第35話 迷子って何よ
「う~ん、よく寝た。回復回復……って、いま何時⁉」
明くる日、窓から差し込んでくる陽光で目が覚めた私は、それが随分と高いところに昇っていることに驚く。
もしかして、お昼前……? 相当疲れていたのね私──
馬車に長時間乗ったのが初めてだったからだろう。しかもそれが
「あれ、エセル? どこにいるの……」
私を起こさずにいてくれたようだけど、隣のベッドは空で、部屋を見回すけれどエセルの姿はなかった。
あ、何か置いてある。
テーブルに近づくと、置き手紙を見つける。
「お兄様とデートか~。クリストフは……部屋にいるみたいね」
エセルは早くから起きていたようで、お兄様と散策に出かけると書いてあった。クリストフは私が起きたら出かけるとのことで、声をかけてほしいと記されてある。
「きゅるる~」
あらら、お腹が鳴っちゃった。誰もいなくてよかった~。
寝坊したせいで朝食を食べていないのだから、お腹も訴えてくるというものだ。
私は早々に支度を調え隣の部屋に赴く。
「お待たせいたしました。レティシアです」
ノックをして声をかけると、僅かな間のあとクリストフが顔を出す。
「やっと起きたのか。もう宿の朝食はないぞ」
よくもまあそんなに眠れるものだなと、呆れを通り越してもはや感心している。
「ですよね、自分でもそう思います。えっと……お腹が空いたので、外で何か食べてきますね」
宿で出してもらえるのは、夕食と朝食のみだ。果物が美味しいと言っていたし、市場に行ってみるのもいいかもしれない。
「そうか、私も昼食を食べに出かけるから、一緒に行こう。レティシアは迷子になりそうだからな」
迷子って何よ、私は子どもじゃありません!
そう言いたいところだけど、見知らぬ場所ではあるし、心細いと言えば心細い。
「聞き捨てなりませんけれど、待たせてしまったお詫びも兼ねて、一緒に出かけてあげてもよくってよ」
わざとそんな物言いをすると、クリストフがククッと喉を鳴らす。
あ……また笑ってる。私が知らなかっただけで、本当はよく笑う人だったのかな。
笑顔を見せてもらえなかったのは、自分の悪行のせい。そして、クリストフに冷めた顔をさせていたのも私のせい?
そう思うと、胸がツキンと痛んだ。けれど、今こうして笑顔を見せてくれているということは、彼にも少しは好感を持たれつつあると思っていいのだろうか。
そうだったら、嬉しい──
「では、お供させていただくとしよう」
「よろしくお願いします」
楽しげに見えるクリストフと共に、私は街へ繰り出した。
∞∞∞
なんてジューシーで美味しいの。甘みも申し分ないわ!
市場にやって来た私は、メロンの試食をさせてもらっていた。
「クリストフさんも食べてみて」
「さん」だなんて、呼び慣れないから違和感しかない。けれど彼が言うには、この平民の服装で「様」は変だろう、ということになって。そうなると、人前ではお兄様のことは「お兄ちゃん」なか?
クリストフでいいと言われたけれど……そこはなんというか王子様だということで、町中では「さん」づけに決まった。
とはいえ、乙女ゲームの名残で、心の中では散々クリストフと呼び捨てにしているが。
「ああ、美味いな。うん? まだ食べたいのか」
私が物欲しそうな顔をしているように見えたのか、(いや、していたのかもしれない)クリストフが苦笑する。
そのとおり! もっと食べたい! 本音はそうだけど、旅先だし我慢するしかないかな。
そう思っていたのだけど──
「その半分を買う事は出来るか? ここで食べていきたいのだが」
クリストフが店主にそう尋ねる。
「ええ、構わないよ。切ってあげるから、そこの木箱に座って食べとくれ」
気のいい婦人で、手早く食べやすい大きさに切ってくれ、お皿に乗せてくれた。
「ありがとうございます。はい、クリストフさんもどうぞ」
木箱に並んで腰かけ、クリストフにお皿を差し出すと──
うん? どこを見ているのかしら……
クリストフは右斜めの方向を、眉間に皺を寄せ睨んでいた。
「あの……クリストフさん? どうかしたのですか」
「いや、なんでも。人違いだったようだ」
「そうですか。では、いただきましょう」
先にクリストフが食べてから、私もメロンを頬張る。
う~ん、幸せ。この甘さは最高だわ! やっぱり前世で、メロンに醤油をかけなくてよかった〜、台無しにするところだったわ。って、あれ? 頬に視線を感じるような……
ふと顔を隣に向けると、クリストフと目が合う。
「あ、あの~、何か?」
「いや、美味しそうに食べるなと思ってな」
眇められた目は、なんだか優しいもので。
「そ、それは食いしん坊ってことですか」
恥ずかしさから、ツンとそっぽを向く。
そんな私を見るクリストフは、いつになく朗らかで。
なんだか、調子が狂っちゃうから困るんですけど!
「あ~、美味しかった! さあ、次へ行きましょう、次へ」
送られてくる視線に耐えられなくなり、残りを急いで口に入れて立ち上がる。
「ごちそうさまでした」
婦人にお皿を返すと、「また来ておくれね」とにこやかに見送ってくれた。
「次はどこに行くのだ」
「えっと……露店が並んでいた通りに、もう一度行きたいんですけど」
市場に来る途中、アクセサリーなどの小物を売っている店があったのだ。
「わかった。行こうか」
なんだか……デートしてるみたい? あわわ、そんなわけないじゃない。何を考えているのよ、私ったら。
どうしてこんなことを思ったりするのだろう。
「あ、あそこのお店です。ちょっと見てきますね」
気まずさから、私は店に駆け寄るようにしてクリストフから離れる。
「こんにちは。見せてもらうわね」
台が低かったため、私はしゃがみ込んで見入る。
あ……これ可愛い。
「手に取っても?」
「ああ、どうぞ」
赤い布の上には、シルバーやゴールドで細工されたブローチなどが並んでいた。中でも目を引いたのは、蝶を
「羽根の細工が緻密ね。今にも飛んでいきそうだわ」
「お嬢さん、お目が高いですな。それは新作なんですよ」
「そうなの? もしかして、ここに並んでいるものは、あなたが作っているのかしら」
「ああ。だからどれも、一点物でね」
店主のおじさんは、くしゃりと顔に皺を寄せ、人好きする笑顔を見せる。
「それをもらおう。いくらだ」
「え──?」
背後から声がかれられ振り向くと、クリストフが覗き込むように立っていた。
「赤い宝石がついていますんで、少々値が張りますよ」
「ああ、構わない」
「ほほう。お嬢さん、気前のいい恋人で幸せ者だな。じゃあ、まけて五万ルフェだ」
こここ、恋人! しかも、五、五万ルフェ!
私がドギマギしている間に、二人はどんどん話しを進めていく。
「これでいいか?」
釣りはいいと、クリストフは銀貨を三枚手渡した。
「ありがとうございました。また寄ってくださいな」
「ああ、いい買い物ができたよ、ありがとう。レティシア、それを貸しなさい。つけてやろう」
呆然とやり取りを見ていた私に、手を差し出してくる。
恋人でもないのに──そう思うと、反射的に「もらう理由がありません」と言ってペンダントをクリストフの胸に押しつけてしまった。
あ……イヤな態度を取ってしまったわ。
一瞬、クリストフが目を伏せたような気がした。拒絶されたと思っただろうか。
「あの、いらないとかではなくて、高価なものを私がもらってもいいのかなと思っただけで……」
「気にするな、これは首輪だ。迷子対策のな。このペンダントに私の魔力を込めておけば、レティシアの居場所が察知できる。という理由で納得したか」
「く、首輪……はは、ははは──」
乾いた笑いしか出ない。罪悪感を抱いて損した気分だ。
「そういうことでしたら、もらってあげます。はい、つけてください」
「偉そうだが、まあいい」
クリストフが距離を詰めてくる。「シャリン」というチェーンの音と共に、クリストフの腕が回されて──
もう! なんで鼓動が落ち着かないのよ。
「よし、これで目を離しても安心だな。──レティシア、迷子になられては困るから、旅の間は必ずこのペンダントを身につけておくように。わかったな」
念を押してくるクリストフは、やけに真剣な目をしていて。
「私は小さな子どもではありません! 迷子になんて……」
視線の強さにいたたまれなくなり、つい反発してしまったのだが──
あれ、なんだろう……?
背後から視線を感じ、私は身を震わせる。
またクリストフ? と思うものの、彼は目の前にいるし……
振り返り、辺りを見回してみたけれど、行き交う人の姿があるだけの、よくある光景で。
「レティシア、宿に戻ろう」
クリストフの口調が鋭いものに変わる。
「ええ……そうですね」
このペンダントでも狙っている盗人だろうか。高価なもののようだし。
本当は夕刻まで、街を見て回るつもりだったが、物騒なことには遭いたくない。
「やはり帽子が必要だったか」
な~んだ、そういうことだったのね。
クリストフの呟きが聞こえ、先ほどまでの不安が吹き飛ぶ。視線を感じたのは、この髪色のせいだったのかと。
本当に珍しいのね、この紺藍の髪。
街の人たちは、茶色や金髪など、明るい色合いばかりだ。そんな人たちの中に私がいれば、目立って当然かと納得するのだった。
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