──絶対に見つけ出すぞ」
抱擁を解き、ジェイクは馬に跨る。
クリストフに視線を向けたジェイクの目は、怒りで燃えていた。眉間にも、深い皺が寄せられている。その怒りの半分は、クリストフ同様、自分自身に向けたものかもしれない。大切な妹を、近くにいながらも攫われたのだから。
「はっ!」
クリストフを乗せた馬が走り出す。そのあとにジェイクも続く。
「お気を付けて!」
エセルの声を背に感じながら、クリストフは前だけを見据える。
もし、レティシアの頬が涙で濡れていたら。
(許さない──)
自分は理性で抑えられるだろうか。レティシアを泣かせた相手に抱く、殺してやりたいという感情を──
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