第31話 なんて業突く張りなの

 貧民街の生活支援のための開拓を始めて一月が経った。

 学園に通う協力者は皆、休日を利用して力を貸してくれている。


 雑木林はマーカスによって順調に整備され、私の思い描いていたより素敵なものになっていて、彼の植物への愛をひしひしと感じた。


 中でもセンスが光っていたのは、牛を放牧する際の柵だ。中堅どころの木を、円を描くように等間隔に移動させ、牛が逃げないように、幹の間には枝を操ってつたのように張り巡らせてあったのだ。


 マーカスが触れると、木々が喜んでいるように見えるのよね〜。


 葉は青々と茂り、枯れかけていた木に至っては、みずみずしさを取り戻していた。


 マーカスの能力は心温まる素晴らしいもので、心の優しい彼にとって攻撃魔法の訓練は、相当に苦しかっただろうと思う。


 お礼を言われちゃったのよね。こんなふうに力を使いたかったんだって。嬉しそうだったな、マーカス。


 そしてライナスは、風を操り気温を調節することで、皆が快適に作業できるようにしてくれたり、重い材料を運ぶ荷台に帆を張り、風を送ることで手助けしたりと大活躍だった。


 彼の何よりの功績は、ディアナを連れて来てくれたことだ。

 擦り傷は一瞬で治し、疲労の溜まった身体には回復を。何かあっても、ディアナがいるから安心して働ける。そう思わせてくれるディアナは、存在だけで皆の癒しになっていた。


 必然的に、ディアナが動けばもれなくルークもついてくる。幸いなことに、ルークは水属性の使い手で、井戸などの水に関する設備は彼に任せることにした。


 ということで、クリストフ以外の攻略対象勢揃いである。


 当然その指揮を執っているルバインは、すっかり貧民街の住民たちのヒーローとなっていた。今日も彼の周りには、子どもたちが集まり尊敬の眼差しを送っている。


 ノーランはその姿がほこらしいようで、完成間近のログハウス風パン屋の窓から様子を見ていた私に、自慢げに視線を送ってきた。


 はいはい、あなたの愛おしい人は立派ですよ~。


 私が肩を竦め、やれやれといった態度を取ると、ノーランがにやりと片頬を上げたあと、ふっと表情を和らげた。


 こんなやり取りができる日が来るなんてね。


 順調に好感度があがっていることに、私は胸をなで下ろす。


 ちなみに私は何をしているかというと、工房の監修に努めている。

 そのとばっちりにあっているのは、ヴィクトルとコンラッドだ。二人は私の専属と化していて、特にヴィクトルには、ドライ酵母を実現させるために、技を磨いてもらっている。どうも私が要求している『水浄化魔法ウォータープリケーション』は精神集中がかなり必要のようで、疲労の度合いが高いらしい。


 コンラッドはというと、私の描いた石窯を難なく作ってくれた。今は地下室に取りかかってくれている。


 氷はクリストフにお願いしないといけないのよね。ちょっと気が重い……


 加工場で作られた乳製品はここで貯蔵しておくため、大量の氷が必要で。

 場合によっては、エセルの商会に卸せるように話しは通してあるけれど。


 あと半月もあれば、いつでもオープンできそうね。そろそろ店の名前を決めないとな~。


 私は一枚の木の板を前に腕を組む。


 やっぱり笑顔にまつわる名前にしよう。

 英語だと、スマイルだけど……ちょっとネーミングセンスに欠けるわよね。


 フランス語では確か、スリアンだったかな? スリールはなんだったっけ。ソリッソも笑顔を意味していたと思うけど、何語だったかしら。


 自分のお店を持てたら。前世で中学生だったころ、いろいろ店名を考えてみたことがあったから、うっすらと覚えていた。


 うん、決めた! フロッシュ・スリールにしよう。


 この世界の言葉ではないから、意味は通じないだろうけれど……響きが大事ということで!


 ちなみにフロッシュは、フランス語でふわふわしている……的な意味だったと思う。


 ふわふわのやわらかなパンで、笑顔になってもらいたい。そんな私の願いにピッタリな店名だわ!


 いよいよ夢が実現する。まさか異世界で叶うことになるとは、思わなかったけれど。


 オープンは、やっぱり夏休みに合わせるべきよね?


 オープン早々、週末限定営業にするわけにもいかない。

 となると、夏休みまであと一月ある。


 それまでに、パンのバリエーションを増やさないとね!


 とはいうものの、実は困っていることもあって。それは小麦粉の値段。


 はじめてエセルの商会で買ったときは、一キロが千五百ルフェだったのに、今では千八百ルフェもするのだ。

 エセルの話しでは、売値を下げる条件は、我が国の時計の技術。職人をラーミス国に派遣しろと、向こうの国王が要求しているという。時計台の視察も、そのためのようで。


 そういえば、ラーミス国の来賓がやって来るのは、あと一月後だったわよね。


 外交を任されているクリストフは、頭を抱えているというから、きっと強引に交渉してくると予測しているに違いない。下手を打てば、小麦粉自体、手に入らなくなる恐れもあるのでは──


 そんなの、困る困る困る! パンが作れなくなるじゃない。


 それにしても、なんて業突ごうつりなの。ラーミス国の国王は。


 いったいどんな人物なのか。


 ──偵察


 そんな言葉が頭に浮かぶ。


 違う違う、市場調査よ。ラーミス国の食文化を知ることは、大切なことだと思うし。


 それに正直、ラーミス国のパンに興味があった。


 怪しまれずに入国するには、どうしたらいいのかしら。あ、エセルが一緒なら、大丈夫なのでは?


 エセルは買い付けのために、自ら産地に赴くこともあると言っていた。

 さっそく帰りに商会に寄って、話してみよう。


 でも……男手がないのは不安かも。


 万が一、がないわけではない。どの世界にも、悪党はいるわけで。


 というのも、ちょうど一週間前、買い付け帰りの商会の馬車が、国境の近くで盗賊に襲われたというおふれがあったのだ。この盗賊は、周辺諸国の至る所で悪事を繰り返しているという。


 早く捕まえてくれるといいのだけれど。


 我が国の騎士団も動き出し、あちこち探しているようだけど、未だ行方は掴めていないらしく、まだ捕縛ほばくには至っていなかった。


 人もさらうらしいし……お兄様についてきてもらおうかしら。


 お兄様は雷属性で、剣の腕も立つ。用心棒には最適だ。それにエセルも一緒となれば、喜び勇んで難なく了承してくれそうだ。


 こうして私は、密かにお忍び市場調査という名の偵察をくわだてるのだった。


 

 



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