悪役令嬢だけどパン職人を目指すうち好感度爆上がりしました (旧)悪役令嬢に転生したけどそれが何か?夢を叶えるためなら汚名返上は当たり前、王子様だろうと利用させていただきます!
第36話 デリカシーってものがないのかしら
第36話 デリカシーってものがないのかしら
ラーナイル領で十分に休息を取った私たちは、国境近くにある小さな町を目指して馬車を走らせていた。
今日はその町に泊まり、明日ラーミス国に入国する予定だ。とはいっても、王都に着くのはまだ先で、田舎道をひたすら走り続けるという。
「エセル、クッキー食べない?」
小腹が空いてきた私は、バスケットからクッキーが入っている瓶を取り出す。
「私はもう、十分にいただきましたから」
残りが
確かに五十枚は優にあったクッキーが、今は十数枚ほどに減っていた。
というのも、思いのほか馬車の中は退屈で。
パンのことを考えていれば、時間なんてあっという間だと思っていたのだが、レシピを考えたりと楽しかったのは最初だけ。そのうちに、作りたくなるばかりで、焦燥感が募ってしまった。それとは別に、馬車に揺られる苦痛に耐えるという苦行のお陰で、うまく思考が働かないという理由もあったりする。
はぁ〜、何か気が紛れるようなもの、用意しておくべきだったわ。
つい手持ち無沙汰からクッキーを口に運んでしまい、残りが僅かになってしまったというわけだった。
「やっぱり私もやめておくわ。食べ過ぎはよくないし、もうすぐお昼ですものね」
ただ馬車に乗っているだけの私が、バクバクと食べるなんて配慮に欠けるというもの。現にエセルは、「そうですね」とほっとしているように見えた。
う~ん、もう瓶から出しちゃおうかな。大きな瓶に入れているから、減ってる感が増すのよきっと。
私は瓶からクッキーを取り出し、紙に包んでから巾着袋に入れて、ひとまず自分のポーチにしまう。
「ねえエセル、今日泊まる町って、どんなところなの?」
「さほど大きな町ではありませんが、旅人が多く立ち寄ることもあって、割と栄えていますよ」
エセルは何度か立ち寄ったことがあるらしく、屋台などもあるという。
屋台か~、どんな食べ物があるのかな。
「その町に詳しいなら、案内してもらえる? あ、お兄様と一緒がいいわよね……」
「いえ、そんなことはありません。それに……旅はまだまだ続きますから」
エセルが頬を赤らめながらも、私を案内すると言ってくれる。
昨日は一日中、二人はデートしていたのだから、今日くらいはエセルを譲ってもらってもいいわよね、お兄様!
「そう? じゃあ遠慮なく、案内してもらうわね」
屋台のお薦めがあれば、連れて行ってほしいと頼む。するとエセルは、串焼きが名物だという。なんでも猟師の町とも言われているらしく、近隣の山には鹿や猪、ウサギなどが多数生息しているそうだ。
ウサギ……ちょっと抵抗あるけど、この世界では普通なのよね。
味について語るエセルも、鶏肉に似ているけれど、柔らかくて上品なうま味と香りがあって美味しいのだと笑顔だった。
「レティシア様、見えてきましたよ。あれがラルイ町です」
御者台に近づき、前方の様子を窺っていたエセルが指差す。私も立ち上がり前に進み出ると、赤い屋根が並んでいるのが見え、とても風情が感じられた。
「うわ~、素敵な町並みね。散策が楽しみだわ」
声を弾ませる私だったのだが、クリストフの「首輪だけは忘れるなよ」という余計な一言に、一気に気分が下降する。おまけに「首輪……?」と、エセルが首を傾げながら私を見てくるものだから、誤魔化すのが大変で。
まったく、クリストフったら、デリカシーってものがないのかしら。
笑っていればなんとかなるかと思ったけど、頬がヒクヒクしていて果たして笑えていたかどうか──
こうなったら、話しをすり替えるしかない。お兄様、身代わりになって!
「お兄様、昨日はエセルとべったりでしたよね。だから今日は、私にエセルを譲ってほしいんですかどいいかしら。町を案内してもらいたいの」
「べ、べったり──⁉ お前はなんてことを言うんだ。普通に散歩しただけだぞ、普通に」
お兄様はやけに普通を強調する。けれど声は裏返っているし、かえって怪しまれると思うんだけど。
隣にいるエセルに視線を向ければ、両手で顔を覆っていた。
これは……絶対にイチャイチャしていたんだわ。
「レティシア、兄を揶揄うものではないぞ」
「そ、そうだぞ。俺は……俺はだな、エセルと普通に公園を、並んで散歩しただけなんだからな。やましいことなど、な、何もしていないぞ」
せっかくクリストフが助け船を出したというのに、お兄様は動揺を隠しきれず墓穴を掘る。
はいはい、仲良く手を繋いで公園を歩いたのね。それから人目を忍び、キスでもした?
「町に入ったぞ」
呆れぎみのクリストフは、もう我関せずといった感じだった。
∞∞∞
町の中央通りにある大きな十字路。その横道に入ると、ランプを下げた屋台がずらりと並んでいた。テーブルもあちらこちらに置いてあり、お酒を飲んでいる人の姿もあって、ちょっとした屋台村といった感じだ。
ここには宿に着いて早々に、エセルの案内で来たのだが……
「すごい賑わいだな。迷子になるなよ、レティシア」
空には満月間近の丸い月と満天の星が瞬いていて、その情緒から気分が高揚しているのか、多くの人出があり威勢のいい声も飛び交っていた。
おかしいな~、エセルと二人で散策するつもりだったのに。
なぜか宿を出るとお兄様とクリストフがいて、流れのままに一緒に歩き出すことに。そうなると、必然的にお兄様とエセル、私とクリストフが並んで歩く構図ができあがるというもので。
まあ、クリストフが気を利かせたのだと思うけど。
「迷子になんて、なりませんよ」
「怪しいものだ。ちゃんと首輪はつけているか?」
確認させろと言いたげな視線を送られ、私は服の中からチェーンを引き出し、可愛い蝶を見せる。
なぜ隠していたかというと、クリストフに
「いい子だ。その赤い宝石は、レティシアの目の色に似ているな」
「はい、私もそう思います。だから一目見て、気に入ったのかもしれません」
羽根の模様に見立てて、四カ所にはめ込まれた丸みを帯びた赤い宝石。
あとで知ったのだが、エセルによると
宝石に詳しいことに私が驚くと、商会同士の繋がりで、知識を得る機会があっただけだとエセルは
未知の可能性か~、私のパン屋を応援してね!
優しく蝶を撫で、服の中に戻そうと私が胸元に視線を落としたときだった。
「レティシア──」
「えっ──⁉」
突然クリストフに、胸に抱き込むように肩を抱き寄せられる。
な、何が起こったの! 驚かすから、心臓が暴走寸前なんですけど‼
「酔っ払いだ。前を見て歩かないと、ぶつかるだろう」
私とは裏腹に、クリストフは平然としていて、酔っ払いが通り過ぎていくとすっと肩から手を引いた。
あぁ……そういうこと。無駄にどきどきしちゃったじゃないの。
「それはどうもすみませんでした。以後、気をつけます」
むっとして、私は棒読みだ。けれど、風に乗って漂ってきた、食欲をそそる匂いが鼻腔を掠め、すぐに機嫌は回復する。
「なんの匂いかしら」
「串焼きだと思いますよ」
私の前を歩いていたエセルが振り返り教えてくれる。
「そこで夕食にしようか」
宿では朝食だけお願いしたため、ここでしっかり食べておかないと夜中にお腹が空いてしまう。
「はい、お兄ちゃん! 串焼きのこと、エセルから聞いてとても楽しみにしていたの」
「お兄ちゃんか……レティシアにそう呼ばれると、なんだか
「ふふ、早く慣れてくださいね。なんて言っても、周りに人がいるときだけだから、慣れるまではいかないかもしれませんけど」
この件は皆で話し合い、呼び方を統一した。エセルは「さん」付けで呼ぶことに、抵抗があるようだったけど。
「はは、そうかもな。さて、お目当ての屋台に着いたぞ。たくさん食べるといい。レティシアは痩せすぎだからな」
お兄様の目が、優しく眇められる。
「確かにな。肩など、こんなだ」
クリストフが親指と人差し指で、わざと五センチくらいの幅を示す。
「失礼な。まるで骨しかないみたいではないですか」
これでも胸はあるほうだと思う。誰も胸のことなど言ってはいないけれど。
やっぱりクリストフは、デリカシーに欠けると思わない?
私が頬を膨らませむくれると、お兄様とクリストフが顔を見合わる。
その表情は穏やかで、まるで昔を懐かしむような笑みだった。
∞∞∞
「あ~、美味しかった。もうお腹いっぱいだわ」
私が胃の辺りを
「ええ、屋台って楽しいですね」
鹿の串焼きに魚の網焼きまであり、さながらバーベキュー気分だった。お兄様たちも、軽くワインを飲みながら、夕食時を楽しんでいた。
「気に入ったのなら、帰りにまたここへ寄ろう」
「はい! 実は……まだ食べてみたいものがあったので、嬉しいです」
クリストフの提案に、私は大賛成だ。
「いつの間にレティシアは、そんなに食いしん坊になったんだ」
お兄様は嬉しそうに、私の頭を撫でる。
私って、心配されるほど小食だったのかな?
「いつの頃と比べているのかは知りませんけど、自己管理はできていますからご心配には及びません」
澄まして言うと、心なしかお兄様の顔が翳ったような気がした。
「お兄ちゃん……?」
「あ、ああ……いつまでも子ども扱いはよくないな。じゃあ、そろそろ帰るか」
はっとしたように言葉を紡いだあと、お兄様が椅子から立ち上がる。
「そうだな、明日も朝が早いしな」
続いてクリストフも立ち上がる。
そんなときだった、女性の叫び声が聞こえてきたのは。
「何かしら。あっちのほうが騒がしいみたいだけど」
声を聞きつけた人たちが駆け寄って行く姿を見て視線を向けると、かなりの人だかりができていた。
遠巻きに、
「喧嘩だ! 誰か止めろ」
「いや、剣を持っているから無理だ」
「役人を呼んでこい!」
そんな会話が飛び交っていて、私たちもすぐに駆け寄る。つま先立ちをすると、集まっている人たちの頭越しに辛うじて様子が見えた。
「止めないと怪我人が出るかもしれないわ」
剣を振り回す男の姿に、私は息を呑む。
「そうだな、ちょっと行ってくる。二人はここで待っていてくれ」
人垣を掻き分け、お兄様たちが進んでいく。その姿を、エセルは心配げに見ていた。
「大丈夫よ、エセル。お兄ちゃんは強いんだから」
「はい。そうですよね」
わかってはいても、最愛の人が怪我を負うようなことがあったら。そう思うと、心配せずにはいられないのだろう。
人だかりの向こうが見えないエセルは、胸の前で手を組み一心に無事を祈っている。
愛だわ、愛。お兄様は幸せものね、こんなに想わっ──!
後ろから、さらなる野次馬が押しかけてきたのか、首に衝撃が走り身体が傾ぐ。
そして私の視界は、真っ暗になった──
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